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イスラム教の預言者ムハンマドは「超・猫好き男子」

■元祖・猫好き男子 ムハンマド

ご存じの方も多いかと思いますが、イスラム教では猫をとても大切にします。
なぜならイスラム教の預言者ムハンマド(571年~632年)が、「超・猫好き男子」で、たいそう猫をかわいがったからです。

日本の猫好きといえば、平安時代の宇多天皇(887年~897年)が有名です。彼の書いた『寛平御記(かんぴょうぎょき)』は、自分の飼っている黒猫への熱い想い(と自慢)を綴った「現代版猫ブログ」として名高いですが、それよりも約300年早く、預言者ムハンマドの猫好きは知られていました。

時代は変われど、国は変われど、いつの世も猫好きはいる・・・・・・そう、必ずいる・・・・・・・・・といったところでしょう。

(参考記事:寛平御記 – くるねこ大和

 

ちなみに猫というのは、大声を出す人、乱暴で落ち着きのない人、下品な人、粗野な人、支配的な人、無神経な人、ズケズケと個に踏み込んでくる人、権威に阿る俗人などを、本能的に嫌います。
「あの人さぁ、ちょっとアレよね・・・」と、職場で女子社員にけむたがられている上司タイプは、おそらく猫とは相容れないでしょう。

預言者ムハンマドは、いつも物静かに微笑み、語り、母親という存在を尊敬し、女性の尊厳や意見を大切にし、思慮深く耳を傾け、一人の時間も好きで洞窟にこもり、瞑想し、酒に酔って騒ぐ不品行を嫌い、不正を嫌い、下品な言動一切を嫌う人物でしたので、猫とは相思相愛になれる、穏やかでデリケートな性質を備えた男性だったのではないでしょうか。

 

猫は、常に自分の身体をなめてきれいにする清潔さからも、追従しない独立心からも、ムハンマドの寵愛を受けたことからも、「真のペット」としてイスラム教徒に広く愛されてきました。

実際にイスラム圏を旅すると、猫がそこらじゅうにボトボトと落ちて、のんびり平和にくつろいでいます。それはもう伸びっぷりがよく、カフェでも道ばたでも、液体のように長々と伸びてリラックスしています。

モスクにも猫が悠々と入り込み、礼拝中のムスリムにスリスリと身体をこすりつけている光景をよく目にします。しかし皆追い払うでもなく、そのまま礼拝を続けていました。
外猫への餌やりにも目くじらをたてる日本とは違い、イスラム圏の懐の広さを感じます。

(参考記事:「カラパイア」~猫は全神説。イスラム教のモスクに現れ聖典を読む指導者にモフを要求。あげく一番高い位置に鎮座する~

 

■預言者ムハンマドの猫好きエピソード

預言者ムハンマドの猫好き話は、『クルアーン』ではなく、預言者の言行録『ハディース』に多く記録されています。
「猫への愛は信仰の一側面である」と言いきり、猫を迫害することや殺すことを禁じていました。
猫を餓死させた女性に対しては、さすがの温厚なムハンマドも怒り心頭。「この女性は地獄に落ちる(怒)」と、厳しく審判をくだしました。

ムハンマド一家では、人と猫が同じ皿から食事することも厭いませんでした。「うちもそんなもんだな」という猫飼いさんは、結構多いのではないでしょうか。「猫好きあるある」です。

 

また預言者ムハンマドは、可愛がっていた愛猫ムエザが礼拝服の上で寝ていたとき、気持ちよく寝ているのを起こすのがかわいそうで、袖を切り落として袖なしの服で礼拝に出かけたと伝えられています。ムハンマドが帰宅したとき、ムエザは感謝の意を示し、三度おじぎをしました。

このエピソードは、イスラム教における「慈悲」という観念とむすびつけて語られていますが、スヤスヤ寝ている猫を起こしがたいのは、預言者も一般人もおなじということでしょう。親近感を覚える逸話です。

ちなみに額に「M」模様のあるキジネコがいますが、それはイスラム教では、ムハンマドの指が触れたときに現れた「ムハンマドのM印」だと言われています。

 

