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車内吊りセクハラ広告につき西武線から無回答でした

結果から申し上げますと、何の回答もいただけませんでした。
「車内吊りセクハラ広告につき西武線に質問してみました」

8月27日までに進捗報告をいただきたい旨申し上げ、その後相当期間経過しレスポンスがないということは、回答する意思がないということでしょう。

自社に都合の悪い質問であっても、何らかのお返事はいただきたかったです。利用乗客への不誠実な対応をとても残念に思っています。

 

セクハラ広告というのは、短期間で入れ替えられる流動的なものですので、「これを剥がしてください」というアクションは意味がなく、だからこそ掲示前の段階でのチェック機能、審査基準が重要で、ぜひこの機会に鉄道側から実態を伺いたいところでした。

男女共用スペースでのグラビアポスターやセクハラエロ雑誌広告については、人によっては「この程度のこと」思われるかもしれません。
しかし、女性を「男性の娯楽としての性存在」として軽く扱うことを日常化してしまう「刷り込み効果」というものは、その他社会のあらゆる人間関係に波及するものと考えます。

エロ雑誌やグラビア写真広告を目にしながら通勤する男性は、果たして職場の女性存在というものを「尊厳ある対等なワーカー」だと完全に切り替えられるものでしょうか。
私自身の経験からいえば、区別できる人はまだまだ少ないというのが実情です。

労働環境においてセクハラが減少しないのも、ひとつにはこのような日常風景が、「女性は男性にとって性的娯楽的消費存在」であるとする、日本全体の「集合意識」を作り上げているという点にもあると考えます。

 

今回はたまたま西武線に質問させていただきましたが、他の沿線でも日常的に見られる光景です。

せっかくですので、この件はこのまま終わるのではなく、私が副代表幹事を務める「働く人のセーフティネット」で引き継ぎたいと考えます。他沿線では掲示前にどのような審査基準が導入されているのかなどを調べ、少しずつでも改善にむけて動いてゆけましたら幸いです。

 

弊会は労働問題や社会保障・社会保険の知識については盤石ですが、ソーシャルアクションについてはこれからの部分も多く、ご協力・ご賛同いただける方には、会員以外の個人様でも他団体様でも、さまざまなお知恵やご経験を拝借し、リンクしてゆきたいと考えております。
その際は何卒よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

 

車内吊りセクハラ広告につき西武線に質問してみました

先日、西武線内で、添付画像の車内吊りセクハラ広告を目にし、大変不快感を覚えたので、私は西武鉄道お客様センターに意見・質問をお送りしました。

日本では、男性中心目線の女性水着姿やエロ雑誌の広告を、男女共有スペースにおいて堂々と掲示していますが、それは世界的に見ても極めて異常な光景です。
例えば、股間をパンパンに強調した男性水着ポスターが公共スペースに掲示されていたらとても奇妙に感じるはずですが、女性を性シンボルとして表現することについてはとても無神経です。

この日常風景に疑問をいだかれない方は、「自分は日本の男尊女卑風潮にどっぷりと浸り、男女平等の意識が鈍磨しているのかもしれない」ということを、まず疑っていただきたいと感じました。

西武鉄道サイドからどのような回答をいただけるのかは不明ですが、今後、各路線の車内環境改善にも生かせると考え、ご興味のある皆さまとは情報を共有したく、本件をアップいたしました。
回答内容につきましては、追ってご報告致します。

【西武鉄道ご意見フォームへの送信内容(文字制限あり)】
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

西武線に掲示されております車内吊り広告につき、ご連絡差し上げました。
先日、「西武園ゆうえんち・プール」の車内吊り広告を西武多摩川線内で目にしたのですが、それは肌を露出した女性の水着姿だけが過剰にクローズアップされており、まるでグラビア写真のようでした。

私は、男女が乗車する共有スペースにおいて、女性が性的シンボルとされる水着画像が堂々と掲示されることに、以前からとても不快感と嫌悪感を覚えていました。
ちなみに公益財団法人日本鉄道広告協会(JAFRA)では、掲載広告につき「基準一覧」の「鉄道広告掲出基準」にて、下記の制定があります。

1.掲出に当たっての判断基準
(1)鉄道利用者に不快感や、過激な性表現などで嫌悪感を与えたり、青少年の健全な育成を妨げるおそれのないものであること。
(6)事実に反する誇大な表現や、誤った予断をもたせる表現などで、鉄道利用者に不利益を与えるおそれのないものであること。

電車内に遊園地プールの広告を出すことは不適切ではありません。しかしなぜ、肌を露出した女性の水着姿だけがグラビアのように過剰にクローズアップされた広告に、許可が出ているのでしょうか。女性性という属性を、男性目線で利用・消費する姿勢を感じ、一女性利用者として多大な不快感を与えられています。また、ナイトプールに対する誤った予断を持つ要因にもならないかとも、危惧してもおります。どうか上記JAFRA制定が遵守されるよう、ご配慮いただくことを希望します。

ちなみに同様のセクシュアルハラスメントが、企業においてはどのように扱われているのかを付記させてください。

厚生労働省の定める労災の「心理的負荷による精神障害の認定基準」、業務による心理的負荷評価表(別表1)特別な出来事以外の「具体的出来事」の表では、心理的負荷弱にあたるものとして、二種類のセクシュアルハラスメントが例示列挙されています。
それは、
・「〇〇ちゃん」等のセクシュアルハラスメントに当たる発言をされた場合
・職場内に水着姿の女性のポスター等を掲示された場合
の二点です。

これらから、少なくとも本件女性水着姿の広告掲示は、電車を利用する不特定多数の女性乗客に、厚生労働省認定基準レベルでの性的心理的負荷を与え、健康被害を引き起こす蓋然性が内在し、誘発している危険性が高いのです。

電車の車内吊りセクハラ広告については、以前から関心をもっておりました。もし御社からご返信をいただけました折りには、わたくしの所属する公益財団法人21世紀職業財団ハラスメント防止コンサルタント他、各団体と共有し、勉強材料とさせていただく所存でございます。
よろしければ、本件水着広告掲載決定に至るまでのフロー、基準を審査する決定権者の有無、そしてこのたびのわたくしの利用者意見がどのように処理され、今後生かされるのか等、ご教示いただけましたら幸いです。

世界各国を見渡しましても、公共鉄道内で、女性性を商品化するようなセクハラ広告というものは一般に見当たりません。
日本のジェンダーギャップ指数は毎年世界で100位以下と低順位ですが、2020年の東京オリンピックに向けて、このような部分から世界標準に合わせ、他国の皆さまにも安心して乗車していただけるようご配慮いただくことを切に希望しております。

恐縮ではございますが、一度、8月27日(日)までに進捗状況をご返信いただけますでしょうか。お汲みくださいますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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目から鱗がポロポロ落ちるセクハラの話: これが意識の最前線!

 

サントリー絶頂CMをテキストに、改めてセクハラについて考える

【サントリー 頂(いただき)絶頂うまい出張CM(総集編)】

女性1:「あれ?大丈夫ですか?」(笑顔でのぞき込若い女性。バックは居酒屋)

テロップ   出張先でめぐりあった

女性2:「ねえ、どっから来たん?」(居酒屋。笑顔の女性)
女性3:「二人っきりになっちゃいましたね」(華料理店。おたまで鍋をよそいながら、照れたように笑う女性)

女性4:「あたし、一週間前にフラれてまって」(寿司屋? のカウンター。けだるげに上目遣いで見る女性)

女性5:「座ってもいいですか?」(屋外のカフェ。肩を出した服を着た女性が目を輝かせてお願いしてくる)
女性6:「食べようで食べようでおいしかけん」(居酒屋シーン)

女性7:「ふにゃぽにょ?」(お好み焼き屋で。舌っ足らずな口調)
女性3:「肉汁いっぱい出ました」(中華料理店)

女性2:「えー一流企業」(驚き目を見開いて口を押さえる女性。たすき掛けにしたバッグの紐で胸が強調されている。)

女性5:(屋外カフェで焼きトウモロコシをむしゃむしゃ食べる姿だけが映像が流れる)
女性6:(口に箸を入れ、食べる映像だけが流れる)
女性4:(口に箸を入れ、食べる映像だけが流れる)
女性7:(お好み焼きのコテを口に入れ、食べる映像だけが流れる)
女性3:(手づかみで食べる映像だけが流れる)

女性4と3:(ジョッキでビールを飲む映像。音楽とともに)コックゥーーーん!!!

