カテゴリー別アーカイブ: 善玉サイコパス

●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス~ Part1

共感力には個人差がある。細やかな気配りで場をなごませてくれる人もいれば、ぎょっとするような無神経な発言で、周囲を凍り付かせる人もいる。

私の知人で、なかなかに共感力の怪しい人物がいる。
それは良い悪いの問題ではなく、生まれ持った性質というしかないのだろうか。

彼女……Kさんは海外生活が長かったので、最初は「日本人の感覚とは少し違うのだろう」くらいに考えていた。しかしやがて、「海外」云々の問題ではないことに気づかされる。むしろその背景がネックとなり、本質を見抜くことに遅れた。

Kさんは、特に何か大きな問題を起こすわけでもないし、積極的に他人を害するわけでもない。しかし、何かがどこかズレている。どこがズレているかと問われれば、ひとつひとつは非常に微細なズレ方で、ひとくくりで「こう」と説明できない奇妙な違和感があるのだ。

 

彼女はつねに、自分の感情と欲求が最優先。どうやら相手の立場に立って斟酌したり、気配りをするということができないようなのだ。

いくつか具体例をあげよう。
私と彼女は、PCの学校でクラスメイトだったのだが、クラスの〇〇君が体調を崩し、しばらく入院することとなった。それを知ったKさんは、同じくクラスメイトで一番成績のよいSさんに、こう言った。
「Sさんさぁ、〇〇君が休んでいる間のノート、作ってあげてくれる? そしたら〇〇君が退院してきたときすぐ、授業に溶け込めるじゃない?」

………これのどこが不正解か、おわかりになるだろう。明確な突っ込みポイントがあるのだが。

まず最初に、Kさん自身の意識を説明しておこう。
Kさんは、自分がとても善良で素晴らしい提言をしたと思っている。なぜなら自分は病床の〇〇君を思いやり、〇〇君のためになる有意義なプランを提案したからだ。Sさんは一番成績がよいし、その彼女にノートを作ってもらえれば、分かりやすい整理されたノートができる。〇〇君にとっては大助かりだ。自分は何というグッドアイデアが浮かんだのだろうか。自分、お手柄だ。

ちなみに私の考えを述べる。
Sさんは遠くから学校に通っている(これはKさんも知っていた事実)。往復の通学時間だけでもかなりのロスになる中、トップの成績を保っている。おそらく相当プライベートな時間を削り、苦労して勉強しているのだろう。クラスは課題も多く、みんな自分の課題でヒイヒイ言っている。Sさんはそのような中で人一倍熱心に勉強している。他人のノートを作る暇などあるはずもない。

〇〇君のためにどうにかしてあげたい気持ちは私とて同じだが、一方でSさんへの配慮や思いやりは、一体どこへ消えてしまったのだろうか。もし彼のために何かしてあげたいのなら、自分でノートを作るべきだろう。たとえSさんが作るノートに劣ったとしても。

 

しかしKさんは、自分が労してまで〇〇君のためにノートを作ってあげようという気は、さらさらない。指図することはできても、他人のために自分が汗することはできない。いや、する気がないのだ。

Kさんは、「〇〇君への思いやり」という着ぐるみを着て、自己中心的なダンスを踊っている。これはほんの一例なのだが、このようにしてKさんはつねに周囲をひっかきまわし、迷惑をかける。

たしかに〇〇君を気遣う気持ちは嘘ではないのかもしれない。しかし対象を広げての、複数人の立場や気持ちを推し量る能力は不足しているようなのだ。
あるいは、共感力の併用ができないのか。
よく「ふたつの動作を同時にできない」という人がいるが、それと同じようなもので、「〇〇君への思いやり」にフォーカスすると、Sさんへの思いやりが消えるという、無言の「併給禁止規定」がKさんの中に存在するのだろうか。

SさんはKさんより二十歳近く年下で、性格もまじめで温和であったから、その場ではハッキリとは断れなかったようだ。結局ノートをつくるまでには至らなかったが、これ以外にもSさんは、Kさんから数々の類似被害を被った。

後にクラスで飲み会が計画されたのだが、Sさんは内輪の仲間数名にこっそりと、「Kさんが出席するなら、私は出たくありません」と耳打ちした。しかしKさんに声をかけないわけにもいかないので、結局日を分けて、内輪のメンバーだけでもう一度飲み会を開くこととなった。私はその調整に苦労した。

学校が終了してからもKさんとはたびたび接する機会があったのだが、彼女にはさまざまな不思議な言動が見られた。

困惑するのは、そのどれもが大問題といえるほどの内容ではなく、しかしだからこそ、対象となった人間にとってはストレスがたまる出来事ばかりということだ。

加えてKさんには、「自分の発想がズレている」という自覚がない。彼女はつねに自分が正しいと信じて疑わない。

一応Kさんのためにフォローしておくが、彼女は自己顕示欲を誇示したいとか、他人をコントロールしたいなどの、悪意を抱いているわけではない。ただ自分が「いい」と思ったことを、ストレートに発現しているだけなのだ。だからこそ「たちが悪い」といえる。

(Part2へつづく)

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あなたの周りに潜む善玉サイコパス: 共感力の個人差

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part2

(つづき)
Kさんの別の実例を述べよう。
Kさんと私と友人Rは、とあるイベントを観覧することになった。
Kさんも私も、そのイベントにはすでに2~3回参加しており、スタッフとも顔見知りで、会場の場所や間取りについても分かっていた。

会場は狭く、ステージと同一化したワンフロアに、机はなくパイプいすをランダムに並べてあるだけの簡素な客席だが、盛会でいつも大勢の人が訪れる。
どれほど多くの人が訪れても、パイプいすを詰めて並べればよいだけなので立ち見が出ることはなかったが、よいポジションから真っ先にうまってゆく。

イベント前日、Kさんからメールがきた。
「最近あまり体調がよくないので、よりかかれる壁際の椅子を、先に行って取っておいてください」

最初に「???」という気はしたのだが、その発言の奇妙さにひっかかる前に、「体調がよくない」ということを心配し、できるだけ楽な姿勢でいられるようにしてあげたいと思い、私自身も忙しくて早目に行くのはキツかったのだが、用事を早々に切り上げ、会場に到着して椅子をキープした。

しかしいつになっても、Kさんは現れない。イベント開始の数分前になっても現れない。
会場はすでに大勢の人でにぎわい、Kさんのためにキープした席は、「ここ、空いているんですか?」と、何度も聞かれる。
ついに顔見知りのスタッフから声をかけられた。
「お連れの方が来ないようであれば、もう始まるし、その席いいのかしら?」と。

しかし「体調が悪い」というKさんを気の毒に思い、「すみません、Kさんが来るんですよ。どうも体調が悪いらしくて、よりかかれるところがいいって言ってまして……」
私は平身低頭、スタッフに頭をさげて、Kさんのために席をキープしておいた。後のほうでぎゅうぎゅうづめに座っている来客の白い目を気にしながら。

