カテゴリー別アーカイブ: マイルドストーカー

あなたの周りに潜むマイルドストーカー ~PART6案外冷静な社内の人々

(つづき)その後も、堀之内X夫人からの電話攻撃は続いた。

最初こそ好奇心にわいた社内の人々だったが、溝口さんが阿修羅のごとく、自分はかん違いされた被害者にすぎないと主張すると、あっさりと興味を失い、個々の業務に戻っていった。

周囲が溝口さんと堀之内課長との不倫関係を信じなかったのには、ふたつ、理由があった。

ひとつには、やはり溝口さんの「キャラ」に負うところが大きい。普段からフェロモンを振りまく恋愛モード全開の女子社員とは違い、溝口さんと「不倫疑惑」は、あまりにそぐわなかったからである。

なんせ「プーチン大統領似女子・タモリ風味」である。色恋のうわさ話で周囲が盛り上がるには、いまひとつ恋愛キャラがたっていなかった。
また実際、堀之内課長と溝口さんが仲良くしているところなど誰も見ておらず、溝口さんの主張のほうがはるかに現実的で、信用性も高かったのだろう。

相手の堀之内課長も、目立たない地味なタイプらしく、周囲の好奇心を持続させるには役不足だった。

 

ふたつに、堀之内X夫人には前科があった。
前科といっても、実際に塀の中でお世話になったという類の前科ではない。「不倫誤解おさわがせ通報」の前科である。

入社間もない社員には知られていないことであったが、X夫人は数年前にも何度か、おなじことをやらかしていた。
それは営業の中堅社員が、溝口さんに教えてくれた事実である。

「そのときも誤解だっていうんで、ターゲットにされた女子社員が激怒してね。今は辞めてしまった人なんだけど。しかもその時期、彼女は結婚を控えていたから。もうたいへんよ。名誉毀損だ、出るところに出て話をつけるって、大騒ぎになって」

「その女性はなんで課長との仲を誤解されたんですか」

溝口さんは、自分とおなじ目にあった被害経緯に興味をもった。
営業の中堅社員は、首をひねりながら答えた。

「う~ん、たしかあのときは……。社内のお花見の写真に、たまたま堀之内課長と彼女が、一緒に写り込んでいたんじゃなかったかな。それを奥様が何かで見て、妄想がふくらんでっていうパターンじゃなかったかな」

 

はた迷惑なトラブルではあったが、誰も溝口さんと堀之内課長の関係を疑うものはなかった。そのため溝口さんが社内で肩身の狭い思いをすることはなく、むしろ「エキセントリックなできごとに巻き込まれてお気の毒」と、同情されるくらいであった。
人によっては妙なうわさで職場に居づらくなったり、会社を追われるケースもあることを考えると、この点において溝口さんは恵まれていたといえる。

「それにしたって、一回だけじゃなくて、何度も電話してきてるんでしょ? 会社側はなんで夫人を放置しておくわけ?」

私がたずねると、溝口さんは口の片側を微妙にゆがめて言った。

「X夫人はね、もともとはうちの会社の社員だったんだって。それも部長や副部長と同期入社の。堀之内課長と結婚して辞めるまでは、けっこうバリバリ働いていたらしいよ。まあ、上層部と顔見知りということもあって、いろいろ私たちが知らないことも知っているみたいだね。会社としてもそうそう強く出られないらしいよ」

顔見知りか。
それはいろいろとやりにくいだろう。
溝口さんは続けた。

「はっきりとはわからないんだけど、そもそもX夫人が奇行に走るようになったこと自体、本当に、大昔の課長の浮気が原因らしいんだよね。もう何十年も前みたいだけど。それをきっかけにして心が病んじゃったみたい」

「あらら。それはそれは……」

壊れるには壊れるなりの原因があったということか。同情すべき事情ではあるが、第三者の溝口さんには無関係だろう。

 

その後、X夫人からのタレコミ電話は続いたが、社員全員が事情を認知したため、X夫人は相手にされなかった。

「はいはい、ご指摘ありがとうございます。上の者にも申し伝えておきますので」

このようにあしらわれ、X夫人は影響力を失っていった。

軽くいなされてしまい溜飲が下がらないのか、ついにはただの無言電話をよこすようになった。そしてその事実に社員誰もが慣れっこになった。
電話に出て無言電話だと、「ああ、X夫人か」と思い、「もしもーし、ご用がないのであれば切りますよー」と電話を切り、各自が日常の仕事に戻っていった。