テロップ   コックゥーーーん!!!
女性5と2:気持ちよさそうにビールを飲む映像

テロップ   たくさんの「コックゥーーーん!!!」の文字が飛び交う
女性7と6:気持ちよさそうにビールを飲む映像

テロップ   コックゥ~~~ん!!!しちゃう?!
女性7:「コックゥ~ん! しちゃった・・・♡」

ナレーション:「絶頂うまい出張CM」

 

【このCMのどこがダメか。不快のポイント】

現在公開されている動画は、比較的問題のないシーンをつなぎあわせた「総集編」です。各都市別の「ご当地編」がありましたが、あまりに露骨なAV臭と卑猥表現により削除されたようです。しかし視聴可能な「総集編」ですら、セクハラ要素がつまっていますので、改めて何がセクハラかということを考えてみたいと思います。

 その1:女性を「性的好奇心」の対象としてしか表現していない。

CM全般がまるで、男性に都合のよい妄想を凝縮させた出会い系ゲームのようです。

「二人っきりになっちゃいましたね」「あたし、一週間前にフラれてまって」「座ってもいいですか?」「ふにゃぽにょ?」「肉汁いっぱい出ました」「えー一流企業」

CM内では、出会う女性がすべて若く感じよく、出張で訪れた「自分」に気があるかのような意味深な態度で「接待」してくれます。会話のなかには何ひとつ「対等な人間としての目線」は出てきません。女性は胸の大きさが強調された服を着て、男性の性的満足と自己顕示欲を満たす会話のみをしてきます。
女性の近況やシチュエーションなど、詳細な伏線が張られているのがまた、男性の妄想執念を突きつけられているようで、なんとも気持ちの悪い内容です。

CM内では「えー一流企業」と、男性の肩書きに女性が驚き、尊敬と好意のまなざしを向けてそれをきっかけにアバンチュールがはじまる・・・・・・という伏線のようです。

果たしてその「一流企業」のモデルとなっている「自分」は、サントリー社員なのか、それとも制作に携わった広告代理店の電通社員なのでしょうか。どちらにしても、あまりにご都合主義なシチュエーションは、まるで「一流企業」制作者の日常風景を切り取り、かいま見せられたかのようで、奇妙な俗臭を感じます。

ちなみに出演している女性達は全員が「グラビアアイドル」とのこと。「一流企業」男性は、常日頃からこのような「グラビアアイドル」との合コンや、クラブ接待やキャバクラ接待により、ちやほやと男尊女卑のおもてなしを受け、それが男女関係のスタンダードな社会モデルであるとかん違いしてしまっているのかと、穿ってしまう内容です。
サントリー社内および電通社内での、女子社員へのセクハラ加害が懸念されます。

 

  その2:セックスを暗喩させるような表現をあえて使用している。

出張各地で女性と出会い、美味しい食べ物を堪能している・・・という事実だけでは片付けられない、妙なメタファー(暗喩)が随所に散りばめられています。削除された「ご当地編」をお見せできないのが残念ですが、「総集編」でもその性的濃度は薄まらず、残存しています。

サントリーの公式サイトからは削除されましたが、YouTubeではまだ「総集編」が流れ、書き込まれた感想を読むことができます。皆さまなかなかにコメント力があり、的を射ているのでご紹介いたします。

コメント1:「絶頂」はセックスして射精したときの事です。「コックゥ~ん」は精子を飲むこと「ごっくん」やセックスしてオーガズムを迎えたときのこと。

コメント2:「下ネタを連想する方がおかしい」って人逆に大丈夫? 多分これでエロと全く関係ないと思ってる人は、暗黙のルールとか隠れた意味とか、行間が読めないいわゆる「アスペ」のようなものだと思う。

コメント3:「エロい」じゃなくて「下品」が俺の中での正解

コメント4:出演者全員グラビアで、「絶頂」「肉汁いっぱい出ました」「(火照った様子で)暑くないと? もぉ元気良すぎやん!」「お酒飲みながらしゃぶるのがうみゃあ」というあきらかにビールとは関係のない説明、はるまきを口の中に入れてほうばってる絵とか、「こっくぅーんしちゃった」という意味不明な言葉は、AVでよくやる、(精液を)「ごっくんしちゃった」ってのをもじってるわけ。エロを暗喩しているダブルミーニングってキモいと俺も思う。知性のないおっさんのセンス。女子アナにバナナを食べさせるとか、アイドルにフランクフルトを食べさせて、その横で芸人がニヤニヤしているとかと一緒だな。きもい。

もはや私から補足する必要はないほど、皆さんCMの意図を理解しています。

 

【「性的好奇心」をアウトプットするのはすでにセクハラ】

「総集編」では明確な性表現がないだけに、制作サイドは「セーフ」と思っているのでしょうか。しかし全編を通して「性的好奇心」は読み取れます。

すでにご存じの方も多いかと思いますが、男女雇用機会均等法11条では、職場における性的な言動に起因する問題に関する雇用管理上の措置、いわゆる「セクハラ条項」を定めています。個人を「性的存在」として扱うことは労働者に心理的負荷を与え、労働力を低下させ、精神障害を罹患させる危険性が内在します。

近年、セクシュアルハラスメントやパワーハラスメントを原因とした精神障害の労災申請が急増していますが、労災の認定基準は、厚生労働省、都道府県労働局、労働基準監督署の連名で出されているパンフレット(ネット上でも閲覧可能)から確認できます。
パンフレットには「1・病気やケガ」~「36・セクシュアルハラスメント」まで、労働者が心理的負荷を受けるであろう出来事が36項目に細分化されていますが、その中で、セクシュアルハラスメントの事例として、

・「〇〇ちゃん」等のセクシュアルハラスメントにあたる発言をされた場合
・職場内に水着姿の女性のポスター等を掲示された場合

この二点が例示列挙されているのです。

 

このように、女性を「ちゃんづけ」で呼ぶことは、一度限りですら、女性に対し心理的負荷を与える内容として、厚生労働省の労災認定基準で正式なカウント材料に明記されています。

また、ヌードポスター掲示など、男性が女性を「性的対象」とみなしている事実をあからさまに突きつけることも、一度限りですら心理的負荷を与える内容とされているのです。

これほどまでに男性が女性を「性扱い」することは、ダメージとストレスを与えるいじめにも等しい攻撃だという基準がありながら、日本社会の相当数の男性達はこれを「絵空事」だと思っているのでしょうか。あらゆるシーンにおいて、ためらわず女性を「性的いきもの」扱いしてきます。

 

【男性からの批判の声も多かった】

今回私が救いを感じたのは、男性の多くが不快感を示したことです。
知人男性達も、「鳥肌たつ」「気持ち悪い」「これをNGと感じない男性は、職場の多くのシーンで、女性を不快にさせていることでしょう」「二人きり~ や最近フラれた~ は解説いらずだが、初対面男に飲み屋で言うな」など、CMの異常性に拒否反応を示しています。

一方で、あまり不快に思わないという声もあるようです。その声の方々も、さすがに削除された「ご当地編」を見れば、このCMの意図を知り「なるほどダメだ」と気づいたのかもしれません。
しかし「総集編」だけでもセクハラ要素は満載ですから、これをテキストに、改めて「セクハラとはどういうことなのか」を考えてみていただきたいと思います。

 

ちなみにハフポスト日本版は、このCMにつき7月8日の記事で、『都合のいい女性像を性的に表現』というタイトルで、21歳の一般男性(大学生)に意見を聞いています。男性は、以下のように語っていました。

「女性を出張先の『ご当地品』のように扱っているように感じ、下品な表現もあり、不快です。(男性目線でも)いいな、と全く思いません。特に『女性の活躍を支援する』と謳っているサントリーが、女性を見下すような広告を作っているのはとても残念です。女性を『ご当地品』扱いし、バカっぽくし、(AVを連想させるような)下品なニュアンスを使うーー。これは制作者側の女性に対する蔑視や、あるいは無理解によるものではないでしょうか。どちらかといえば前者だとは思います。オムツCMの「無知」による炎上とは違い、女性に対する蔑視が感じられます。」

 

【炎上目的ならばまだ救いがあった】

ネットをのぞくと、「炎上目的」であえて制作された、という意見も見受けられました。しかしこれについてはサントリー側が「炎上目的ではなかった」と釈明しています。

私もかなり初期の段階から、『これは「炎上目的」ではないな』と感じていました。なぜなら、このような「無自覚セクハラの男性」に、私自身が数え切れないほど出会ってきたからです。

仮にこれが「炎上目的」ならば、まだ救いがありました。少なくとも、「セクハラ」が「何」であるかを理解しているからです。しかし実際のところ制作者は「不快を与えているという意識すらない」のが実態でしょう。

 

【差別を差別と気づけない恐ろしさ】

ブロガーのちきりんさんは、「世界を歩いて考えよう」(だいわ文庫)という著書のなかで、「格差が意識されない社会」の恐ろしさを書いていました。

それはちきりんさんがインドのデリーを旅行したときのことです。きれいな制服を着た三人の小学校3、4年くらいの女の子が、アイスバーを食べながら、リクシャー(三輪自転車のような人力タクシー)に乗り下校する姿に出会いました。楽しそうにおしゃべりする女の子たちを「かわいいな」と思い見ていたちきりんさんですが、視線を移してはっとしたそうです。そのリクシャーを引いているのが、下半身に布だけ巻いた、汗と砂にまみれた、まだ幼い少年だったからです。

ちきりんさんは著書の中で語っています。

『彼女らにとっては普通の日常です。小さい頃から親と一緒に乗っているリクシャーです。制服を着て学校に通う自分も、周りの友人と比べて特に恵まれているわけでもないでしょう。彼女らにとっては「リクシャーに乗って学校に行く自分」と「リクシャーを引く同い年の男の子」の存在は、なんの矛盾も抱かせない「日常の風景」なのだと思います。・・・・・・』