イベントがはじまり時間はどんどん過ぎるが、Kさんは現れない。メールに連絡もこない。椅子は空いたまま。
軽く1時間は過ぎたころに、ようやくフラリと現れた。そしてキープしておいた椅子に座り、2~3名と歓談していたが、しかし30分もたたないうちに途中で勝手に帰ってしまった。
さすがに後で、「今日はもう帰ります」というメールは来ていたが。

 

まずファーストステップ。
最初のメールの内容から考えてみよう。
「最近あまり体調がよくないので、よりかかれる壁際の椅子を、先に行って取っておいてください」
ここにも奇妙な違和感が存在するのだが、お気づきになるだろうか。
私が感じた奇妙さは、やはりKさんの「自己中心的な文章」にあった。

Kさんは、他人のスケジュールや状況というものに、まったく関心がない。頼む相手が、イベント前にどのような用事があるか、どのような仕事を抱えているかなど、他人の状況を斟酌することをしない。いや、できない。

Kさんの頭にあるのは、自分の欲求だけである。
「自分は寄りかかれる壁側の楽な席にすわりたい。」=「それを他人に叶えてもらう」=「体調がよくないかわいそうな自分はそれが当然」、という自己欲求実現の図式しか存在しないのだ。

そのことにより他人がどれほどタイトなスケジュールになろうが、その席をキープするため会場で肩身の狭い思いをしようが、Kさんには関係ない。他人の立場や状況を気づかう想像力は働かない。
Kさんはただ、「整えられた快適な環境」に、いつでも好きな時にさっそうと現れて、楽に気分よく過ごし、自分が帰りたくなったら帰るだけなのだ。
座席キープのお礼もねぎらいの言葉もなしに。

Kさんは自分の欲求を直球に投げて、周囲をふりまわす。相手の都合を視野にいれず、すべてを自己決定していく。
私がイベントに早く到着できるかなど、本来はわからないはずだが、もちろんその確認もしない。

何が正解というわけではないが、もし仮に同様のことを頼みたいとしたら、このように書く人は多いだろう。
「最近あまり体調がよくないので、もし私より先に到着することができたら、よりかかれる壁側の椅子をキープしておいてくれますか? でも会場の状況様子見で、無理なら結構ですから」

 

繰り返すが、Kさんに罪悪感はない。
まるでお姫様のように、他人が自分のために骨を折ってくれること、自分の欲求や願望に迎合してくれることを、あたりまえだと思っている。
そこには悪意も悪気もない。ただ、子供のような自己中心性が存在するだけである。

子供というのは自己中心的である。
「あれが欲しいよう、買ってよ、ねえ買ってよぅ! 買ってくれなきゃここから動かない!」
最近はここまで騒ぎ立てる子供も少ないとは思うが、まずは自分の欲求ありきなのだ。
「あのおもちゃが欲しいけど、ボーナス前だから、さすがにうちの親も今はキツイだろう。来月ならばボーナスのうえ百貨店のポイントサービス期間もくるから、ねだりやすいかもしれない。いや、リボ払いならボーナス前でも給料日直後ならイケルかな。一か八か、ねだってみるか」
などとは、子供は考えない。

 

また共通の友人Rさんは、大型台風が直撃する会社休みの日曜日、Kさんからメールがきた。
「新しい賃貸の下見に行きたいのだけど、一緒に行ってください」
何だかまた、雲行きのあやしい文章である。
もうおわかりになるだろう。このメール文中に、Rさんへの配慮はまったく見当たらない。
通常はこのように考えないだろうか。
「台風直撃の日曜日、自分のために急に呼び出したらRさんに申し訳ない。きっと迷惑だろう。下手したら暴風雨で電車も止まるし、立ち往生させてしまうかもしれない」

しかしKさんの頭にあるのは、自分の感情のみである。
「自分はこの日に賃貸の下見に行きたい」→「一人では心細いから誰かに付き添ってほしい」
Kさんは自分の欲求をストレートに発現し、それを他人が叶えてくれるのを享受するだけなのだ。

 

特筆すべきは、Kさんに支配性はないということ。
よく「他人を振りまわす」という行為に耽溺し、その影響力を味わい、自分の高位ポジションを確認して支配性を楽しむ人もいる。
しかしKさんの場合は違う。あくまで悪気はない。ある意味、無垢な子供の心といえよう。

そして困惑するのは、子供ゆえに客観性に乏しく、周囲との軋轢を「自分に原因がある」と考えないことだ。
Kさんはつねにこのようであるため、職場においても職場外の人間関係においても、何かしらズレてうまくいかない。周囲から疎まれたり嫌みを言われたりする。

しかしKさんは、自分が他人から傷つけられるのは、「周りが意地悪だから」だと思っている。自らの自己中心性に起因するものとは、考え至らない。

(Part3へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part3

(つづき)
善玉サイコパスは、子供のように無邪気で自己中心的である。それゆえに、良くも悪くも自分の感情に正直だ。

あるとき友人Aは、Kさんから知人のパーティーに誘われた。それはKさんの外国人友達が集う、自宅で開かれるホームパーティーだった。
「私は英語が苦手だから……」と、Aさんは最初はためらっていた。しかしKさんから「あそこのホームパーティは、いつも手作り料理がすっごくおいしいの。行ってソンはないよ」とつよく勧められ、ドキドキしながらも承諾した。

Aさんは当日のためにと、苦手だった英語をあらためて勉強しなおし、パーティ当日は早起きし、頑張っておしゃれをして電車に乗り込んだ。そして数駅過ぎたあたりで、車中でKさんからメールがきた。
「やはり私は今日行かないので、楽しんできてください」

「??!!!」
Aさんは混乱した。
Kさんは、「場所は教えるから大丈夫です」と、Aさんに外国人宅の場所をメールで伝えた。

しかし考えてもみてほしい。知り合いもいない初対面の外国人自宅ホームパーティに、ひとりで乗り込めるツワモノがどれだけいるだろうか。
結局Aさんは電車を折り返し、そのまま帰ったという。

 

Aさんは、後日Kさんに会ったとき、この件について彼女に苦情を言った。しかし恐ろしいことにKさんは、自分がAさんに迷惑をかけたという自覚がないのだ。
「だって、パーティ宅の場所は教えたんだし、私の名前を出せば入れるし、参加できるじゃない」
AさんからたしなめられたKさんは、自分が責められたことに対する不満を爆発させた。
「私は怒られるようなことは何もしていない」、と。

善玉サイコパスのKさんは、Aさんの気持ちを察することができない。
「英語の苦手な人が、外国人の自宅パーティに初めてひとりで行く心細さ」もわからなければ、「知り合いもなく、周りが初対面の人だらけの不安さ」も、わからない。
さらには「キャンセルするのであれば、せめて家を出る前、早い時間にメールをくれれば、身支度もしないですんだし電車賃もかからずに済んだ」というAさん側の事情も、何ひとつしん酌できない。