■じつは犬にも優しかったり

イスラム教で犬は不浄、という概念があります。

「犬と同じ皿を使ったときは、その皿を7回は洗うべき」など、猫の扱いと比べるとずいぶん手厳しいですが、それは当時死者が多く出た狂犬病を避けるためという理由からで、じつは預言者ムハンマドは、犬に対しても慈愛をもって接していました。

『ハディース』には次のようなエピソードが登場します。

 

『アブー・フライラ(ムハンマドの教友)によると、神の使徒は語った。或る男が歩いているとき、烈しい渇きを感じたので井戸に下りて行って水を飲み、出てくると、そこに犬が居て渇きのあまり湿った土を噛んでいた。そこで、男は、この犬は自分が苦しんだような渇きに苦しんでいるに違いないと思って、また井戸に下りて行き、靴に水を満たし口にくわえて上がって来て犬に飲ませた。アッラーはその行いを嘉し、彼の過ちを赦した」と。そこで人々が神の使徒に「私達は動物にしてやった良い行いのために報いを与えられるでしょうか」と尋ねたとき、彼は「どの動物にした行いに対しても報いを受ける」と答えた。』

 

喉が渇くあまり湿った土をなめている犬を見て、かわいそうに思ったアブー・フライラは、井戸に降りて自分の靴に水を汲み、犬に飲ませてあげた。それを聞いた預言者ムハンマドは「よい行いをした」と讃えた・・・・・・という、なんだか涙の出るようなほっこりエピソードです。

最近、イスラム教徒のドライバーが、「犬は不浄だから盲導犬はアウト」として、盲導犬を連れた客の乗車拒否をしたケースが問題となりました。
形式や時代背景にとらわれ、思いやりや互助の精神といった、本来の信仰趣旨を見失うことのないよう、お願いしたいものです。

 

■預言者ムハンマドの猫友

ちなみに、犬に水をあげたこのアブー・フライラという男性、預言者ムハンマドの教友でもあり、同時に「猫友」でもありました。つねに猫をかわいがり、子猫をたくさんはべらせ世話していた人物です。

「アブー・フライラ」というのは本名ではなく、あだ名です。
「アブー(Abu)」は「お父さん」という意味で、「フライラ」というのは「猫(hirratun)」をかわいらしくスラング表現にした単語です。

直訳で「子猫のお父さん」なのですが、ニュアンスで言えば、「猫おばさん」ならぬ、「にゃんこオヤジ」といった感じでしょうか。その「にゃんこオヤジ」というあだ名が、後生まで『ハディース』に愛称として残ってしまったという顛末です。
本人としても想定外のことだったでしょう。

 

イスラム教では、動物に対して慈愛をもって接することは極めて自然な行動であり、シリアのダマスカスには、市民の寄付によって猫の病院、年老いた猫の養老院が設置されています。

野生を備える猫までもが警戒心を持たず、のびのびと暮らし天寿を全うできる社会。
これこそ平和の象徴ではないでしょうか。

弱き存在や、小さき命の末端にまで愛を注ぐことが尊ばれる文化は、ぜひ日本にも浸透してほしいと、昨今の殺伐とした記事を目にするたび感じてしまうのです。

(2月22日執筆:猫の日記念記事)

 

(サイト内類似記事:イスラム教の預言者ムハンマドは、元祖「イクメン・カジメン」

 

イスラムビジネス成功の鍵はムスリマ(イスラム教女性信者)理解にあり

ムスリマとは、イスラム教の女性信者のことです。
男性信者が「ムスリム」、女性信者が「ムスリマ」です。

現在、イスラム教信者は世界に約16億人いるといわれています。世界の4分の1がイスラム教徒という割合です。数年後には20億人に追いつくという声もあります。
米調査機関ピュー・リサーチ・センターは、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年にはイスラム教徒が最大勢力になるとの予測をまとめました。

 

 

日本でも、2020年の東京オリンピック・パラリンピックにむけて、急ピッチで準備が進められています。

JR東日本は2017年6月2日、東京駅構内に設けたイスラム教徒向けの祈祷室を報道陣に公開しました。またホテル、デパート業界では、イスラム教信者用の祈祷室スペースを確保するため、整備に努めている最中です。
私が実際に見たところでは、髙島屋新宿店では、すでに11階に祈祷室が作られていました(文末写真)。イスラム富裕層の顧客を取り込む戦略からでしょう。