 

私はこれを読んだとき、少年のことを思い胸が苦しくなりました。そして同時に、すぐに日本の女性蔑視を思いました。

あまりに当たり前に、あまりに自然に、あまりに巧妙に、あまりに日常的に、音も立てずにひっそりと日本社会に溶け込んでいる、女性への性的軽視と、性存在という鋳型。

それは「差別」だと気づかせないほど「日常の風景」として成立しています。女性を「性的いきもの」として矯正することをやめず、あらゆる場面でその行為に慣れきってしまい、もはや「差別」だとすら気づけないのです。

 

おそらくサントリー絶頂CMの「制作者のような男性達」は、「CMのような女性達」に囲まれて生きてきたのではないでしょうか。「CMのような女性達」は、彼らにとって女性のスタンダードなのです。それゆえ彼らにとって、このような「無自覚セクハラ」CMストーリーは、何の違和感もない、極めて自然な意識からくる「日常の風景」なのでしょう。

 

【なぜこれをおかしいと気づけないのか。女性性消費が「日常の風景」となっている社会】

今回のサントリーCMに限らず、女性を「萌えキャラ」「性的アイコン」等の性的存在として扱う制作物は後を絶ちません。伊勢市の碧志摩メグ、ルミネのセクハラCM、HISの「東大生美女図鑑」、志布志市の美少女うなぎCM、雑誌VOCEでの女性賞味期限、そして残念なことに、この記事を書いている最中には、「宮城県観光PR動画」でタレント壇蜜氏が登場するセクハラエロ動画が、行政広告として配信されました。

 

なぜこれらを「おかしい」と気づけないのでしょうか。

さきほどのインドの「日常の風景」よろしく、それは「おかしい」と気づけないほど、女性の性商品化が日常に溶け込んでいるからです。率直にいってしまえば、日本で「女性性のデフレ化」が起きていて、女性の価値そのものが著しく低下し、女性全般を「性」として軽んじることに罪悪感を抱けなくなっているのです。

どの国でも一定数の性産業は存在するでしょう。合法・非合法、また善し悪しは別として、一掃することはむずかしいのが現実だと思います。

しかし日本ほど「素人女性」と「玄人女性」の境がグレー化している国はありません。AVや風俗などのハードなものから、キャバクラ、JKビジネス、ガールズバーなどライトなものまで、あらゆる角度から「一般女性を性商品化」するビジネスが蔓延しています。

そしてそこで働くのは、食べるものにも困る・・・という最貧困層にいる女性でもなく、能力がなくてほかの仕事ができない・・・という女性でもない、いわゆる「ごく普通の一般女性」も多いのです。

ガールズバーで働くアルバイト女性の「学生率」が多いことには驚かされます。ガールズバーの時給相場は1500円~2000円くらいということで、たしかにほかのアルバイトに比べ、少し高めではあります。しかしその数百円のなかの、「性を商品化する」ことの重み、そこから損なわれる個人の尊厳というものは、果たしてしっかりと受け止められているのでしょうか。
性をビジネスにする忌避感が鈍磨し、日本という国の全体倫理意識が低下しているように感じます。

実際に私がよく受けるセクハラ発言の内容として、キャバクラや水商売を「普通の女性がカンタンにするもの」といった、男性からの女性軽視セクハラ発言は後を絶ちません。

 

女性を「性的いきもの」として軽んじることをタブー視できない、忌避事項だと気づけない。あまりに女性消費ビジネスが整いすぎた社会環境のなか、「性を商品化したくない女性達」の声が届きにくく、淡く小さくかき消されそうになっていることは事実です。このような環境で男女共同参画社会が進行しないのも、しごく当然のなりゆきではないでしょうか。

今回のサントリーCMも、居酒屋等で出会った「普通の女性」を、性的好奇心のみで表現することをタブー視できない、麻痺した性意識から制作された、無自覚セクハラの一例です。

 

【意識の常識は変化している。気づいた後が大事】

男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年ですが、当時、職場の男性達は「女子社員の肩をもんであげたり、エッチな質問をすることなんか、ただのコミュニケーションだよ。こんなことまで禁止されたら窮屈で仕事なんかまわらないよ」と言っていました。
それが今では一応、「非常識」「セクハラ」だという意識が定着しています。

意識の常識は変化しています。そして、変化しなくてはいけないものだと思っています。
今回の「総集編」をセクハラとすぐには気づけなかった人も、10年後、20年後には、「女性への性的好奇心を表示することそのものが非常識」という認識を抱けるように、変化してくるのではないでしょうか。せめてこのCMが、その「気づき」のきっかけになればよいのですが。

 

そして大切なのは、「気づいた後」です。
気づいただけで実生活にドロップダウンできないのであれば、それは気づかなかったことと同様になってしまいます。

世の中には多様な立場や意識が存在しています。私自身も、SNS等の記事を読んで、今まで気づかなかった車椅子やベビーカーを使用する方の不便、援助が必要なヘルプマーク、ハートプラスマークなど、初めて気づくことが多いものです。
しかし「気づいた後」は注意力を高め、小さなヘルプとなるよう実行化しています。

他者への思いやりというのは、人間としての「品格」ではないでしょうか。日本社会における男女平等概念の「品格」が、少しでも向上するよう願ってやみません。

 

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イスラムビジネス成功の鍵はムスリマ(イスラム教女性信者)理解にあり

ムスリマとは、イスラム教の女性信者のことです。
男性信者が「ムスリム」、女性信者が「ムスリマ」です。

現在、イスラム教信者は世界に約16億人いるといわれています。世界の4分の1がイスラム教徒という割合です。数年後には20億人に追いつくという声もあります。
米調査機関ピュー・リサーチ・センターは、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年にはイスラム教徒が最大勢力になるとの予測をまとめました。

 

 

日本でも、2020年の東京オリンピック・パラリンピックにむけて、急ピッチで準備が進められています。

JR東日本は2017年6月2日、東京駅構内に設けたイスラム教徒向けの祈祷室を報道陣に公開しました。またホテル、デパート業界では、イスラム教信者用の祈祷室スペースを確保するため、整備に努めている最中です。
私が実際に見たところでは、髙島屋新宿店では、すでに11階に祈祷室が作られていました(文末写真)。イスラム富裕層の顧客を取り込む戦略からでしょう。

イスラム教徒の訪日客が急増するなか、以前から祈祷室の設置需要が高まっていたといいます。旅行中でもお祈りできる環境を整えることで、訪日客へのサービス向上につなげているのです。

 

先日のサウジアラビアのサルマン国王来日には、日本中がどよめきました。持ち込みのエスカレーター式タラップで専用機から降りてきた様子は、皆さまの記憶にも新しいでしょう。
今回の国王来日に際し、飛行機40機、ハイヤー500代、高級ホテル1200室が押さえられ、まさに「サルマン国王特需」に沸きました。

 

東南アジア、中東、アフリカ、いずれもイスラム圏の富裕層の富裕っぷりはハンパないです。私はドバイ国際空港で、オイルマネーの底力を存分に見せつけられました。

空港というのは、その国の個性や財力がモロに出ます。

アラブ首長国連邦のドバイ国際空港では、なぜか幹すべてが「金の延べ棒」でできている「黄金の椰子の木」が生えており、免税店では用途不明な「黄金のしめ縄」が売られていました。1枚三万円くらいの宝くじも売られており、数千万円の現物高級車が景品として陳列され、その宝くじを束でポンポンと買ってゆくアラブの金持ちと、ヒジャーブをまとった奥方らしき美女。

極東から来たバックパッカー風日本人の私は、アイスを食べながらそれをぼんやりとながめていました。

 

のんきな島国日本では、いまだイスラム教に対する理解が浅いです。食べ物や礼拝、断食についてもそうですが、特に文化について見識が浅いように思えます。

たとえばイスラム教の女性(ムスリマ)は、厳密にいえば、夫以外の男性と握手することすら禁止です。
気軽に異性と「接触」はしません。

 

わたしを含め、「不必要に男性と握手したくない」という女性は、じつは日本にも結構います。若年世代に顕著な潔癖症もいるでしょうし、男性との肌接触だけが嫌、という女性もいるでしょう。
私などは「脂性なので、すみません」と男性との握手は断るようにしていますが、イスラム教であれば、本来断る口実にも気を遣わすに済むのだな、とうらやましくなります。

 

イスラム教の女性(ムスリマ)は、女性として生まれたことそのものが尊いものだという自負があり、「宝石」として扱われてきた生育歴があり、自分たち女性のセクシュアリティが「高貴で尊い」という自信とプライドに満ちあふれています。

「美しい私に触れるなんて、夫以外はお断りよ」
「私の尊い女性性は、自分が選んだ特別な男(夫)だけが享受できるものなの」

 

JKビジネスやキャバクラや風俗といった、女性を「性」として軽んじ、消費することに慣れきった日本人男性が、果たしておなじような感覚でイスラム教の女性に接したらどうなるのでしょうか。
性的なジョークなど言おうものなら、もう死刑に等しい侮辱です。会社の始末書どころでは済まされない、国家間の外交問題にすらなり得ます。

 