 

善玉サイコパスは、他人の都合に興味がない。
自分にとって心地よい、自分サイドの欲求と感情がすべてである。
それゆえに他人の都合や心情を、ためらいもなく自分の感情で上書きする。

「自分が気分良ければ、他人もおなじ」「自分が興味あることは、他人もおなじ」 と。
「自分は外国人宅パーティーに行くことに緊張しない」→ 「だからAさんも緊張しない」。
「自分はあの人たちと仲良しだ」→ 「だからAさんもあの人たちとはすぐに仲良し」。
どうやらKさんの心の中には、このようなご都合主義の法則がマニュアル化されているようなのだ。
彼女はすべての事柄を、自分ベースの思考パターンで構築する。そして他人の気持ちを、極彩色の「自分カラー」でベタベタと塗りつぶしていく。

要するに、他人への思いやりや共感性に乏しいのだ。

もし今回のAさんの件について、Kさんにコトの重大さを教えたいのであれば、それはアウトな理由をひとつひとつ箇条書きにしたうえで、上記のように具体的に理由を付記し、パワーポイントでも使い、くわしく説明するほかない。

しかしそれすらも、注意が必要だ。
Kさんに注意したいのならば、まるで子供に接するように、優しく優しく、かんで含めるように教えなければ、下手をすればこちらが「意地悪な加害者」に仕立てあげられてしまうことだろう。
なぜならば善玉サイコパスは、よくいえば「子供のように無垢で傷つきやすく」、悪くいえば「被害者意識が強い」という特徴を有しているから。

彼ら彼女らは、少しでも「自分のアラ」を指摘されるシーンに直面すると、被害者意識をまるだしにして、感情的にさわぎたて、自己の正当性を拡散する。まるで自分がかわいそうなシンデレラであるかのように。

 

Kさんも例にもれずだ。
困ったことにKさんは、Aさんの件をいろいろな人に吹聴していた。
Kさんの言い分はこうである。
「自分は好意から、わざわざAさんにすてきなパーティーを紹介してあげたのに、Aさんはその恩をあだで返し、自分に文句をつけてきた」

驚きの発想だが事実である。Kさんは、自分がAさんからひどい意地悪を受けたかわいそうな被害者として、自らの正当性を感情のおもむくままにアウトプットしていた。

さて、これがふたたび困るところなのだが、根本的にKさんに悪意はない。たとえば、「前からAさんのことが嫌いだから、悪口を言って評判をおとしめてやろう」などという、意地の悪い謀略から拡散しているわけではない。
Kさんはいじめられた子供さながらに、傷ついた心を内に秘めておくことができないだけなのだ。
だって「デリケートなわたし」は、傷つけられた事実をみんなに伝え、優しくなぐさめてもらわなければ、とても平静ではいられないかよわいお姫様なのだから。

そこに「大人のモラル」はない。
Kさんは、「なぜAさんが怒ったのか」ということを、Aさんの立場に立ち、論理的に深く考察することはしない。またAさんと膝を突き合わせて話し合い解決をはかるなど、建設的な方法にチャレンジする意識も持ちあわせてはいない。

そこにあるのは、「傷ついた自分」へ向かう感情ベクトルだけだ。
「意地悪されたー!」「ひどい目にあわされたー!」「ねぇ、あの人ひどいよねぇ?!」「だって私はこんなにAさんに親切にしてあげたのに!」

Kさんは子供のように無邪気で、自分の感情に素直だ。傷つけた相手は悪者で、自分が被害者であることをアピールする。そして自分にやさしくしてくれる味方や同情者を得ようと、躍起になる。
常識的な視点を備えた大人が、少しでもKさんに意見しようものなら大変だ。その人たちはKさんの「ジコチュウ魔法」にかけられ、あれよあれよという間に全員が、「意地悪な継母」に変身してしまう。

 

Kさんの出身大学を教えよう。
それは「自分大学」である。彼女は「自分大学、自分学部、自分学科」出身だ。そして卒業論文テーマは「わたし」である。
しかし彼女は永遠に、「自分大学」を卒業する気がない。

(Part4へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part4

(つづき)
善玉サイコパスは、他人に興味がない。他人の興味にも、興味がない。
興味があるのは、自分にとって心惹かれる、自分にとって関心のある事柄だけ。

本来、人はそのようなものかもしれない。しかし社会的動物であるかぎり、他人の関心ごとにも目を向けて意識を配り、バランスよく会話しコミュニケーションをとり生きていかないと、実際のところ人間関係は厳しいものになるのではなかろうか。

しかし善玉サイコパスはそれをしない。
「興味ない」という態度をあからさまに表に出し、周囲に違和感を与える。善玉サイコパスの心には、「自分が興味ないもの」に対する「他人への配慮」が存在しない。

私の知人Kさんにも、そのような兆候がたびたび見られた。
最初はその正体が何なのかわからず、とまどいを感じていたのだが、「子供のような自己中心性」に起因するものとわかってからはようやく腑に落ちた。私自身も、振り回されるだけ振り回されて、それを冷静に観察できるようになったのは、かなり後になってからだったが。

 

最初に「???」と感じたのは、一杯のコーヒーだった。
Kさんと私は共通の友人Rさんを介して、たびたびイベントやセミナーに参加することがあった。ある日も三人でセミナー会場におもむいた。

Rさんはとても献身的な性格で、障害者の介護ボランティア活動を積極的におこなっている。その日私たちがおとずれたのも、障害者介護関連のイベントセミナーだった。講演は無料。参加者の心づけで寄付をするという趣旨だった。

ちなみに「無料」でなければKさんは絶対に参加しない。「心づけの寄付」をするときは、必ず5円や10円である。ここの「寄付型のイベント」は、よほど生活に困っているのでなければ、お札1枚くらいは出しましょう……という空気なのだが。

もちろん強制ではないが、運営費やセミナー講師料、会場で出されるお菓子やお茶などの費用を考えると、千円札1枚くらいは礼儀かな、という気がする。それが困っている人相手に無償で働いている方へのねぎらいというか、「せめてこのくらいしかご協力できませんが」という気持のあらわれかと思う。

もちろん、本当に生活の苦しい方は、無理をする必要はない。イベント主催側も、「お金に気をつかわずに参加してほしい」という気持ちから、寄付のための茶封筒を配り、個人がいくら寄付したかわからないような方法で、寄付金を回収していた。

 

しかし私は、Kさんがお札を封筒に入れるところを見たことがない。
周囲の人が、お財布からごそごそとお札を取り出して封筒に入れるさまを見ても、決して同調することはない。みごとなまでに他人の寄付額に流されない。