イスラム教徒の訪日客が急増するなか、以前から祈祷室の設置需要が高まっていたといいます。旅行中でもお祈りできる環境を整えることで、訪日客へのサービス向上につなげているのです。

 

先日のサウジアラビアのサルマン国王来日には、日本中がどよめきました。持ち込みのエスカレーター式タラップで専用機から降りてきた様子は、皆さまの記憶にも新しいでしょう。
今回の国王来日に際し、飛行機40機、ハイヤー500代、高級ホテル1200室が押さえられ、まさに「サルマン国王特需」に沸きました。

 

東南アジア、中東、アフリカ、いずれもイスラム圏の富裕層の富裕っぷりはハンパないです。私はドバイ国際空港で、オイルマネーの底力を存分に見せつけられました。

空港というのは、その国の個性や財力がモロに出ます。

アラブ首長国連邦のドバイ国際空港では、なぜか幹すべてが「金の延べ棒」でできている「黄金の椰子の木」が生えており、免税店では用途不明な「黄金のしめ縄」が売られていました。1枚三万円くらいの宝くじも売られており、数千万円の現物高級車が景品として陳列され、その宝くじを束でポンポンと買ってゆくアラブの金持ちと、ヒジャーブをまとった奥方らしき美女。

極東から来たバックパッカー風日本人の私は、アイスを食べながらそれをぼんやりとながめていました。

 

のんきな島国日本では、いまだイスラム教に対する理解が浅いです。食べ物や礼拝、断食についてもそうですが、特に文化について見識が浅いように思えます。

たとえばイスラム教の女性(ムスリマ)は、厳密にいえば、夫以外の男性と握手することすら禁止です。
気軽に異性と「接触」はしません。

 

わたしを含め、「不必要に男性と握手したくない」という女性は、じつは日本にも結構います。若年世代に顕著な潔癖症もいるでしょうし、男性との肌接触だけが嫌、という女性もいるでしょう。
私などは「脂性なので、すみません」と男性との握手は断るようにしていますが、イスラム教であれば、本来断る口実にも気を遣わすに済むのだな、とうらやましくなります。

 

イスラム教の女性(ムスリマ)は、女性として生まれたことそのものが尊いものだという自負があり、「宝石」として扱われてきた生育歴があり、自分たち女性のセクシュアリティが「高貴で尊い」という自信とプライドに満ちあふれています。

「美しい私に触れるなんて、夫以外はお断りよ」
「私の尊い女性性は、自分が選んだ特別な男(夫)だけが享受できるものなの」

 

JKビジネスやキャバクラや風俗といった、女性を「性」として軽んじ、消費することに慣れきった日本人男性が、果たしておなじような感覚でイスラム教の女性に接したらどうなるのでしょうか。
性的なジョークなど言おうものなら、もう死刑に等しい侮辱です。会社の始末書どころでは済まされない、国家間の外交問題にすらなり得ます。

 

女性の髪や身体のラインなどをヒジャーブで隠し、「女性の美しさ」を男性がタダ見することすら許されない、というのがイスラム教です。
「性的興味の視線」そのものが、男性欲求の無礼な「消費」であると考えるこの感性、女性消費に慣れきった日本人には理解できないのではないでしょうか。

 

オイルマネーはまだまだ健在です。新エネルギーの開発は進められていますし、サウジアラビアも「脱石油依存」に向けて外交を展開していますが、中東で独占的に既得権益を得てきた富裕層がそうたやすく利権を手放すとは思えません。

 

昨年2016年には、集光型太陽熱発電(CPV:concentrated photovoltaic)方式で、世界最大となる発電所が北アフリカ・モロッコのサハラ砂漠に完成し、すでに運転を開始しています。

じつはサハラ砂漠の2%をHCPVT(High Concentration Photovoltaic Thermal)システムで覆い尽くせば、世界の電力需要を満たすことができるという計算なのです。