女性の髪や身体のラインなどをヒジャーブで隠し、「女性の美しさ」を男性がタダ見することすら許されない、というのがイスラム教です。
「性的興味の視線」そのものが、男性欲求の無礼な「消費」であると考えるこの感性、女性消費に慣れきった日本人には理解できないのではないでしょうか。

 

オイルマネーはまだまだ健在です。新エネルギーの開発は進められていますし、サウジアラビアも「脱石油依存」に向けて外交を展開していますが、中東で独占的に既得権益を得てきた富裕層がそうたやすく利権を手放すとは思えません。

 

昨年2016年には、集光型太陽熱発電(CPV:concentrated photovoltaic)方式で、世界最大となる発電所が北アフリカ・モロッコのサハラ砂漠に完成し、すでに運転を開始しています。

じつはサハラ砂漠の2%をHCPVT(High Concentration Photovoltaic Thermal)システムで覆い尽くせば、世界の電力需要を満たすことができるという計算なのです。

太陽エネルギーの実用化が進んだとして、送電技術やコストの面でまだ改善点が残り、安価に庶民に流通するのは、まだ先のことでしょう。仮に前倒しで実用可能になったとして、モロッコがそうであるように、太陽熱を集積する砂漠地域は、ほとんどがイスラム教徒です。

いずれにしても、イスラム圏が将来有望なビジネスパートナーであるという潜在性は変わらないのです。

 

和食の面でも動きが出ています。
調味料製造のフンドーキン醤油(大分県臼杵市)は、別府市の立命館アジア太平洋大(APU)と共同で、イスラム教の戒律に従った「ハラル」対応のしょうゆ開発を始めました。訪日のイスラム旅行者ニーズに加え、東南アジア等への輸出を視野に年内の販売を目指しているのです。和食に関心のあるイスラム教徒は多く、すでに世界中から輸出の問い合わせが殺到しているそうです。

 

イスラム圏はまさに日本にとってビジネスのブルーオーシャンです。それなのに日本がいまだビジネスチャンスをものにできていないのは、日本の「女性消費」文化とイスラム圏の「女性尊重」文化の概念が乖離しすぎ、それが弊害となっている部分が多いように思えます。

イスラムマネーの恩恵にあずかりたいのであれば、やはり文化の理解と受容は不可欠です。イスラム教の女性尊重意識も平行して取り入れなければダメでしょう。

ここにきて女性性を軽んじる「男尊女卑」の日本文化は、厳しい意識改革をせまられることになりそうです。

 

イスラムマネーの恩恵にあずかりたいのであれば、「女性性消費意識」を捨てること。その切り替えができなければ、日本は世界経済から取り残されることになります。

イスラムビジネスのその先には、20億人ターゲットの、果てしないチャンスが眠っているのです。

(下記は新宿高島屋店の祈祷室 ↓)

 

ハラールオリーブオイル♪

気づかず発生していた会社のパワハラに思うこと

周囲に認知されている、いわゆる「評判」のハラッサーについては、いざハラスメントが問題視されたときに、社内での証言や共感を得やすいかもしれません。

ところが現実には、「まさかあの人が…!」という人物が、周囲に悟られずにひっそりと加害しているケースもあるものです。そのような場合、被害者サイドがいかに証拠を確保するか、あるいは理解ある上司の存在というものが、解決に向けて大きく影響してくるでしょう。

 

私がかつて在職していたWEB制作事業の会社でも、やはりいろいろなトラブルがありました。その中でも、私自身がまったく気づかずに発生していたパワーハラスメントがあり、退職後、しばらくしてからその事実を聞かされ、たいへん驚いたものです。

しかも被害者は、自分と仲の良かった女性同僚。加害者というのが、仕事でそこそこ絡んでいた男性同僚Dだったので、初めて話を聞かされたときは、まさに青天の霹靂でした。

 

当時、女性同僚の川田さん(仮名)はデザイナーチームに在籍し、私はライターチームに所属していました。男性同僚Dは、川田さんと同じコンテンツを作る技術チームだったのですが、昼休みなど人気がないときをねらい、川田さんのデスクを通るとき、すれ違いざま小声で暴言を吐いていたということです。

「お前、ウザいんだよ」「いつまでいるつもりだ、早く辞めろよ」「チームのクソ荷物だな」
などなど……。

また、社内IPメッセンジャーで、発信元がわからないようにして、いやがらせのメッセを何度も送っていたということです。

 

意味がわからない……、というのが私の第一印象でした。
「(なぜ? なんのために? なぜ川田さんにだけ?)」
Dは、私と仕事で絡むときには、そのようなそぶりを見せたことは、一度もありませんでした。

 

Dは、身長180近くあり、ガタイがよくて、熊のように朴訥な感じのする男性。少々ぶっきらぼうではあるけれど、感情的になったり激したりするところは見たことがなく、どちらかといえば淡々としていて、私の隣のデスクの男性同僚Iとはよく、「猫村さん」の漫画の話などで盛り上がっていましたから、むしろ私としては、「無骨でシャイな、微笑ましい熊さんキャラ」くらいに認識していたのです。

ですから川田さんの話は、本当に仰天しました。

 

「Dがそうしてくる原因っていうか…、何か思い当たるようなフシってあったの?」
私がそう尋ねると、川田さんは首をふりました。
「さあ。単に私がおとなしそうで、後から入ってきた新人だったから、ストレス発散のターゲットにしやすかったんじゃないですか?」

川田さんは、決して嘘をつくような人ではありません。会社外でも何度か食事をしたり、飲みに行ったりしていましたから、人柄については個人的にもよく知っています。一見おとなしそうですが、とても芯が強く、自分というものを持っている賢い女性でした。仕事もしっかりとこなしていましたし、その他の人間関係は極めて良好でした。

 

川田さんは最初、直接Dに苦情を言ったそうです。
「どうしてこんなことするんですか。変なメッセ送るのもやめてください」と。

しかしDは、「は? 何のことですか?」としらばっくれるばかりで、一向に攻撃をやめない。仕方がないので、川田さんはしばらくして、チームリーダーの男性上司に相談しました。

このチームリーダーというのが、普段はあまり発言することのない、どちらかといえば影の薄い男性だと私は思っていたのですが、川田さんの話を聞き、意外や意外、すぐに対応してくれたそうです。

しかしDは、チームリーダーの聴取に対しても白を切り通しました。
「は? 何のことですか。証拠もないのに、変なこと言わないでくださいよ。川田さんの妄想じゃないですか? ヤバイですよ、あの人」
などと、逆に川田さんを妄想狂扱いしてくる始末です。

 

チームリーダーは、川田さんを全面的にかばいました。彼はDからの聴取を終え、川田さんにこう伝えたそうです。

「D君は、自分はそんなことしていないし、証拠だってないだろう……と言っているけれど、俺は川田さんを信じるから。こんなことを、何の根拠もなしにわざわざ相談してくるはずはない。たしかに証拠は無いけれど、川田さんは正直に話しているんだと思う。俺の考えは、D君にも伝えてあるから。自分は今後、いろいろなところでD君の動向を見張っているよ、と。だからまた嫌なことがあったら、すぐに言ってきてほしい」

それ以来、パワハラはぱたっと止んだそうです。

私は正直、このチームリーダーのことを、普段から「響くような主張も仕事のアピールもしないし、何だか優柔不断な感じのする人だなあ」と、少し頼りない気持ちで見ていたのですが、まったく違う誠実な一面と、信頼できる人間性、また適切なリーダーシップを知り、評価を新たにしたのでした。

また同時に、チームリーダー対してもDに対しても、まったく「ひとを見る目」のなかった自分の、真贋を見分ける目の未熟さに、しばし呆然ともしたのですが。

 

人の本質というのは、普段接している外見からは、なかなかわからないものです。

クルト・ワイル(三文オペラ)「匕首マッキー(マック・ザ・ナイフ)」の歌詞ではありませんが、凶悪事件の加害者の容貌が、いつでも「牙がズラリと並んでいるサメ」だと思ったら大間違い。実際には、優しげで穏やかな笑顔の裏に、凶器のドスを隠し持っているということは、多々あります。

 

私が今回ご紹介したのはパワハラのパターンですが、セクハラのほうはもっとわかりにくく、ハラッサーは周囲に悟られないよう、また証拠を残さないよう、周到に加害に及びがちです。

セクハラハラッサー男性というのは、同性の同僚や上司に見せる顔と、パワー関係が下にある女性に見せる顔とでは、見せる顔がまったく異なります。彼らは力関係が同等、あるいは上位の人間には決して見せない一面を、「立場が下の女性」にだけ、スキをついて露呈してくるのです。

 

しかし周囲は、加害者が「評判のハラッサー」でもない限り、そうそう事実に気づくことはありません。実際に女子社員が無理に壁ドンされたり、卑猥な言葉を投げかけられたりする場面でも目撃しなければ、裏の顔には気づかないのが常でしょう。

なぜならば人は無意識のうちに、自分のなかの「善意」に沿って物事を処理しようとするからです。倫理の中に生きている男性は、倫理外に住んでいる男性のセクハラ加害心理を、歪曲スコープ越しに見にくいのです。