「たまたま今月はローンの返済が重なり苦しいから」ではないと思う。何度参加しても、一度たりとも、10円以上の寄付をするのを見たことがないのだ。
Kさんはすでにイベントには複数回は参加していて、イベントスタッフとも世間話をする程度に顔見知りであるにもかかわらず、である。
「五百円札」の時代だったら、Kさんがお札をINするところを見られたのだろうか。それは今となってはわからない。

Kさんは、心もお金も他人に与えることをしない。
他人の善意から生まれる奉仕や労力を、ただ当然のように享受するだけ。

しかし寄付金はあくまで「個人の自由」だ。それはそれでかまわない。
私が違和感をおぼえたのは、Kさんのスタッフへの態度だった。

 

さて、イベントセミナーが終わった後、会場はわきあいあいと、自由に歓談する雰囲気に変わる。私とRさんとKさんも、パイプいすに座り話をしていた。
中央にはテーブルが寄せられて、大皿にお菓子が盛られている。そしてイベントスタッフは、紙コップのコーヒーをトレーにのせて、参加者に配ってまわっていた。

じつはこのイベントの主催者、大のコーヒー党で知られている。だからセミナーの最後に振る舞われるコーヒーも、いつも良い豆を厳選し、その場で淹れたおいしいコーヒーを配ってくれる。参加者への感謝の気持ちを兼ねてのことだろう。
Kさんもそのことは知っていたし、作る過程も見ていた。

スタッフが私のところにもコーヒーを持ってきてくれたので、「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言って受け取った。
しかし、スタッフがにこやかに「どうですか?」とKさんにコーヒーを勧めたそのとき、Kさんはスタッフの顔も見ずに、明後日の方向を見ながら、「私コーヒー飲めないので」と、抑揚のない声で間髪入れずに、ひと言でバッサリと拒否した。

スタッフは、ムッとはしていなかったと思うが、「何?この人?」というような、奇妙な顔でKさんを見て、次の人に配りに行った。

 

もうおわかりだろうか。
善玉サイコパスは、他人の善意に気をつかわない。
Kさんにとっては「私はコーヒーが飲めないので飲めないと言っただけ」であり、何もおかしいことはしていないのだ。

軽く会釈をしながらの 「ありがとうございます。でも実はコーヒー飲めなくて。いい香りなのに残念です」、などの気遣いの言葉は、永遠に出てこない。
「困っている方のために無償でボランティア」をしている方たちが、「寄付金に関係なく」「全員に配ってくれる」「参加者のために用意してくれた」「感謝のこもった善意のコーヒー」であろうが何であろうが、関係ない。Kさんにとっては「自分が飲めないコーヒー」でしかない。

一杯のコーヒーにこめられたキラキラとした七色のパステルカラーの意味も、Kさんの手にかかると、一瞬で単調なKさん色に塗りつぶされる。
「自分が飲めないコーヒー」は、自分にとって興味対象外である。だから関心はない。だから突き放した。それだけのこと。

 

Kさんに言わせれば、「だってあの人たちは好きでやってるんだから」ということなのだろう。やらせておけばいいんじゃない……とまでは言わずとも、根の部分ではそう思っている。

ボランティアの人たちが、自分たちも忙しい生活のなか時間をやりくりして、それでも他人の役にたつことを選んだ、崇高な精神を理解できない。だから気もつかわない。
スタッフたちだって、家でテレビでも見てお茶を飲んでいたほうが、本当は楽に決まっている。それでも「自分は健康で動けるのだから」と、せめて世の中に還元していこうと、大変なときでも笑顔でがんばっているのだ。

そのような他人の影の苦労や、表に出さない奉仕の心を、Kさんは想像できない。
自分の中に「他人に与える気持ち」がないから、想像できないのだろう。人というのは自分の中にないものは、理解しづらいものだから。

これは本当に些細なワンシーンなのだが、Kさんの「自分が興味ないことへの冷淡さ」は、この後もいかんなく発揮される。
(Part5へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part5

(つづき)
私はおいしいコーヒーをいただき、パイプいすに座りKさんと雑談をしていた。Rさんは会場スタッフと話すために席をはずしていた。
話題はお互いの仕事の話になり、私はKさんに近況をたずねた。

当然といえば当然なのだが、Kさんは会社の人たちとうまくいっていないらしい。Kさんは現在の状況について、せきを切ったかのように話し始めた。
自分がいかに会議のとき袋だたきの目にあっているか、最初は慕ってくれた後輩がどのように意地悪な態度に変わっていったか、自分がどれだけつらいのかなど、自分の悲劇をとうとうと語った。

 

職場での人間関係不和は、気の毒である。
メンタルヘルスに関わる、避けることのできない「つらい日常」だ。私はKさんに可能なかぎりアドバイスをした。
「誰か相談できる上司はいないのか」「パワハラ窓口など、相談できる場所はないのか」「異動願いを出せるような状況か」など、じっくりと話を聞き、現段階で対処できる部分をくわしくアドバイスした。そのうえで解決しないようならば、信頼できる労働団体を紹介するからと、Kさんを安心させた。
Kさんは、少し涙ぐみながら、「うんうん」と、聞いていた。

 

私も当時、Kさんと同じように、職場でソリの合わない先輩がいた。
だからKさんの気持ちもよくわかり、自分の受けたケースもKさんに似ていると、類似事例をKさんに打ち明けた。Kさんは自分と同じ状況にほほえみをうかべながら、納得したようにうなずいて話を聞いていた。

ところが。
話題がKさんのケースとは重ならない、私独自の仕事トラブル内容にさしかかったとき、信じられないことが起きた。

とたんにKさんは、すべての関心をなくしたかのように無表情になり、私がその内容を話し始めてから1分もたたないうちに、私が話をしている真っ最中、なんと無言で席を立ち、その場から立ち去ったのである。
そしてツカツカと早足で別の輪に歩み寄り、ほかの人に話しかけて立ち話をはじめた。

「ごめんなさい、ちょっと化粧室に……」 や、「失礼、あの人に用事があって」  などの断り文句は、いっさいなしである。

「!!!??%&$#?!」
私は驚いてKさんのところに行き、「ちょ、ちょっと、私の話聞いてなかった?」と声をかけると、Kさんは私をチラとも見ずに、真正面を向いたまま、「聞いてたよ」と単調に答え、別の人と会話をつづけた。

 

唖然とする話である。
しかしこれこそが善玉サイコパスなのだ。

おそらくKさんは、「自分のかわいそうな体験談」と「自分とかぶる類似例」にしか興味がないのだろう。

他人のことには興味がない。他人のつらい状況にも一切興味がない。そして興味がないから、断りもなく立ち去っただけのことなのだ。
だって関心のないことを、自分は聞いていたくないのだから。
ここでもKさんは、ただ子供のように素直に、自分の欲求と感情を最優先に行動したにすぎない。

 

今まで自分の話を聞いてくれて、親身にアドバイスをしてくれた知人の悩みに対し、今度は自分が相談にのってあげたい、相手を楽にしてあげたいという誠実な気持ちは、Kさんの心には存在しない。
Kさんの心には、「ギブ&テイク」の概念がない。