太陽エネルギーの実用化が進んだとして、送電技術やコストの面でまだ改善点が残り、安価に庶民に流通するのは、まだ先のことでしょう。仮に前倒しで実用可能になったとして、モロッコがそうであるように、太陽熱を集積する砂漠地域は、ほとんどがイスラム教徒です。

いずれにしても、イスラム圏が将来有望なビジネスパートナーであるという潜在性は変わらないのです。

 

和食の面でも動きが出ています。
調味料製造のフンドーキン醤油(大分県臼杵市)は、別府市の立命館アジア太平洋大(APU)と共同で、イスラム教の戒律に従った「ハラル」対応のしょうゆ開発を始めました。訪日のイスラム旅行者ニーズに加え、東南アジア等への輸出を視野に年内の販売を目指しているのです。和食に関心のあるイスラム教徒は多く、すでに世界中から輸出の問い合わせが殺到しているそうです。

 

イスラム圏はまさに日本にとってビジネスのブルーオーシャンです。それなのに日本がいまだビジネスチャンスをものにできていないのは、日本の「女性消費」文化とイスラム圏の「女性尊重」文化の概念が乖離しすぎ、それが弊害となっている部分が多いように思えます。

イスラムマネーの恩恵にあずかりたいのであれば、やはり文化の理解と受容は不可欠です。イスラム教の女性尊重意識も平行して取り入れなければダメでしょう。

ここにきて女性性を軽んじる「男尊女卑」の日本文化は、厳しい意識改革をせまられることになりそうです。

 

イスラムマネーの恩恵にあずかりたいのであれば、「女性性消費意識」を捨てること。その切り替えができなければ、日本は世界経済から取り残されることになります。

イスラムビジネスのその先には、20億人ターゲットの、果てしないチャンスが眠っているのです。

(下記は新宿高島屋店の祈祷室 ↓)

 

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イスラム教の預言者ムハンマドは、元祖「イクメン・カジメン」

イスラム教の本質が「究極のフェミニズム」ということを、意外と皆様ご存じないようです。
IS被害で、イスラム教という宗教がずいぶんと誤解を受けていますので、まだ日本人にはなじみの薄いイスラム教のことを、少しご紹介したいと思います。

わたしもイスラム教の細部まで精通しているわけではなく、地域や国で多少の誤差はあるのでしょうが、イスラム文化を知れば知るほど、いかに女性を尊重する文化であるかがわかります。
もしイスラム教に「女性蔑視」イメージがつきまとうのであれば、それはむしろ、「女性尊重」という正しい意識を広めたくないがための、反対勢力の意識操作がなされたのかもしれないと、疑念すら抱いてしまうほどです。

そもそもイスラム教の預言者ムハンマドという人物は、「働くキャリア女性サポート」の代表のような男性でした。
彼は二十五歳のとき、結婚歴が二回ある、十五歳年上のキャリアウーマン―――女商人であり、自分の上司だったハディージャと結婚します。ムハンマドの誠実な仕事ぶりと、高潔かつ温厚な人柄に、ハディージャのほうからプロポーズしたと伝えられています。

あの時代に、バツ二(死別ですが)で十五歳上の、しかも職務上の女性上司と結婚! なかなかカッコイイシチュエーションですね。

妻のハディージャは、裕福で優秀な女商人でした。
彼女の正義感と度胸と、筋を通す潔癖さは周囲でも評判で、並みの男ではとても太刀打ちできないほど、魂魄の強い女性だったと伝えられています。
出産し子供を抱えていたハディージャは、日々、仕事や育児や雑務に忙殺されていました。

ちなみにムハンマドを「預言者」と見抜き、その真価を認め、すばらしい教えだと自信と自覚をあたえ、激励して世界へと放ったのは、ほかならぬ妻のハディージャでした。
ムハンマドは、預言者としての地位と名声を得てからも、ハディージャがなくなるまで彼女を尊敬し、ほかの妻を持つことはありませんでした。ハディージャがなくなった後も、ずっと「すばらしい女性だった」と周囲に話していたそうです。

長い下積み時代を支えてくれた糟糠の妻を、売れた途端にポイ捨てしてしまう芸人やアーティストに、一度聞かせて差し上げたいお話ですね。

 