加えてセクハラというものは、女性側の羞恥心や戸惑いにより、被害を申告できないという「女性側の沈黙」を期待して行われることが多いので、周囲は殊更、気づきにくいのだと思います。

しかし現実として、セクハラや性犯罪のニュースが途絶えないように、実際には、日常茶飯事で転がっている出来事ですし、バレなければよい、という意識領域で生きている人は、案外身近に存在するものです。

 

いろいろな人を見てきて思うのですが、人間というものは、自分のメイン領域以外の意識層につき、たやすく想像力を広げられない生き物ではないでしょうか。共感力には個人差がありますが、少なくとも「加害意識」のない人が、顕在化していない「他者の加害意識」に気づくことは、むずかしいと思います。

 

現に私も、同じフロアで仕事をしていながら、川田さんのパワハラ被害に気づきませんでしたし、またあるいは、自分に「万引きをする心理」がないため、実際に万引きをする人の心理や行動にはまったく無頓着に買い物をしているとも思います。品物を選ぶとき、隣の人の手元に着目してはしていないので、だからこそ、もしかしたら今までも、いくつもの万引きを見過ごしていたかもしれないのです。

 

隣を疑え、というと嫌な表現ですが、「自分はしない」を一歩出て、「自分はしないが、隣のこの人はするかもしれない」という疑念を持つ、いわば「注意力」というものは、実社会を生きるに大事な視点ではないでしょうか。その注意力が、他の誰かや、自分の大切な人を救う手立てになるかもしれないからです。

「加害意識」を知り、「被害意識」に共感する。自分領域以外の意識多層にシンクロしてみることが、必要なのだと思います。

そして双方を認知したうえで、弱者側の立場や心の痛みを、自分のものとして追跡(トレース)してみる―――これはハラスメントに限らず、身体の不自由な方、児童、妊婦、シングルマザー、疾病者、高齢者層、非正規職員など、すべての弱者的領域について―――が、望ましいと思うのですが。

 

各自が注意力を養い、弱者意識のトレースにチャレンジしてみる。それだけでずいぶんと、この社会は優しい住処になるのではないでしょうか。

 

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男性保育士問題と、診療室での医師のドクターセクハラ(ドクセクハラ)

男性保育士の可否については、複数のライターさんが腑に落ちる記事を書いてくださっているので、私自身が言語化しなくてもよいかと思いましたが、やはり私個人の経験からお伝えできることもあるので、記事にしておきます。

結論から申し上げると、私は「男性保育士を認めたうえで、業務内容の区別措置を講ずるのが適切」だと考えます。その理由を以下に記載します。

 

【他国の女児に対する扱い】

まず、他国の女児への扱いを見てみましょう。「性」の人権価値、女性の性的自己決定権については各国共通の普遍的な事柄ですから、他国を参考にすることは極めて妥当です。

アメリカやヨーロッパでは、父親と娘が一緒にお風呂に入るのもNGです。密室で何が行われているかわからない環境に、たとえ父親であれ男性と女児を一緒にするのは、一種の児童虐待であると考えるからです。

アメリカやヨーロッパなどの欧米諸国では、お風呂場はプライバシーが守られるべき場所という考えが強く、それを侵害するのは犯罪にもなりかねないほど非常識なことです。

とある先進国に在住の邦人一家では、現地校に通っている娘さんが、作文に「お父さんとお風呂にはいるのが楽しみです」と書いたところ、学校から警察に通報され、父親が性的虐待の疑いで逮捕されてしまったということです。

それほどまでに、女児の性的人権を国全体で保護する意識が根付いています。

 

【女児が性的対象であるという事実】

子供の頃から「スカートめくり」があるように、女児に対し、幼児期から(幼児同士であれ)、男性の性的関心が存在しているのは現実です。すべての男性が成長とともに、自分と同年齢の大人の女性を性的対象とするとは限りません。

そもそも、自我の確立した成熟した女性を求める国柄であれば、JKビジネスがこれほどもてはやされるわけはありません。女児が一定数の男性にとって「性的対象」であるという現実を、もっと直視すべきでしょう。

 

ちなみに私が初めて痴漢にあったのは、四歳のときです。しかしそれを語ったのは、これが初めてです。親にも誰にも言ったことはありません。
通行人が来たため、痴漢はすぐに逃げましたが、女児の性被害というのは、これほどまでに発信に時間のブランクを要する、女性にとって語りにくい、心に傷を負う出来事といえます。

私は文章も書きハラスメントの資格を持つなど、ある程度は表現能力のある人間ですが、その私ですらこうですから、黙秘されている被害は世間には数えきれないほどあるでしょう。

ちなみに私の知人女性も、八歳のときに初めて痴漢にあい、そのことを周囲に言えるようになったのは、五十歳を過ぎてからだと語っていました。

 

多くの人に知っていただきたいのは、今、世間で明るみに出ている性被害やセクハラは、「見える星の数」です。実際の被害は「見えない星の数」だけ存在しています。そしてそれは「忘れてしまった」からではなく、女性の多くが「傷ついて言い出せなかった」からなのです。

ましてや女児ともなれば、何をどのように伝えてよいかすらわからず、しかし人権侵害をされたという言語化できない屈辱感と嫌悪感は消えず、生涯を通じて、心に傷を残すこととなるでしょう。

性被害を事前にブロックできる措置は、可能な限り講ずるべきです。性被害というのは、起こるか起こらないかの「テロ」ではなく、工事現場の「落下防止ネット」と同じくらい、防止措置を講じて当然のものと考えるべきです。

 

【女児自身のメンタルヘルスと防衛】

また私は、男性保育士に着替えやトイレを任せることによる、女児自身の心理的負荷にも着目します。

女児であっても、男性への性的恐怖や性的羞恥心には、個人差があります。私は男性保育士に世話をされた経験がありませんが、もし幼児期、自分が男性保育士に、着替えやトイレの世話をされたら、とても嫌だったであろうという確信はあります。
たとえ男性保育士に性的意図がなかったとしても、やはり抵抗感があるでしょう。

女児個人の性質により、感じ方は違います。男性保育士の着替えやトイレを容認すると、人生に影響を及ぼすトラウマになる危険性もありますから、メンタルヘルスの側面から、女児への配慮が求められます。

「子供は無邪気」のような決めつけは大人の幻想です。

日本ではむしろ、「性的に無邪気でない女児」に対して、「ませている」など、悪印象を抱く傾向がありますが、それは反面、性的被害にあったときにも「無邪気を装わなければいけない」という圧力を与え、被害を告発できない心理的呪縛を生み、ともすれば被害を受けたことが「無邪気でない自分」の責任であるかのような罪悪感へと転化し、性被害を申告しにくい環境を作りあげてもいるのです。

「早熟でませている」という雑駁な視点と、「早期に性的価値を自覚し自己防衛意識を高める」という視点は別です。

子供自身に幼児期から、「性的に無邪気でない」ことこそが、個人の重要な自己防衛権利であると教え、「毅然とした拒絶」が正当化され、慣習化される教育と環境づくりを推奨し、男女ともにその意識を浸透させることが、気軽に性加害を起こせない社会づくりにつながり、ひいては性犯罪抑止にも資するのではないでしょうか。

 

【男性保育士と男性医師との比較について】

男性保育士と男性医師を比較し、「男性医師は専門性が高いから女性患者を診られるのに、男性保育士が女児の着替えを手伝えないのは、保育士を下に見る職業差別だ」と、問題が「専門性」に及ぶ意見もありますが、私は保育士と医師を比較すること自体が失当であると考えます。

男性側のプライドとしての専門性バイアスを語る前に、受動者である「女性個人の人権問題」が先です。もっと総括的に、性的な扱いに対して全般の保護を強化するべきでしょう。

 

なぜそう言えるかといいますと、私自身が、乳がん検診の際、密室で医師からセクハラを受けた経験があるからです。その点で、私は男性医師も男性保育士も、潜在的な性加害可能性は変わらないと思っています。

女性患者は皆、医師がセクハラをするなどとは疑いもせず、「医師としての視点」を前提に診療室に入ります。しかし実際のところ、その信頼を悪用する医師も存在します。

私が検診を受けた医師は、私に対する性的関心を露骨に示し、その態度を隠そうともせず、裸を見て、乳がんとは無関係の卑猥な発言をしてきました。その際、女性看護師の立ち合いなどはなかったため、それらは証明できません。「医師としての視点」がないのであれば、診療とはいえず、ただのわいせつ行為です。

 

じつは医療機関での性被害やセクハラは、驚くほど多く、それなのに、そのほとんどが表面化することなく隠ぺいされています。ドクターセクハラ、いわゆる「ドクセクハラ」は、今や幼児の性被害より深刻かもしれません。

私はこの件につき、匿名でほかの女性たちと情報共有したことがあります。私のもとには、たくさんの女性から医療機関でのセクハラ被害報告が寄せられました。
やはり乳がん検診が最も多く、その他には内科や耳鼻科、はては美容外科クリニックにおいての被害報告もありました。そしてそのなかの誰一人として、私以外に被害を明るみに出した女性はいない、というのが現実です。

 