「他人が自分に親切にしてくれるのは当たり前」「でも自分は他人に何もしないのが当たり前」なのだ。

 

Kさんは他人の親切や善意を、エイリアンのように貪欲にむさぼる。
蚊ですら「飲みましたよ」のサインとして、かゆみ成分を注入してくれるものなのだが。
しかしKさんは、他人の思いやりをむさぼり尽くしたら、ただ無造作にストローを捨てて立ち去るだけ。

Kさんは、ナイフで人を傷つけるわけでもないし、殺人を犯すわけでもない。大声をあげて怒鳴り威嚇するわけでもない。しかし他人に寄生し善意をむさぼる。

婉曲に表現するならば、「子供のような自己中心性」といえるのだろう。しかしこうも言えないか。
「思いやりを食い散らかすエイリアン」。これこそが善玉サイコパスの正体だ。

(Part6へつづく)

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(つづき)
善玉サイコパスは、空気が読めない。
空気が読めないから、他人の話をひろわない。
平然と相手の話をぶつ切りにして「無礼」な態度をとるが、それがなぜ悪いのかということも理解できない。

パスされたボールを受け止めるしぐさも見せず、平気で他人の心を置き去りにする。
なぜなら彼ら彼女らは、他人を気づかい、相手の表情や空気を読みとり同調するという概念が存在しないから。
他人の心を推し量るだけの思いやりや共感性が欠如しているようなのだ。

 

くだんのKさんであるが、そもそも私とはPCのスクールで出会ったということは、以前に書いた。そのスクールでは課外授業の一環として、コミュニケーショントレーニングの授業を行っていた。

私とKさんも、その課外授業を履修した。
授業は毎回テーマを設定する。そしてその進行役と、体験談を話すストーリーテラーの二名を決める。ストーリーテラーの体験談をもとにしながら、授業を構成するという仕組みだった。

進行役は交代でまわってくる。
しかしストーリーテラーについては、自薦他薦でかまわない。そのテーマに則した経験をもつ人が請け負うことになる。

これが結構おもしろいのだ。
自分とは違う職種の内情や裏話が聞ける。また普段ふれないクラスメイトの社会人としての一面もかいまのぞくことができ、親しみを覚える。クラス全体の結束も生まれ、いいカンジに盛り上がるのだ。

ストーリーテラーの体験談を聞き終わると、進行役はそれを材料にしてテーマにつなげる。
「素晴らしい話でしたね。〇〇さんの実直な取り組みが、相手の信頼を得て契約に結び付いたのでしょうね」と感想をのべたり、おなじ営業職の人に「△△さんは、似たような経験はおありですか?」などたずねたりする。ストーリーテラーの体験談をふくらませたうえで、その流れでデータなどのテーマ内容につなげて授業を構成していく。
ある日、Kさんに進行役がまわってきた。テーマは「自然環境保護」。
ストーリーテラーは、建築業界で長年仕事をしてきたОさんだった。

授業当日、Оさんはニュータウンの開発にともない、生息地を奪われた野生動物のつらい実態を語った。
さらには環境破壊に反対する地元住民との衝突や、その果ての心のふれあいなど、心があたたかくなるヒューマンドラマをも語ってくれた。

クラス中がしんみりと、感動の空気につつまれていた。
Оさんの誠実な人柄もひしひしと伝わり、クラスは感動のなか、いっそ拍手でもわき起こりそうな雰囲気だった。

通常ならこれに進行役がつなぎのコメントをつけ、皆でОさんの体験を心でかみ砕きつつ、「自然環境保全」のデータ詳細資料について考える……という段取りだ。

 

しかしここでプチ事件は起きた。
Оさんが話し終わり、クラスがじんわりと感動につつまれているそのとき、進行役のKさんは無感動にそっけなく言った。
「……はい、じゃあ3ページ目のデータを見てください」
まさかの「ノーコメント」である。
「!!!」
予想外の出来事に、にクラス一同、「……ザワ……ザ、ザワ…??」という、妙な空気につつまれた。満身の力で「自分ヒストリー」を語ったОさんは、かわいそうにキョトンとしたまま、おかしな空気の中に放置された。

 

おそらくKさんは「自然環境保護」にも、あたたかいヒューマニズムにも、まったく興味がなかったのだ。「自分は興味ないこと」だから、ひろわずバッサリ切ったのだろう。授業全体の雰囲気やОさんの気持ちに配慮せず。

後でОさんは、こっそりと言った。
「オレ、Kさんに嫌われてるのかな。何か悪いことしたっけなぁ?」
決してそんなことはない、あれはもともとの性質だから仕方ないと、私はОさんに落ち度はないことを、念押しした。

Оさんは納得して、私に言った。
「前の会社にさ、Kさんと同じようなタイプの人、いたんだよね。オレ、Kさん見てるとその部下のこと思い出しちゃって……ちょっとしたトラウマだよ。その人さぁ、取引先から『発注の数字が間違ってます』って電話きたとき、何て言ったと思う?」
Оさんによると、そのKさん似の部下は、怒っている取引先相手に、こう言ったそうだ。
「その数字を入力したのは私じゃないですから、私のせいではありません」と。

そばで聞いていたОさんは、言葉にならない言葉を発し、猛ダッシュで電話を奪い、電話の向こうの取引相手に平身低頭、謝りに謝ったという。後日、その部下も連れて、先方に謝罪にうかがった。しかしその人は、なぜ自分がわざわざ取引先に謝りにいかなければならないのか理解できず、最後まで不満顔だったという。

 

善玉サイコパスは、「常識」を説明されないと理解できない。

「あのね、あなたは〇〇会社の一員です。会社組織で働くということは、個人もその会社のカンバンを背負うということなの。だからたとえ同僚のミスだったとしても、あなたは会社の一員として、取引先からミスを指摘されたら謝らなければいけないのですよ。だいじょうぶ。会社のみんな、あなたが直接ミスしたのでないことは、よくわかっていますからね」

まるで子供に教えるように、やさしくやさしく笑顔で諭すべきなのは、もう書き添えるまでもないだろう。そうしなければこちらが「パワハラ加害者」のレッテルを貼られ、拡散されてしまうのだから。

授業においてKさんにも、やはり具体的に「常識」を説明しないといけなかったのだろう。
「あのね、Оさんが話してくれた経験は、みんなが感動していたのですよ。だからそれについてコメントしたり意見交換したりする時間を設けないと、不完全燃焼になってしまうでしょう? だからKさんはОさんの体験談にふれてから、データ説明をしなければいけなかったの。そもそもストーリーテラーを設けた授業の趣旨というものは、個人の体験からよりその人を深く知り、コミュニケーションの糸口を作り、チームワークを生み出し、そうしてクラス全体の雰囲気を明るく盛り上げていくことにあるの。だから進行役のKさんが話をひろわないと、シュークリームのシュー生地がふくらまないように、授業も良いものとして成功しないのよ」