PART7につづく

PART1 PART2 PART3 PART4 PART5

あなたの周りに潜むマイルドストーカー ~PART5不倫疑惑

(つづき) 堀之内課長というのは、別部署の、ほとんど話したこともない上司だという。おなじフロアにデスクを置いてはいるものの、場所も離れているし、事務方の溝口さんとは特に仕事で絡むこともない。
ただひとつ類似点があるとすれば、自宅の最寄り駅がおなじということくらいだろうか。出勤途中、何度か駅で遭遇してあいさつをしたため、その事実を知っていた。

「上司とスーパーで会ったら嫌だなあ」
溝口さんはその程度に感じていた。

 

堀之内夫人に初めて遭遇した翌日、溝口さんはいつも通り出勤した。
午後の仕事が一段落する比較的暇な時間、溝口さんはなぜか直属の部長に呼び出された。会議室に呼び出しを受けるほどのミスを、仕事でした覚えはない。心当たりがあるとすれば、少し前にムームーを着て出勤して、「君はハワイにでも行くのかね」と、さりげなく部長に嫌みを言われたことくらいだった。

「ムームーはまずかったか」

舌打ちしながら会議室に入った溝口さんは、部長と副部長と堀之内課長が、苦い顔をして座っている姿が目にはいり、ぎょっとした。
「まあ、ちょっと座ってよ」

部長に促され、三名と対面する形で溝口さんは腰をおろした。たかがムームー出勤でこれほど厳重注意を受けるのだろうか。
部長は重い口をひらいた。

「これから噂になるとかわいそうだから、先に言っておくよ。今日、堀之内君の奥さん……おっと、奥さんという呼び方も今は何かに抵触するのかな? これは大丈夫? うーん、むずかしいね。とにかく堀之内君の妻君から電話があったんだ。とりあえず責任者を出せって。その、ご夫人がいうにはね、君と堀之内君が不倫関係にあるというんだ。一体、会社の管理監督はどうなっているのかと、ご立腹の電話だった」

溝口さんは、目の玉が飛び出るくらいおどろいた。

「はああ?!! 私と堀之内課長が?! 何ですか、それ!」

部長は制止するように手をかざし、言葉を続けた。
「いや、わかってるよ。誤解なんだろう。先に堀之内君に確認をとったから、こちらとしてもそれは理解しているよ」

衝撃的なタレコミのわりにはあっさりと誤解を認めているな、溝口さんはそう感じたという。

「ただ、ご夫人はかなり激高していてね。まだ誤解は解けていないようなんだ」
溝口さんは思い出して言った。

「そういえば、昨日、就業後に総合ロビーでその方にお会いしましたよ。私の名前を社内報で見て知っているとか何とかって。いきなり飛び出してきて、わけのわからないことをニコニコしながらまくしたてて。あれって、私と課長のことを誤解しての行動だったんですか?」

堀之内課長は、渋い顔をして下を向き、黙っている。

「わたし、堀之内課長ならまだ残っているから呼びましょうかって言ったんです。そうしたら、いいのよ、今日はあなたに会いにきただけですから、うふふふって笑いながら、風のように去っていきましたけど」

「ああ、もう接触されたんだね」
部長は眉間にしわをよせて言った。

溝口さんは堀之内課長にたずねた。
「はい。……あのー、課長、奥さまが、私との関係を誤解されるようなこと、何かお心当たりはあるんですか。たとえばほかの女性と私を間違えているとか」

堀之内課長は、「いや……」とつぶやき、下を向いたままだった。溝口さんはイラッとしてさらに問いただそうと身を乗り出したところ、今度は副部長が口を開いた。

「堀之内君と溝口さんは、最寄り駅もおなじだったね。もしかしたら、帰途が一緒になったところなどを目撃して、楽しそうな様子から、何か誤解したということもあり得る」

「いえ、朝、駅でお目にかかって、会釈くらいしたことはありますけど、帰りが一緒になって会話を交わしたなんてことは、一度もないですよ。二、三回、お見かけしたことはあるかもしれませんが。課長も私も、お互い気づかないフリというか、就業後にあえて話をすることはしませんし」