なぜなら診療室というのは、極めて証拠の取りにくい密室であり、また知識のうえで上位に立つ医師が「強者」となり、患者との間には一種の心理的な上下支配関係が存在し、「強者」たる医師の恣意的言動が放置される場所だからです。患者側には「弱者」として、さまざまな従属が強いられます。

「密室での出来事なので証明できない(テリトリーの弱者)」
「おそらく皆、社会的地位のある医師の発言を信じるだろう(立場の弱者)」
「医療行為だと主張されたらそれまでだ(知識の弱者)」

このような考えから、強度の精神的外傷を受けながらも告発できずに、女性は泣き寝入りしてしまうのです。

 

男性保育士も同様に、保育所という閉鎖された空間で、弱者である児童との間に、ある種の上下支配関係が発生することは否めません。抵抗力と性的知識の乏しい児童に対し、恣意的な行動が許される「強者」となり得ることは事実です。

私の経験上、「職業的信頼」という善意は、いともたやすく裏切られますし、「強者」としての特権が正義のうちに正しく行使されるのか否か、こちらからは全くわからないのです。

女児を預ける両親が「着替えやトイレトレーニングを男性保育士にさせないでほしい」という申し出は、極めて自然な懸念であり、英断であるといえます。

 

【具体的な施策と、それによるメリット】

では、男性保育士を排除すればよいのかというと、それも合理的ではありません。
実際に保育士が不足している現状、また、日本国憲法13条の幸福追求権、14条の平等権、22条の職業選択の自由に鑑み、職への希望を断つことは不当であると考えます。純粋に子供が好きで、保育士として活躍したい男性もいますので、「機会の平等」を担保したうえで、業務内容を分類して、区別することが望ましいのではないでしょうか。
男性保育士への指導教育、監視を徹底し、着替え、トイレなどの性的配慮が求められる業務については、女性保育士が行えばよいと思います。

「いちいちそんなことをしていたら仕事にならない」

現場ではこのような声も聞こえてきそうですが、シフト制にして、女性保育士不在の時間帯は、女性パートアルバイトを雇いサポートしてもらえば、不可能ではないと思います。リタイアした女性高齢者の雇用拡大にもつながるのではないでしょうか。

 

男性保育士問題は、長期的なビジョンでの対応が求められる事案です。なぜなら女性が仕事をしながら安心して子供を預けられる環境を整備することは、女性活躍推進、男女共同参画の政策に合致しますし、ひいては経済的発展にも資するのです。

また近年、男児の性被害も増加している傾向から、女児への性被害防止措置を講ずることで、男女雇用機会均等法十一条セクハラ条項が、「女性対象」から「男女対象」へと段階的に発展を遂げたよう、結果的に児童全体への保護が徹底化される糸口ともなり得ます。まず枠組みを作ることによって、受益者が増えるのです。

 

【結論】

よって、私は「男性保育士を認めたうえで、業務内容の区別措置を講じ、場合によっては女性パートアルアルバイトを雇い、対応するのが適切」だと考えます。

そのうえで男性保育士側には、女児を扱う際の注意事項を喚起するなどの指導を行い、同時に徹底した監視がなされることを望みます。

また、女児には幼いうちから自己の性的価値を認知させ、むやみに異性が自己の身体の「性的保護部分(ボディプライベートスペース)」に接触したり、またはそれを見るために着衣を脱がそうとしたりするなどの行為に及んだら、大声を上げる、拒絶する、逃げる、周囲に速やかに伝えるなど、保育所において、自己防衛教育を行うことが重要であると思惟します。

最後に補足として、男性保育士が抱える職場環境問題として、職員のための男性用トイレが未だ設置されていない実情が散見しています。意欲低下、プライバシーの保護等、就業継続の弊害となり得ますので、事業主は労働安全衛生規則第628条を遵守し、早急にトイレを女性用と男性用とで分離し、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて、職場における労働者の安全と健康を確保されるべきと考えます。

 

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「減るもんじゃなし」という発想は不法占有である

「たいせつなことはね、目に見えないんだよ……」
サン=テグジュペリ作、『星の王子さま』書中のせりふです。
おっしゃる通りで、大切な価値というのは目にみえません。

 

暗転して恐縮ですが、強姦罪が軽視されるのは、たとえば「男性器を切り取られる」等のケースと異なり、可視化できる「物理的な被害物体」が存在しないことも一因ではないでしょうか。

しかし当然ですが、可視化できないからといって、重篤な被害が存在しないわけではありません。むしろ視認できないからこそ、魂の引き裂かれるような絶望と精神的外傷は、共感力をもって深く理解されなければいけないでしょう。

 

早ければ二〇一七年から性犯罪が厳罰化される見通しです。強姦罪が懲役「三年」以上から「五年」以上になるなど、刑法が改正される可能性が高いようです。世論では「ようやくか…」という歓迎の声が上がっていますが、私はこれでもまだまだ甘いと感じています。

しかしいずれにしても、性被害の精神的損害を、測量し数値化できないという点は変わりません。

強姦罪以外の、セクハラや痴漢の性犯罪に対しては、一層軽視されています。「いいじゃないか、減るもんじゃなし」というご意見の捨てゼリフも何度か耳にしてきました。

当然の話なのですが、「女性性」は、個人所有の財産です。

しかしそのことをまったく理解できていない男性が、じつに多いのです。この宇宙時代、未だに女性は「男性の性消費物」か「従属させられる下位のメイド」か、あるいは「マリア様か妖精か」と勘違いしている、摩訶不思議な「呪い」にかけられてしまったドリーミイな男性が、巷にあふれかえっているように感じます。

 

私自身のセミナーでもたびたび説明してきたのですが、「女性性」は女性個人の権利財産であり、男性が勝手に侵害することは許されません。

もしも痴漢やセクハラといった女性性侵害に対し、「この程度で目くじらたてるな」「減るもんじゃなし」という発想を少しでもお持ちの男性がいるならば、その方は、まず自分の財産が同様に侵害され、搾取されるシーンを想像していただきたいと思うのです。

例えばもし、自分の財布から他者が勝手に千円抜き取ったら。そして怒ったところ、その窃盗犯から「千円くらいで何真剣に怒ってるんだ」と、逆ギレされたらどう思うでしょうか。

あるいは、誰かがあなたの土地に、勝手に家を建てたなら。それは物理的には欠損していませんが、違法な不法占有です。

あなたが驚いて退去を命じたところ、「なんだよ、減るもんじゃなし!」と、居丈高に開き直られたら。不愉快云々という以前に、相手の倫理を疑わないでしょうか。

女性というのは、自分の「性」に対して、このように理不尽な侵害を、いともたやすく強いられます。生まれたときから。ありとあらゆる場面で。あらゆる立場の男性から。

性的自己決定権や性的領域という、目に見えないものの価値は、とてつもなく尊いはずなのですが。

「減るもんじゃない? あのね、この土地は私のものなんですよ。立て札? 立ててあるわけではないけれど、不動産登記をしてありますから、あなたが勝手に侵入したり、あまつさえ勝手に建築物を建てる権利などないのですよ。いや、常識の問題です。ええ、減るわけではありませんよ。減らなければ勝手に何してもいいというものじゃないでしょう。は? 『へ理窟ばっかりこねてこざかしい?』……いえいえ、あのね、子供にお話しするようにもう一度言いますよ。これは私の権利所有であって、あなたのものではないんです。あなたが勝手に侵入したり居座ったり、ゴミを捨てたり、つばを吐いたり、キャッチボールしたりする権利は、残念ながらないんですよ……」

 

感覚としては、おわかりいただけるでしょうか。

要するに、女性性は「個人の私有財産」であり、男性の娯楽のために勝手に消費してよいものではないし、逆に貶めてよいものでもないということなのです。

土地にも、新旧、駅近、日当たり等の、個性は存在するかもしれません。しかし日当たりが悪いからといって、侮蔑して私有地にゴミを投げ捨ててよいものでもありませんし、時流や目的用途により、土地の価値は変動するものですから、少なくとも通りすがりの一個人がジャッジする資格などはありません。

もちろん雑草が生えていたとして、一通行人が、「女子力をあげろ」の意図で、他者の土地を「きれいにしておきなさい」と命令する権限など、さらさらないのです。

大切なのは「他人の私有地」であるという財産制と、それが「男性のものではない」という厳然たる事実です。

 

痴漢、性犯罪、セクハラ。これらは一見「減るもんじゃない」と見えたとしても、じつは女性に対し甚大な損害を与えています。

女性を性的側面でしか見ず、「オンナ」扱いすることに危機感を覚えないという男性は、改めてこの女性固有財産制を意識していただきたいと思います。それは他人の「性的自己決定権」という私有地に、ずかずかと踏み込み、「オレ像」モニュメントを勝手に打ち建てるかのごとく、自分本位な不法占有といえるのです。

 

「いいじゃないか、何かが減ったわけじゃないんだから。むしろいい土地だと目を付けてやって、モニュメントなんてプレゼントされて、ありがたがるべきだろう」

撤去どころか反省の色すら見せない、このような視座の男性は、実際には結構いるものです。

他人の所有地に無断で押し入り、趣味の悪い銅像を建て、そうすることが当然であるかのように不遜に振る舞うのは不当であると、どうか認識していただきたいのです。

職場で女性を「女」とみなすホステス「搾取」。
性的質問や性的ジョークを浴びせることによる女性性の「消費」。
あるいは年齢や容姿で価値づけたり、美しく着飾って性的価値を上げるよう要請したりする「利用」。
これらはすべて「固有財産侵害」です。