私はこれを、五十歳の女性に説明したくはないのだが。

 

「学校」や「PCスクールの仲間うち」ならばまだいい。
しかし会社組織ではどうだろうか。
会社は経済活動の場だ。善玉サイコパス本人が「社会人」を希望して企業に入社したかぎり、社会人としてのルールが求められる。
「会社」「組織」において、善玉サイコパス問題は深刻だ。収益や人事運営に直接ダメージをあたえる。しかし対策はむずかしい。

周りの人間にとってはつらい試練だ。
なぜなら善玉サイコパスのズレかたは微妙で珍妙ゆえに、そもそも言語化して他人に理解してもらうことがむずかしいのだから。
(Part7へつづく)

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あなたの周りに潜む善玉サイコパス: 共感力の個人差

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part7

(つづき)
善玉サイコパスは行間がよめない。表現された言葉のままに受け取る。これは善玉サイコパスの特性のひとつである。

通常、人間というのは表に出す言葉がすべてではない。
京都人のように、
「ぶぶ漬けでもいかがどすか?」→「帰れ」
「最近あんたはん、ピアノ上手にならはったなぁ」→「音うるさいよ」

ここまで婉曲に表現しろとはいわないが、相手の所作からにじみ出る気持ちを読み取り、態度や表情から本意を推察し、ケースバイケースで対応していくことは社会生活上不可欠だ。

 

しかし善玉サイコパスは、表にあらわれた額面通りのことしか理解できない。婉曲表現の裏にかくれた真意や、おぼろな陰影がわからない。
これは非常に興味深い特性である。

知人のKさんにもこの症状が顕著にみられた。
ある日、私は知人BとKさんと、近々おこなわれる障がい者介護の講演会について話していた。講演の後には、専門家の先生との対面相談の時間が設けられていた。

Bさんは当時、身内の介護のことでいろいろと悩みをかかえており、早急に決定しなければならない事項が目前にせまっていた。そのため講演後の対面相談で、先生の意見を聞きたいということを私たちに話した。
「手続きの期限もあるから、来週の月曜日までには結論を出さなきゃいけないの」

それを聞いていたKさんは言った。
「その先生なら、今度の日曜日、『〇〇区の集い』に参加するはずだよ。そこならフリーで入場料はかからないし、集いはいつも座談会が設けられるから、そこでいろいろ質問すればいいじゃない。日曜日に参加しなよ。講演会ならお金がかかるけど、『〇〇区の集い』はタダなんだから。」

Kさんは「タダだから」を連発し、Bさんに日曜日の参加をつよく勧めた。
講演会は木曜日で、「〇〇区の集い」は日曜日。
たしかに日曜日の座談会でお話できれば、ギリギリ間に合うのだろう。
Kさんのアドバイスに従い、Bさんは木曜日の講演会に参加せず、日曜日の「〇〇区の集い」におもむいた。

 

当日、私とKさんもその「集い」に参加した。
しかし「集い」の後にKさんが話していた「座談会」はなかった。それを知ったBさんはあせった。
「ちょっと、座談会あるって言ってなかった?! 私どうしても聞きたいことがあるって言ったよね!」
Kさんは悪びれずに答えた。
「あれ? 前はあったと思ったんだけど。おかしいなぁ」

Bさんはあわてて運営スタッフに聞きに行き、5分でよいから先生とお話できないかなど打診した。そしてすでに帰り支度を始めている先生に無理を言い、帰り際に先生と歩きながら少しだけ立ち話をした。

Bさんが先生にわびて戻ると、会場はすでにリラックスムードで、参加者は和気あいあいと飲み物片手に楽しそうに話をしている。ボランティアの方たちがトレーにコーヒーをのせて参加者に配り、会場は皆、コーヒーを片手に歓談していた。

Bさんはもどってきて、Kさんに苦情を言った。
「ちょっと、座談会なかったじゃない! 最低限のことは何とか聞きだしたけど。まったく……。もう! おかげでコーヒーだって飲みそびれちゃったじゃない」
Kさんはそのときは腑に落ちない顔をして、「あら、ごめんね」とは言っていた。
しかし善玉サイコパスの真のおそろしさは、この数日後に発揮される。

 

後日、共通の知人たちと会う機会があったのだが、そこでKさんは、涙ながらにBさんの悪口を周囲に拡散していた。
その内容がまた、何というか、たいへん奇妙なズレかたなのだ。
Kさんは皆にこう言いふらしていた。

「Bさんはこの前のつどいで、座談会がなかったから後で先生に質問に行ったのだけど、戻ってきたときにコーヒーが飲めなかったことで、しきりに私を叱りつけた。たかがコーヒー飲めなかったくらいでこんなに怒るなんて、何て卑しい人だろう。私は今まで、コーヒー飲めなかったくらいでここまで怒る人に出会ったことがない。信じられない。ねぇ、ひどいと思わない?!」

………え…、なぜそう受け取る…???
説明するまでもないが、Bさんはべつにコーヒーが飲めなかったことを怒っているのではない。

本来ならばBさんは、木曜日の講演会でゆっくり先生と対面相談し、自分の案件について結論を出そうと思っていた。

しかしKさんの「〇〇区の集いならタダだから」「座談会もあるから」という勧めに応じて、日曜日の参加に変更した結果、座談会がなくてじっくり相談できなかったという、Kさんのいいかげんな誤情報に怒っているのだ。その怒りの気持ちが、本旨を言った後、ついでに吐き出されたにすぎない。

しかしKさんは、本当にBさんが「コーヒーが飲めなかったから自分を叱り飛ばした」と思っている。
Kさんの頭には、最後にBさんが発言した「ほら! おかげでコーヒーだって飲みそびれちゃったじゃない!」というワードだけがクローズアップされている様子だ。

 

「行間が読めない」。
これは友人間のつきあいでは笑い話になりそうなエピソードだが、ビジネスシーンではなかなかに致命的である。
毎日のやり取りが、この調子で行われることを想像していただきたい。雨垂れが数年かけて石をうがつように、近くの人間はじわじわとメンタルをむしばまれる。

さらにはBさんの例でもわかるように、善玉サイコパスは、根拠のない情報を感情のおもむくまま、ためらいなく発信する。
「ホウ・レン・ソウ」は社会人の基本だ。間違った内容を自己決定し乱発することは、トラブルにつながりかねないし、ひいては経済効果を阻害する。
誤情報により他人がこうむるメリット・デメリットに関心がないから、適当に発信できるのだろうか。そこはやはり、思いやりの欠如といわざるをえない。

行間を読まない自己完結。思い込みによる誤情報。それを感情のおもむくまま発信する。そのうえ自らがトラブルメーカーだという自覚はなし。
組織にとって善玉サイコパスはアキレスけんとなりうるのだ。
(Part8へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part8