堀之内課長は押し黙っている。

(何とか言えよ! 誤解されるだろうが!)
溝口さんはイラつきながら言った。
「私にとっては、本当になにがなんだか、わけのわからない話です」

溝口さんは憤懣やるかたない様子でそう答えると、それをフォローするように部長がとりなした。

「まあまあ、会社としてはそれはじゅうぶん、承知しているから。溝口さんに落ち度はない。ただ、こういうことがあった以上、君も一応、気をつけてみてくれないか。いや、気をつけっていうのは、君を責めているんじゃないよ。溝口さんの身を案じてのことだよ。現に昨日は君に会いに来ているっていうからさ。相手の誤解が解けてない以上、またおなじようなことがあったら、なるべくご夫人を刺激せず、じょうずにやり過ごしてはくれないか」

溝口さんにとって腑に落ちない、謎だらけの面談はそれで終了した。

 

溝口さんが席にもどると、隣のデスクの同僚が目を白黒させながら小声で話しかけた。

「ちょっと、溝口さん! だいじょうぶ?! 今すごい電話があったよ。あなたの職場の溝口さんという女性は、うちの堀之内と不倫してますって。周囲のみなさまも社内の道徳と秩序が保たれるよう、気をつけてくださいませんか、お願いしますねって。たぶん、ほかの電話にもかかってる!」

溝口さんはうなだれてため息をついた。

「今まさに、そのことで呼び出されていたところだよ。本当に、何がなんだか。堀之内上司となんか、ほとんど口もきいたことないよ。見てればわかるでしょう」

「ま、そりゃあねえ。財力のあるイケメン上司とかならともかく。あんなくたびれたサエない上司と、間違えたって不倫になんかならないよねえ」

同僚は、好奇心の視線からあっさりと現実的視点にもどり、溝口さんの言葉に深くうなずいた。
PART6につづく

PART1 PART2 PART3 PART4

あなたの周りに潜むマイルドストーカー ~PART4それはある日、会社にかかってきた一本の電話からはじまった

(つづき)溝口さんの社会人生活も、はや一年経った。事務職の仕事にも少し慣れ、花見や納涼会など会社の行事にも参加し、丸の内のランチ事情にもくわしくなり、それなりに社会人生活を謳歌しているようだった。

だがしかし。

溝口さんほどの逸材が安穏とした社会人生活を送れるかといえば、そうは問屋が卸さない。トラブルの影は少しずつ近づいていたのだ。

 

ある日、溝口さんの会社に電話がかかってきた。溝口さんとおなじ事務職の、隣のデスクの女性がそれを取った。

「お待たせいたしました。〇✕会社でございます。溝口ですか? はい、おりますけれど。お電話おつなぎいたしますので少々お待ちください。……え? よろしいのですか。お電話いただきましたことお伝えいたしますので、よろしければお名前、」

そう問うたところで電話はブツリと切れた。同僚は受話器をもどしながら溝口さんに伝えた。

「なんかね、女性の方だった。そちらに溝口さんという人は働いてますかって。名前聞いたらすぐ切れちゃった」
「ふうん?」
本社の営業とやり取りすることもあったので、新人営業さんが何かを確認したかったのだろう、くらいに溝口さんは考えていた。

 

その日は残業もなく、業務を終えた溝口さんは定時にタイムカードを切った。
エレベーターを降り、セキュリティゲートを抜け、一階ビルの総合フロアロビーを横切ろうとしたそのとき。

「あら? 溝口さん? あなた、溝口さんよねえ!」

やけにハイテンションで明るい声の年配女性が、どこから現れたのか、溝口さんの正面に、湧いたかのように立ちはだかった。まったく知らない女性であった。

 

「いやだわ。まさか溝口さんにお会いできるなんて思ってなかったから。あら、ごめんなさいね。驚かなくていいですよ。いつも堀之内がお世話になっております。どうして溝口さんだとわかったかって? この前の会社の納・涼・会。溝口さんが朝顔の鉢にお水あげていたでしょう。それを社内報で見て、なんてやさしいお嬢さんなんだろうって、私、感激してしまって。堀之内もきっとそう思っているだろうって。ええ、ええ、私はそう思いますよ!」

女性はニコニコと笑いながら、ペラペラと早口で、ハイテンションマシンガントークを浴びせつづける。溝口さんは呆気にとられてその女性をながめた。

溝口さんは、その女性を最初に見たとき、うまく言葉に出来ない、ちぐはぐな印象を受けたという。普通の格好をしているのだが、どこかバランスが悪く、「何かが緩んでいる」というのだ。