そのことに気づくことが、良好な人間関係を構築する、個人尊重への近道といえるでしょう。

 

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「ホステスハラスメント」 その四:女性を〇〇ちゃんと呼ぶ危険

 H部長はお酒が進み、ますます上機嫌です。
ここで彼は、たいへん基礎的なあやまちをおかします。H部長はこのようにいいました。

「A子ちゃん、ほら、もっと飲んで」
A子さんは、すぐさまこの呼び方を辞退しました。
「その呼び方はちょっと……。そういう呼ばれ方には私、慣れていませんので」

H部長は、ああ、そう、と、特に気にはとめていないご様子です。A子さんの申し出を受けて呼び方は苗字にもどりましたが、驚いたことにH部長は、自分の発言に何の疑問も抱いていないようでした。

ちなみにH部長は、国内でも有名な大手装身具メーカーの、それなりの地位にいる方です。彼の頭の中を通して、日本企業の男性意識がどの程度にあるのか、その水準をはかり知る契機となったのではないでしょうか。
真の男女共同参画の実現は、まだまだ先のようですね。

 

「ちゃんづけ」の不快感に関しては、「ご説明する必要はございませんね」と言いたいところですが、ご説明しなければならない水準でしたことを大変遺憾に思います。

厳しくご注意申し上げたいのですが、女性を勝手に、「ちゃんづけ」で呼んではいけません。

すでに過去に議論しつくされたかに思えたこの禁忌ですが、H部長があまりに軽々と失言されましたので、改めて女性の不快感情をていねいにご説明差し上げます。

男性が親しみをこめたつもりで呼ぶ「A子ちゃん」呼称は、女性にとって不快な馴れ馴れしさでしかない、という心境をご理解いただきたいのです。

なぜならば「女性」というものを男性視点でひとくくりにまとめ、ペットか子どもか、あるいはホステスさんのように、自分本位なカテゴリーで括ることになるからです。
女性という個人を、断りもなく矮小な下位存在に設定してしまう、「侵略要素」が根底にあることに気づいていただきたいと思います。

 

ちゃんづけには「人間・女性」として尊重する意識が感じられません。社会人として対等な目線で接する、大人同士のマナーや距離感も存在していません。

例外として、子供の頃からお互いを知っていて、「みよちゃん」「たかしちゃん」などと呼びあうことが通例となっている場合は別でしょう。あるいは職場で「わたなべさん」という女性が通称で「なべちゃん」と呼ばれている場合や、全員から「田中ちゃん」と苗字で呼ばれている場合をのぞきます。
なぜなら「みよちゃん」も「なべちゃん」も「田中ちゃん」も、勝手に「性・女性」を押しつけ、セクシュアルに仕分けている素養がないからです。おんなのこを押し付けているわけではない、対等な「人間対人間」の目線が存在しています。

 

ここでまた、ダブルスタンダードの復習をしましょう。
A子さんは、「性・女性」「人間・女性」、どちらの女性かおわかりでしょうか。
そう、「人間・女性」ですね。

ところがH部長は、日本に昔から存在するひじょうにステレオタイプの「セクハラ無自覚の男性」で、ビジュアルや表面的な礼儀正しさから、A子さんのことをオートマティックに「性・女性」だと思い込んでいます。
そしてその枠へと勝手に仕分けていることが、A子さんに不快感を与えています。

この「ちゃんづけ侵害」に対する女性の不快感は、男性に理解していただく例えを用いることはむずかしいかもしれません。

以前、私がセクハラ相談を受けた女性は、「ちゃんづけ」の不快感をこのように言っていました。

「勝手に〇〇ちゃんて呼んでくるなんて、キショク悪い。誰がいつ、そんな馴れ馴れしい呼び方許可したっていうのかしら。男性だったら、親しくもない上司から、いきなり股間つかまれるのと同じような、気味の悪い不意打ちのコミュニケーションだと思うんですよね。男って、どうしてそれがわからないのかしら」

たしかに、感じかたには個人差があります。

しかし少なくとも私は上記意見に賛成ですし、実際、この例えをいきすぎの表現だと悠長にかまえてもいられない現実があるのです。
それを次回、「労災の認定基準」でご説明したいと思います。

 

 

(その五につづく)

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「ホステスハラスメント」 その三:女性と「人間 対 人間」の会話ができない古さ

ブランド話に興味のなかったA子さんは、話題をかえて旅行の話を切り出しました。

ほかの知人たちにも話したように、旅先の自然がすばらしかったことや、現地スタッフが日本人に好意的で楽しかったことなどを話題にし、仕切り直そうとしました。

「うらやましいな。俺はなかなかそこまでの長期休みは無理だな」

H部長はそう言って、あれこれ食べ物を注文しました。そしてビールを飲みながら調子が出てきたのか、H部長は饒舌になり、自分の話をはじめました。

「そうだ、これ見てくれよ。ほらほら、俺の高校の時の写真」

そうはしゃぎながら、自分の携帯に保存してあった証明写真らしき白黒の画像をA子に見せます。今と違い、頭髪がふさふさと豊かに生えていました。

「あら、さわやかじゃないですか」

A子さんにとっては関心のない話題でしたが、仕方なくお世辞でそう返しました。

「だろ? だろ? ちょっとあれ、俳優のアイツ、綾野剛! に似てないか?」

どうでもいいよと思いながら、A子さんは「そうですねー」と社交辞令であいづちを打ちました。H部長はひとりで楽しそうです。

A子さんはこの時点でH部長の態度にかなりうんざりしていましたので、話題を変えようと、自分もスマホに保存してあった画像を見せました。

「私、被災地の動物ボランティアに登録していまして、この子たちは一時預かりしている猫たちなんですよ。ほら、かわいいでしょう? とりあえず数カ月はうちにいることが決まっているんですが。H部長、里親いかがですか。たしか今はおひとり住まいで、ペットも飼っていらっしゃらないんですよね」

そういって、猫たちの画像を見せました。

「昼間は仕事で出てるしな。世話できないから」

H部長はその話題には興味がないらしく、あっさりと終了しました。

 

まずここまでで、ファーストレッスンといたしましょう。分からない方のために、ひとつひとつ丁寧にレクチャーしていきます。A子さんはなぜ、この時点ですでにうんざりしていたのでしょうか。
H部長とA子さんは、どこがどのように、かみ合っていないのでしょうか。わからないという方は、自らも女性に対し無自覚にセクシュアルハラスメントをしているかもしれません。

 

ご説明致します。
まずA子さんがH部長にお土産を渡しにおもむいたのは、かつて仕事関連で便宜をはかっていただいた感謝と、社会人としての仕事の顔つなぎを願ってのことです。いわゆる「人間としての感謝」と、「職業人としてのあいさつ」から再会をはたしたのです。

それをH部長は、何か思い違いをなさったようで、A子さんが「女性」であることを利用して、単に自分の楽しみのために、A子さんに「お相手」をさせ、その存在を「女性」として消費するだけの会話をかわそうとしています。

まずここが、根本的にアウトです。

H部長は、自分が一緒にお酒を飲むのに楽しい「高級ブランドの話のできる」「華やかな女性」像を勝手につくりあげ、A子さんをひたすらそのホステス枠に押し込めようとしているようです。

しかしA子さんご自身は、そのような希望に沿うタイプの女性ではありません。A子さんが大阪のおばちゃんさながらに庶民派の気楽さをアピールすれば、H部長はそれにとまどいを感じ、「ホステストーク」にのってこないA子さんに失望感をあらわにしています。

H部長は、自分の楽しみに目を向け、本来のA子さんの性質―おおらかで豪快な、ヒューマニズムあふれるキャラクター……をいっさい見ようとしていない。その一方通行な男性優位視点が、A子さんを不愉快にしているのです。

最初からA子さんの人格を見ようという気はなく、自分が好む「セクシュアルで、ブランドを付ける華やかな女性」「酒の相手をしてくれるかわいらしい受け身のホステス像」に捻じ曲げ、「おんなのこ」虚像を押しつけています。

社会に出ると、女性はこのように、女性であるというだけで、人間性を踏みにじられる場面によく遭遇します。

勝手に軽んじられ、格下に扱われる。「おんなのこ」扱いされる。そしてそのことに端を発し、セクシュアルな会話やムードを押し付けられるという「ホステスハラスメント」を受けるのです。

 

つぎにまいりましょう。

H部長が自分の若かりし頃の、髪の毛ふさふさの、ちょっと写りのよい写真をA子さんに見せてはしゃいでいる行為。これを果たして「A子さんも楽しんでいる」と思われるでしょうか。