(つづき)
最近、「会社の困ったちゃん対策」のセミナー講座が、意外と盛況らしい。持て余し気味の人間というのは、やはりどこにでも存在するようだ。

普段から不思議に感じていたことなのだが、なぜ善玉サイコパスは、他人とかみ合わないコミュニケーションを繰りかえし、壁にぶち当たりながらも、悠然と社会の中に溶け込んでいるのか。

観察しているうちに、ある事実が浮かび上がってきた。
善玉サイコパスは、自分を甘やかしてくれる心地よい存在を、抜群の嗅覚で発掘し、その人のサポートに依存して生きているのだ。

 

善玉サイコパスの本質は「チャイルディッシュ」にある。
それゆえに、「甘やかしてくれる優しい大人」を本能的に嗅ぎ分ける。そしてその人の庇護のもと社会生活を営めるよう、そこを拠点にせっせと巣作りをする。

善玉サイコパスは、「優しさ」「甘さ」に貪欲である。甘さが大好物なのだ。
味でいえば、「お菓子大好き!」な子供の味覚。大人が好むビターや酸味、薬膳の深みは、どうやら受け付けないようである。
ビターや酸味や深みは、世間一般では「常識」や「気配り」や「客観性」とも呼ぶのだが。

善玉サイコパスは、絶対に自分を傷つけることのない、善意にあふれた甘い甘い優しい人間のことが大好きだ。そのような人たちを本能で敏感に嗅ぎ分け、コバンザメのようにピッタリ吸い付き、庇護を求める。
厳しい世間という荒波を、なるべく傷つかず楽に渡っていくために。
そしてキャパをこえるつらい出来事に遭遇すると、その人たちの懐にスッポリ逃げ込むのだ。
善玉サイコパスに悪意はないのだが、無垢な子供の心ゆえ、逆に手を焼く。特にビジネスの場面では、これを活用されると進行が滞ってしまうので、たいへん厄介だ。

善玉サイコパスは「子供」ゆえに、知っているのだろう。善意にあふれた優しい大人は、ぜったいに子供を邪険にしないということを。子供が傷つき泣いて帰ってきたときに、大人が甘い甘いキャンディーと、優しい言葉を与えてくれるということを。

善玉サイコパスは「精神の大人」に依存して、社会に根を張る。
自らの感情を優先させるがため、言動がズレて自己中心的になりがちの善玉サイコパスは、人間関係に難渋することが多い。
しかし調整役として「精神的大人」にサポートしてもらうことで、首の皮一枚スレスレにどうにかこうにか社会を綱渡りしているように見える。

懐の広い精神的大人たちは、善玉サイコパスをかばう。
「〇〇さんだって悪気があるわけじゃないからさ、カンベンしてやってよ」
「わかったわかった、細かい業務内容はさ、俺が〇〇さんにイチからかみ砕いて、よーく説明しておくから」

 

「精神的大人」。……そう、「善意にあふれた優しい人たち」。
コバンザメである私を吸い付かせてくれる、大型のサメ類やカジキ類、ウミガメさん、クジラさんたち。

もし自分がヒラヒラ大海原を泳いでほかの魚に攻撃されたら、彼らにくっついてかばってもらえばいい。彼らはきっと、意地悪な周りの攻撃から、私を守ってくれる。そして私の大好きな、「あなたは悪くないよ」という甘いささやきを与えてくれるはず。ぜったいに私が傷つかない、耳あたりの良いソフトで甘い解決方法を、私のために提示してくれるはず。

私、その言葉を待ってたの。
間違っても、「あなたが悪いのだから反省しなさい」なんて言わないでね。私が求めているのは全肯定だけ。だって私はか弱い子供だから。キツい言葉に耐えうるだけの鋼のハートをもっていないの……。

 

やや辛辣な書き方だろうか。
もちろん善玉サイコパスに限らず、人は誰でも共感してくれる人間に心を許し、行動をともにするものだろう。
しかし善玉サイコパスの「甘甘の存在」に対する心の依存ぶりは、相当な吸引力がある。まさにコバンザメのように、ピッタリはりついてはがれない。

なぜこれほどまでに傷つくことを恐れるのか。
それは善玉サイコパスのもうひとつの特徴、「裏表がない」ことに起因する。彼らは子供ゆえに「素の自分」をむき出しにしている。だからこそ傷つくことに臆病で、優しい保護者をひたすら求めてしまうのだ。
(Part9へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part9

(つづき)
裏表がない。
これも善玉サイコパスの顕著な特徴のひとつである。 ある意味、人間としては美徳といえるのだろう。

しかし前述したように、人間は社会的動物である以上、表に出す言葉がすべてではない。「裏表がない」というのは、ときに非常識でもある。
友達間ならいざしらず、「本音」と「建て前」をじょうずに使い分けられない人というのは、ビジネスシーンでは厳しい評価を受けることもあるだろう。

ところが善玉サイコパスは、相手が誰でも、どのようなシーンでも、自分の態度を変えることをしない。
善玉サイコパスはつねに自分の感情・欲求が最優先になるようプログラム設定されているので、取引成立のためのリップサービスはできないし、そもそもするつもりもないようだ。

 

「自分にうそをつかない」。
それは本人にとっては心地よいかもしれない。しかしときに、相手に傲慢な印象を与えることは否めない。結果として他人をいらだたせ、会社・組織のコミュニケーションにおいて摩擦が生じる。
おそらく自分自身が「表」の素だけで生きているからこそ、他人も表に出す言葉がすべてだと考え、その通りに受け止め、行間が読めずにKYになってしまうのだろう。
また「表」の素だけで他人と接するからこそ、攻撃の刃をよける逃げ道を持たず、モロにダメージを受けてしまうのだ。

 

ところがその「裏表のない子供らしさ」が、ある特定の人の目には「純粋さ」と映ることもある。その特定の人間こそ、善玉サイコパスが依存する「優しい精神的大人」たちだ。
彼らはなまじ大人であるがゆえに、善玉サイコパスの悪意のなさを見抜いている。根底に「誰かを陥れてやろう」などの意地悪さがないからこそ、多少困り顔になりながらも、最終的にはあたたかい笑顔で庇ってしまうのだ。

善玉サイコパスは、その善意を生存本能で嗅ぎ取り、コバンザメの宿主として選ぶ。
結果として「精神的大人」は、「精神的子供」の善玉サイコパスを受け入れ、他社との調整役に甘んじ、面倒を見るはめになる。善玉サイコパスはその善意の懐に飛び込んで生きる。

 

このように書くと、ずいぶん意地の悪い見方をしていると思われるかもしれない。しかしここで留意していただきたい点は、「大人の感性が大切」ということなのだ。
なぜならば近年、大人になり切れていない大人が蔓延しているように思えてならない。その弊害は、さまざまな社会問題の根幹として強固に居座っているように感じる。「困ったちゃん対策」のセミナーが人気をよぶ日本社会に、私は一抹の不安を感じるのだ。