きちんとした格好をしているように見えるが、どこかがだらしないというか、どこかつめが甘いというか、そこが妙に浮き彫りとなり、違和感を覚えた。

その日、ご夫人はシックなモノトーンのツーピースを着ていたが、上に羽織っていたのがなぜか毛玉だらけの安そうな小花のついた、黄色い毛糸のカーディガン。そして膝上ストッキングが片方、膝下までずり落ちていた。ところがバッグは高価そうなディオールという、全体的にアンバランスないでたちであったという。

 

「あの、どなたかと人違いされているのではありませんか?」
そう尋ねると、女性はたたみかけるように言った。

「いやだ、溝口さん、いいのよ! ごまかさなくて。私ちゃーんと、溝口さんのお顔とネームプレートは、社内報で拝見していますから。堀之内と一緒に映っていたお写真で」

それを聞いて、溝口さんは「ああ」と思った。先月会社で行われた納涼会の様子が社内報に掲載されたのだ。
ということは、この女性は。

「もしかして、堀之内課長の」

さきほどから堀之内、堀之内、と連呼しているのはそれ以外に思い当たらない。

「妻です」

堀之内X夫人は、薄い笑いを浮かべながらゆっくりとうなずいた。
PART5につづく

PART1 PART2 PART3

 

 

あなたの周りに潜むマイルドストーカー ~PART3溝口さんの就活

(つづき)大学時代、溝口さんも私も就活への意欲がまったくなく、「いまだ手つかず」の根なし草状態を、お互いムキになり競いあっていた。
しかし溝口さんは四回生の冬頃、さすがに「マズイ」と思ったのか、重い腰をあげた。

 

当時はまだ、個人がメールを所有する時代ではなかった。就職ための会社情報は大学の「就活ルーム」に張り出され、それ以外の募集については雑誌や新聞で調べていた。そこから募集企業にあたりをつけ、電話をかけて資料請求し、履歴書を送るなどして面接にこぎつけるのだ。

 

溝口さんは授業のない昼間に、自宅から会社に資料請求の電話をかけた。就活も終わりの時期だったが、内定を得ていない学生が空席のある企業に押し寄せているのか、電話はいつまでたってもつながらなかった。

時間をおいて何度かかけたが、それでもまったくつながらない。最初は緊張し、正座して電話をかけていた溝口さんだったが、「どうせしばらくは無理だな」と思い、やがて寝っ転がり、雑誌を見ながら、背中をボリボリとかき傍らのパンをかじり、ページを惰性でめくりつつ、適当にリダイヤルボタンを押しつづけた。

溝口さんがパンを飲み込もうとしたそのとき、不意に電話がつながった。
「はい、株式会社〇△でございます」

溝口さんは飲み込もうとしたパンをのどに詰まらせ、むせて咳き込んだ。

「グホッ、グホッ、……グ、グギュ……グホホッ、ゴボッ」

「だ、だいじょうぶですか?! どうされましたか?!」

「(ゴクン)だ、だいじょうぶです。(ハアハア)すみません、パンがのどに……」

「は? パン?」

「……………パン……が喉に、つまって……。いえあの、資料請求をお願いしたいのですが……」

 

資料をとりよせ、履歴書を送付したのち、溝口さんは面接を受けた。
神妙に扉を開け、面接官にていねいにおじぎをし、大学と名前を告げた。

「△△大学の、溝口阿佐美ともうします」

「ああ、資料請求のときにパン食べてた人ですよね」

「(溝口さん)……………………。」
「(面接官)…………………………………………。」

 

「いやあ、まいったよ。その後何を話しても、面接官たちの氷のような冷たい視線が、痛いのなんのって」

「うん、まあ。世間的にはそれを自業自得というんだよね」

そんな経緯で溝口さんは第一希望の企業にアッサリとすべり、その後どうにかこうにか、丸の内にある医療メーカーの子会社に就職を果たした。

溝口さんも私も僥倖をよろこび祝杯をあげたのだが、その会社こそが、やがて彼女を珍妙なできごとへと巻き込むステージだったのである。
PART4につづく

 

PART1 PART2

 

あなたの周りに潜むマイルドストーカーPART2 ~朝、某〇〇線を泳ぐ「おはよう君」

(つづき)溝口さんのポテンシャルを示すエピソードをひとつ、紹介しておこう。
当時彼女は、東京郊外の実家から都心の大学まで、某〇〇線で通学していた。電車内には、毎朝「おはよう君」が出没したという。