聡い方はすでにお分かりかと思いますが、A子さんは微塵も楽しくありません。

たしかに飲み会で昔の写真を持ち出すことは、相手との関係性によっては、とても楽しいネタになり得ます。

たとえば気のおけない同級生たちの飲み会で、男子が「ほらほら昔のオレ、トム・クルーズに似てるだろ?」と尋ね、それに女子がしらけたように、「あーにてるにてる。……って、似てねぇよ!」などと突っ込みをいれて、爆笑できるような場合などは両者ともに楽しんでいるのでしょう。それは対等な友情関係や信頼がベースにあってこそ、共に楽しむツールとして盛り上がれるのです。

 

しかしH部長のケースは違います。

H部長はご自身に優位性にあると認知しながら、一方的にA子さんにを利用しています。

少々男前に映っている昔の自分の写真を、「ディスれない立場」の女性に見せ、ほぼ強制的に肯定的な答えを導き、悦にいるというのは、紳士としてあまり美しい行動とはいえません。

H部長は、「人間・女性」であるA子さんを、「性・女性」の鋳型に無理やり押し込め、ご自身の男性自己顕示欲を満たすための会話を一方的に進めています。

なにせ相手は「仕事で便宜をはかってあげた」「かなり年下の」「自分より立場が下の」「受動的に聞かざるを得ない立場」の女性です。どれほど興味のないセクシュアルな自慢話をふられたとしても、仕方なく聞かざるをえない立ち位置におかれていますから。

 

本来、このような会話をしてくださるお相手はどなたでしょうか。

お金をもらい、男性の退屈話にも耳を傾け、会話を成立させてくださるホステスさんです。H部長はそのたいくつな役割を、一方的にA子さんに押しつけています。

H部長は、A子さんが真にもとめている動物愛護など、セクシュアルを排除した話題には乗り気でないご様子です。あるいはのってきたとしても、おそらくH部長の思考回路ですと、「動物にやさしい心清らかな女の子」というような無駄な変換をして、自分本位なラベルを貼ってしまうのではないでしょうか。

 

どうやらH部長は、A子さんのことを「自分のお相手をして楽しませてくれるホステスさん」とかん違いしているようです。
これを「ホステスハラスメント」といいます。私の造語なのですが。

男性一方通行の「ホステスハラスメント」を、セクハラだと認識できない男性は、職場でも実社会でも星の数ほどいらっしゃいます。これは女性にとってたいへんストレスのたまるグレーゾーンセクハラですので、お心当たりのある男性には改めていただけるよう、広く啓蒙していきたいと思っています。

ホステスハラスメントとは、女性に「ホステスさん」役を押しつけて「セクシュアルな会話や雰囲気」を一方的に貪ろうとするハラスメントです。

ホステスハラスメント加害は、あからさまな「性的話題」を持ち出すことに限りません。だからこそ明確なセクシュアルハラスメントとして「検挙」されにくい、たちの悪いセクシュアルハラスメントといえます。

ホステスハラスメントは女性を「人間・女性」でなく「性・女性」枠に押し込めて、そのようなニュアンスを会話のはしばしににじませることで成立します。そしてそれは女性をたいへん不愉快にさせる「支配」「隷属」であり、人格権の侵害にもなり得ます。性存在を押し付けることは、セクハラであるということに、お気づきいただきたいと思います。

 

ホステスハラスメント。
まずはこの言葉を知ってください。

繰り返しますが、女性は「性・女性」だけでなく「人間・女性」も多く存在します。わたしを含め女性たちは、男性を楽しませるために存在している喜び組ではございません。世界は男性の娯楽や快楽を中心にまわっているわけではないのです。

セクシュアルな会話や雰囲気を楽しみたいのであれば、ぜひお金を払ってクラブに行かれることをお薦めいたします。

H部長は、このホステスハラスメントのハラッサーになっていることにご自身で気づくことはありません。お話はまだ続きますが、読者の皆様は「ここもホスハラだ」と意識し、気づきを得ながら読み進めていただきたいと思います。

 

  

(その四につづく)

目から鱗がポロポロ落ちるセクハラの話: これが意識の最前線!

「ホステスハラスメント」 その二:人の目のないところで急にホステス扱いしてくる男性

WEBデザイナーのA子さんは、独立してフリーで仕事をはじめました。

安定はしていませんでしたが、技術とセンスに恵まれていたので、それなりに仕事もくるようになりました。何より以前の会社で培った人脈が生き、声をかけてもらえることも多かったのです。クリエイティブ業界の中フリーでやっていくには、口コミと人脈と信頼がとても重要です。

A子さんは以前の会社に勤めているとき、さまざまな会社の方と仕事をしていました。
老舗宝飾メーカー、株式会社×××のH部長もそのひとりです。年齢は五十歳をすこし過ぎたくらいでしょうか。A子さんとはかねてから仕事を通じてでよい関係を築いており、在職中も何かと親切にしてくださいました。
A子さんが仕事の関連でめんどうな処理をせまられたときも、A子さんのために便宜をはかってくれて、しかもその内容はH部長の立場上、多少めんどうな経緯が想像できたため、A子さんはそのことをひじょうに感謝していました。

「一度はきちんとお礼を言っておかなければならない」

A子さんは常日頃そのように考えていました。

 

時間に余裕のできたA子さんは、友人と海外旅行に行くことにしました。

南国でバカンスを楽しんだA子さんは、顔つなぎも兼ねて、仕事関係者にお土産を渡してまわりました。出版社の編集者や、知人でおなじくフリーで情報交換をするデザイナーやイラストレーター、ライターたち。男性も女性も、誰もが一杯飲みながらA子さんの旅行話に耳を傾け、帰国の無事と土産を喜んでくれたのです。

「はい、この小物入れは△△さんだけだから」

A子さんはそう言って笑いながらみんなに、少しずつデザインの違う「オンリーワン」のお土産を配りました。男性も女性も笑顔で受け取り、楽しい旅行の話に花が咲きました。

 

A子さんはよい機会なので、H部長にもお土産を渡しがてら、改めてお礼を言うことにしました。感謝の気持ちはもちろんのこと、起業のプランも抱えていた矢先、何かあれば人脈を仕事に生かしたいと考えてのことでした。市場に精通している人だったので、情報収集も期待していました。

 

H部長の業務終了の都合なども考え、お店の場所はみずから指定せずにH部長にお任せました。H部長は、自社××株式会社の近くの大衆中華料理のチェーン店を指定してきました。

「仕事後だから、夕飯を食べながら一杯飲みたいのかな」

A子さんはそう考えそこに赴きました。

久しぶりにH部長と対面し、A子さんは気さくにあいさつをしました。思えば会社以外でH部長と会うのは初めてです。まずは仕事で便宜をはかってもらった礼を丁寧に告げ、海外旅行に行ったことを伝えて、お土産を渡しました。

知人や仕事関係者に配るため、まとめ買いした小物でしたが、適当な袋がなかったため、ブランドの紙袋に入れて持参しました。H部長が持ち帰りやすい手提げがあったほうがよいと考慮してのことでした。

「海外旅行のお土産をお渡ししたくて」と言ってそれを取り出すと、H部長は間髪いれずに言いました。

「お、エルメスの袋だね」

お土産の中身はエルメスではありません。

「袋だけですよ。中身は日常使いできる小物なんですけど。現地では人気のお土産らしいです」

そう言って手渡すと、H部長はお礼を言って受け取りました。

手渡しするとH部長は、A子さんのはめていたファッションリングに目をとめて、すぐにそれを話題にしました。

「お、ダイヤじゃないの。俺のリングと似てるじゃない」

そのように言い、H部長はご自分の手をA子さんに見せました。

ちなみにA子さんは、自分の持ち物があからさまにブランドものだとわかるもの以外、その値段を話題に出されたときは、安い額を言うことにしていました。なぜなら、それがたまたま高価だった場合、本当の値段を言うことで「気取っている」と思われ、相手との距離ができるのが嫌だったからです。
なにより、「自分はこんな高いものを身に着けてるのよ」とステイタスをアピールするようで、それは俗っぽくて恥ずかしくもあったからでした。もちろん、気の置けない友人には本当の額を言っていましたし、大阪人のように、実際に安かったものは堂々と安さを自慢していたのですが。

「ああ、これ? これ、ユザワヤで300円で買ったリングですよ。見えないでしょ?」

A子さんはそういって、大阪のおばちゃんのようにアハハハハと豪快に笑いました。本当はかなり高価な品だったのですが。

しかしそう語ったとたん、H部長の視線はきゅうに冷めたようになり、口調がトーンダウン気味になったことにA子は気づきました。

「俺のは本物だよ」

そういって一連取り巻きのダイヤリングを見せました。それを見てA子さんはふと感じたのです。

「この人はブランドや高価なものが好きなのかな」

そういえば、仕事で接していたときも、みずから高級車の話題をふってくることがたびたびありました。しかしそのときは業務の合間で、周囲にほかの社員もいたので、「じゃあその高級車で皆でドライブパーティーに出かけましょうか」「中でスナック食べちゃいますよ」などと、みんなでわきあいあいネタとして盛り上がったため、嫌味な感じはしなかったのですが。

「思っていた人とはちょっと違ったのかな?」

A子さんはきゅうに肩のコリを感じ始めました。

 

 

(その三につづく)

目から鱗がポロポロ落ちるセクハラの話: これが意識の最前線!