弱いならば弱い、子供なら子供で仕方ない。
しかし世間から隔絶されて孤高の芸術家を生きるのでもない限り、実社会で永遠に子供を通すことは難しい。それならば早々にウイークポイントに気づき、意識的に大人の感性を養うほうが建設的ではなかろうか。

しかし意識しようとしても適わないのが、「善玉サイコパス」の厄介なところだ。だからこその「サイコパス」であるからして。

 

これは自戒も込めて書くのだが、「変わる」ということは、勇気とエネルギーのいる作業である。
だって「気づかない」「変わらない」でいるほうが、変わることより何倍も楽なのだから。
(Part10へつづく)

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●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part10

(つづき)
善玉サイコパスには、表層面にとどまる傾向がある。
「自分の欲求と感情」を最優先に生きていると、やはり深淵部に意識が向きにくいのだろうか。

善玉サイコパスは、自分が傷つくこと、つらいこと、汚れること、たいへんなことの核心的な部分には、決して手を出さない。臭いものにはキッチリふたをして見ようとせず、それらをまるごと他人に手渡し、自分は楽なところやキレイなところの表層的な部分において積極的に活動したがる。

表向きは「他人のため」と称することも、実際は「自分のため」のポーズであることが多い。自分のチャイルディッシュな欲求を正当化させるため、「他人のため」という大義名分が欲しいのかもしれない。

 

あえて言葉にすると手厳しく思われるかもしれないが、実際このタイプはどこの職場でもひとりはいるようだ。過去にも複数の知人から、共通の人物像で相談をうけたものだ。

私がこのことを改めて認識したのは、知人Kさんの行動を通してだった。
なぜかKさんは、教会が主催する、ホームレスサポートのボランティアに参加しているという。その活動のひとつ炊き出しボランティアに、私と知人Rさんは誘われた。

炊き出しは教会のキッチンで配給用の食事をつくり、指定場所で配るという毎週定期的に行われている作業だった。
炊き出しの食事作りは、土曜日の10時くらいからスタートする。Kさんは平日会社に行っているので、その時間なら身体があいているのだろう。

 

私は最初、Kさんからその話を聞いて「???」と思った。常日頃のKさんの自己中心的な言動と、他者のための「ボランティア」という行動が結びつかなかったからである。

Kさんは、自分がボランティアに尽力しているという事実を、力強く熱く語った。それを聞き、「私はもしかしたら、Kさんのことを誤解していたのかもしれない」……と反省の念を抱き、申し訳ない気持ちで身体を小さくしてしまった。
しかし実際に参加してみると、「なるほど」と納得せざるを得なかった。私の反省は、悪いほうに裏切られたのだ。

 

ホームレスサポート主催者であるプロテスタントの教会は、都内の一等地に場所を構えている。聞く話によると、日本で最も坪単価が高い教会として知られているということだ。周囲は、エレガントなファッションビルが林立している。
教会に入ると、土地がら外国人スタッフが多く、地下のキッチンはまるでインターナショナルスクールのように朗らかでオープンな雰囲気だった。
その日は、自国の一流ホテルでシェフ経験があるというインド人の男性が、スパイスから調合する美味しそうなインドカリーを鍋いっぱいに作っていた。

スタッフたちはそれを自分たちの早目のお昼ご飯として食べ、ホームレスの昼食配給に出かけて行く。しかしKさんは、そこには同行しないという。

「私は行かないです」
Kさんはいつもの調子で悪びれずにあっさりと言い、準備を始めているスタッフたちを眺めながら、いすから立とうともしなかった。

Kさんのする仕事はどこまでか。
Kさんはスタッフと一緒に楽しくクッキングをしてお昼を食べて、そしてそれを自分の夕食用に分けてもらって帰ることまで、だったのだ。

彼女はほかのボランティアスタッフのように、実際にホームレスと接してつらさに触れることもなければ、話を聞いて意識を共有することもしない。衣類の交換・回収など不衛生な環境に身をおくこともぜったいにしない。

ただ一等地の教会で、インターナショナルなセレブ感を味わい、ピカピカのキッチンで、自腹をきらず教会の費用で、趣味のようにクッキングを楽しみ、一流シェフが手助けしてくれたおいしい昼食を、慈愛にあふれた親切で優しいスタッフたちと共に、わいわい世間話をしながら味わい、お土産をもらって帰る。

そして「私はボランティアの仕事をこなした奉仕の精神をもつ素晴らしい人間」という満足感にひたり、家路につくことである。

「私は常日頃、こんなに素晴らしいボランティアをしているの。わたしは慈愛にあふれたステキな人間。社会貢献している献身的なわたし」

これがKさんの本来の目的だったのだ。
Kさんはボランティアを、自己欲求を満たすためのツールとして私用する。
私は一度期待しただけに、Kさんの心にある表層的な満足感に気づき、トーンダウンしてしまった。

 

前回、善玉サイコパスは「絶対に自分を傷つけない」「甘くて優しい」「精神的大人」が大好きだということを書いた。
ひとくくりにはできないのだが、クリスチャンでボランティアをしている人というのは、そのような穏やかで優しい、デキた方たちが多い。まさにここは、Kさんが依存したい人間の集まりだ。いうなればKさんの「絶好の狩場」なのだろう。

おそらくこの人的環境も、Kさんの目的のひとつだ。どんなに自由きままに振る舞っても、会社のように総攻撃もされなければ、青筋立てて責めてくる恐ろしい人間もいないのだから。

しかしいくら教会のボランティアスタッフたちが、Kさんの好きな「甘くて優しい」「精神的大人」たちにあふれているとはいえ、中にはKさんの本質を見抜く人たちも出てくる。
Kさんはその人たちに疎まれる。

毎回、キツイ、キタナイ、ツライ部分を、一手に引き受けている人たちからしてみれば、Kさんのキレイなとこだけ、おいしいとこだけの「偽善ボランティア」をうとましがるのも、致仕方のない感情といえるだろう。
結局は自分を傷つく位置におかないKさんのあからさまな自己保身が、真摯にボランティアをしている彼らの神経を逆なでするのだ。

 

私はその日、Kさんの「私は行きません」の投げ捨て発言に、「ああ、またか…」とでも言いたげに白い眼を向けて出かけて行くスタッフ何名かを、ひやひやしながら見送った。
表層的ならばそれはそれで構わないから、もう少しじょうずに立ち回ってくれればいいのに、と願いながら。見ているこちらの心臓にも悪いのだ。

Kさんはいつも言う。
「私は何もしてないのに、どうしてこんなに意地悪されるの??!」
それは「何もしていないから」ではなかろうか。

つらくてキタナイ現実的な部分から目をそむけ、それらをすべて他人に押し付けて、自分は決して傷つかない高い位置から、ドヤ顔で「偽善ボランティア」をアピールするから反感をかうのだと思うが。

しかしKさんはいつまでもそのことに気づかない。
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