「おはよう君」は、小学校一~二年くらいの少年だ。詳細は不明だが、どうやら特殊学級に通っている少年ということらしい。

 

「おはよう君」は、両手をあわせて頭の前に掲げ、満員電車のなかを、「ぶ~~~~ん」と声を発しながら、手を尖らせてドリルのようにくねらせ、人混みをかき分けて突き進む。そして何両か進むうち、自分のなかでゴールとなる人物を決め、その人に「おはよう!」と言う。そしてその相手から「おはよう」と返されると、満足してその日は終了する。

おはようを言う相手は、気分により毎日違うらしいのだが、目立つ人物が、繰り返し「おはよう君」のゴールに設定されることもある。

 

ある日「おはよう君」は、素敵なターゲットを発見した。パンクバンドかメタルバンドをやっていそうな、鼻ピアス、ビス&トゲトゲつきの黒い革ジャン、顔にマリリン・マンソンもどきの化粧を施し、髪を逆立てた青年だ。

「おはよう君」は喜々として声をかけた。
「ぶ~~~ん、ぶ~~~ん……、おはよう!」

メタル青年は無視して携帯をいじる。
「おはよう君」は、めげずにあいさつを続ける。

「おはよう! おはよう! おはよう! おはよう! おはよう! おはよう! お・は・よ・う!」」

メタル青年は何度も向きを変えて顔をそむけるが、「おはよう君」はその都度、片足を軸にして、青年の真正面に、シュタッ!シュタッ!と機敏に切り込み、目線をあわせてあいさつを促す。
ついにメタル青年は根負けし、小声でつぶやいた。

「(チッ← 舌打ち)ぉっ…はょー……」
「(プ……………………ッ)」

周囲の乗客は、肩をフルフルと震わせ、必死で笑いをこらえていた。

 

目立つ外見が災いし、その後メタル青年は続けて「おはよう君」のゴールとされた。それが複数回続いた後、ある日彼は、根負けして地味な装いの好青年へと変身をとげた。

「あれ? この人こんな顔だったんだ。っていうくらい、地味なの。その辺のふっつーのコンビニバイトか大学生みたい。笑っちゃった。ほかにも気づいた人、いると思うんだよね」

溝口さんは口元の片側だけをゆがめ、シニカルに笑った。

メタル青年はそれ以降、「おはよう君」のターゲットにされることはなくなった。やはり、奇抜な格好が徒となり、ゴールに設定されていたのだ。
彼のメタル魂は、ひとりの少年にあいさつを求められるプレッシャーの前に、脆くも崩れ去った。

 

さて、毎朝メタル青年とおなじ車両に乗っていた溝口さんだが、目立つ装いの彼が消え、いよいよ「おはよう君」の次なる相手として、その存在を発見された。

「おはよう!」
「……おはよう」

あいさつを返せば済む話なので、溝口さんは返答してコミュニケーションをとった。どうせ今日限りだろう。溝口さんはそう考えていた。

しかし翌日から「おはよう君」は、毎日溝口さんをゴールとするようになった。メタル青年とは違い、派手な外見でなく、どの車両にでもひとりやふたり、必ず乗車していそうな平凡な装いの溝口さんを、「おはよう君」は確実に見つけ出す。
特定の乗客にそこまで固執するのは、「おはよう君」史上、メタル青年以外では初めてのことらしい。(見知らぬ乗客談)。

 

溝口さんは、ためしに車両を変えてみた。
ところがどの車両に乗っていても、「おはよう君」は必ず溝口さんを探し当てる。

「ぶ~~~ん、ぶ~~~~ん……、おはよう!」
「……うん、おはよう」

溝口さんはメタル青年に倣い、帽子をかぶったりめがねをかけたりなど、プチ変身をしてみた。しかし「おはよう君」は、そんなものにはだまされない。

 

メタル青年の場合は、その特異な外観から「おはよう君」の興味を引いたのであろうが、溝口さんの場合は、ラフレシアが放つ臭気のごとく、内からにじみ出るオーラゆえ「おはよう君」を惹きつけたのだ。そのため表面的な変身をしても無駄であった。

彼はおそらく、常人よりも純粋なアンテナをもつため、溝口さんの何らかの深さを見抜いたのだ。一般人のもつ外観的判断や打算や体裁というものから解放された、いわば「おはよう君」のピュアな感性が、溝口さんの秘めたるポテンシャルをキャッチしたのだろう。
PART3につづく

PART1

 

あなたの周りに潜むマイルドストーカーPART1 ~溝口さんの底知れぬポテンシャル

私の知る限り、溝口さんほど「エキセントリックな人々」から好かれる女性はいない。

溝口さんは、一見ごく普通の女性だ。中肉中背で、容姿もファッションも髪色も派手なところはない。医療系会社の事務職を毎日黙々と実直にこなしている、どこにでもいる堅実な会社員だ。

しかし彼女は、「少し変わった人」を引きつける素養というか、うちに秘めたる吸引力がものすごいのだ。

 

それはひとえに、溝口さんの本質的な「おもしろさ」にあるのだと思う。

ひとたび溝口さんのふところに入り込み、親しく会話を交わすとそれがわかる。彼女のエッジの効いた感性に「ウッ……」と、ハートを射貫かれることしばしば。この地味な人の、どこにこんな破壊力のあるギャグが潜んでいるのだろうと、顔文字のポカーンのように、本当に、ポカーンとさせられるのだ。

 

何の気なしにぼそっと話す内容の、その言葉選びや視点が秀逸で、クセになるおもしろさだ。饒舌なタイプではないのに、わずかな会話だけで、ただものではない感性に気づかされる。

いや、表面的な付き合いにとどまる一般の人々は、溝口さんのポテンシャルに気づいていないのかもしれない。溝口さんの面白さは、むかしから彼女を知る人や、ふところに飛び込んで親しくなった人、あるいは独特の嗅覚をもつ人にのみ認知されている。

 

彼女の独特の持ち味をどう例えたらよいのか。
長年思案してきたのだが、最近ようやく、よい答えに行き着いた。

「女版・タモリさん」だ。
わかるだろうか。あの感じである。

タモリさんも、外見的にはわりと地味で普通だ。しかし淡々とした話し口調のなかに、鋭い観察眼やニヒルな切り口が満載で、ふところが深く、そしてエキセントリックキャパシティーが広い。その器の大きさとおもしろさが、昔も今も、サブカル寄りのアーティストや知識人を惹きつけてやまない。

 

タモリさんがそうであるように、溝口さんの垂れ流すオーラは、他人の中のエキセントリックな血をざわつかせる。
普通人である私ですら、溝口さんを前にすると、自分のなかのサブカルの血がザワザワと騒ぎ出していることに気づき、「こ、こらっ、静まれ!」と、自らの体液を叱咤してしまうのだから。

一体、彼女の何かどう、「彼ら」の嗅覚を刺激するのだろうか。

おそらく「エキセントリックな人々」は、常人とは異なる高感度のアンテナを持っているからして、溝口さんと親しくならずとも、溝口さんの「おもしろさ」を匂いで敏感に嗅ぎ当てるのだ。彼女のエキセントリックキャパが広いことを本能で感知し、「この人になら自分が受け入れられる」と期待して、吸い寄せられてくるのではなかろうか。

 

しかし溝口さん本人は、自分が「エキセントリックキャッチャー」だという自覚はない。多くの「エキセントリックな人々」の心をざわつかせ、彼らを魅了しながらも、至って普通に生きているし、彼女自身は、穏やかに普通に生きていきたいと願っている。

しかし本人の意思とはうらはらに、溝口さんラヴァーはつぎつぎと現れ、その面白エピソードは積み重ねられていくのだ。

 

ちなみに溝口さんの容貌は、ロシアのプーチン大統領に似ている。

私がテレビでプーチン大統領を見るたびに、どこか後ろ髪を引かれそわそわしてしまうのは、プーチン大統領が私の好きなペルシャヒョウを手なずけていたからでもなく、返還交渉再開というニュースの直後に北方領土に最新ミサイルを配備したからでもなく、「パラダイスペーパー」で、トランプ政権の重要閣僚とプーチン大統領に直結する人物らのビジネス上のつながりが明らかになったからでもなく、彼が溝口さんに似ているからかもしれない。

口だけゆがめるようなシニカルな笑い方も、ちょっと似ている。

「プーチン大統領似女子・タモリ風味」
これが溝口さんだ。

 

本書は溝口さんの魅力にノックアウトされた年配女性が、溝口さんにつきまとい、珍騒動をくりひろげたマイノリティレポートである。
PART2につづく

 

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