「クルアーン」と並びイスラム教の根本文献である、ムハンマドの日常の言行録「ハディース」によると、ムハンマドは妻を助け、家事も育児も積極的にこなす、まさに「働く女性キャリアサポート」の手本のような男性だったことがわかります。

ムハンマドは、その容貌も佇まいも大変端正で威厳があったそうですが、しかし家庭では、自ら掃除をしたり、服につぎをあてる裁縫をしたり、靴を修繕したり、パン種をこねたり、子供をあやしたり……と、「イクメン、カジメン」として、せっせせっせと機敏に動いていました。

お断りしておきますが、これは、女性解放が叫ばれた19世紀以降の話ではなく、そこから1000年以上も前の、彼が生きた7世紀の時代の話です。
日本で7世紀といえば、十七条憲法(604年)からスタートして大宝律令(701年)までの、飛鳥時代のころです。
男女平等を掲げる21世紀の現代、果たして何パーセントの男性が、預言者ムハンマドのように、家でも家事育児を手伝っているでしょうか。

 

妻ハディージャの死後は、すでにイスラム教は一大勢力へと発展し、国政と密接に絡みあうなか他部族との政治的思惑も生まれ、ムハンマドも政略結婚に応じました。
しかし再婚した妻が、ハディージャのようなキャリアウーマンでなく、完全な専業主婦でも、ムハンマドは家事育児を手伝っていました。
彼の「女性尊重、女性サポート」の信念は、決して揺るぐことがなかったのです。

そもそもムハンマドの時代、女児が生まれたら、「働き手にならないから生き埋めにして殺してしまえ」、という男女差別の風潮があったのですが、「そのようなむごい残虐な仕打ちは許されないことだ」として、女児殺害を禁止し、女性の遺産相続を初めて認めたのもムハンマドです。

また、イスラム教の悪法のようにいわれている、「妻四人まで」という教えは、正統カリフ時代に大きな戦争があり、夫が戦死した戦争未亡人があふれ、彼女たち寡婦を「売春」という不名誉に貶めないため、そして子供たちが貧困にあえぐことのないよう、暫定的にさだめた救済措置でした。

「妻」という社会的地位を与えることで、女性としての尊厳と名誉を確保し、経済的困窮から救い、子供たちが孤児とならないよう、徹底した社会サポートをこころみたのです。
しかもその一夫多妻制も、「それぞれの妻の扱いに差異をもうけることは決して許されない」という厳しい条件付きでした。

 

預言者ムハンマドは、女性がウンマ(イスラム共同体)において、活動的な役割を果たすことを推奨していましたし、それを汲んで、女性たちも自らの意見を率直に表明しました。
なぜならば、トップである男性リーダーが自分たち女性を尊重してくれているという自負があり、それゆえ自分たちの言い分が聞きいれられるという確信があったからです。

女性議員の発言中に「早く発言しろよ」とやじをとばし、保育園不足に声をあげた女性の叫びを「匿名性」を理由に無視し、男系天皇が女性差別だと国連から指摘されると、目くじらたてて泡を飛ばして反論する、「男の子が偉い偉いとちやほやされたい」、どこかの国の男性陣に、聞かせてさしあげたいお話ですね。

 

現在ISが、「アッラーフアクバル」と、神の名の元に、預言者ムハンマドの名のもとにクルアーンを歪曲解釈し、暴虐の限りを尽くし、しかも弱者である女性や子供を迫害している。
真のイスラム教徒であれば、それは何より預言者ムハンマドを侮辱し、アッラーの意志にそむく冒涜なのではないでしょうか。

本当に預言者ムハンマドを拝し、神アッラーの国を理想とする真正ムスリムであれば、徹底した「女性尊重社会」をサポートし、弱者保護の福祉国家を作り上げるはずだと、部外者である私ですら思うのです。
ましてや、平和を重んじてきた敬虔なイスラム教徒の方々からすれば、さぞや臍を噛む思いでニュースをご覧になっているのではないかと、暗澹とした気持ちになるのです。

 

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一億総水商売の国・ニッポン

今の日本の女性たちを見て、「何か変だ。一億総水商売みたい」と言ったのは、「いい女講座」(PHP文庫)を書いた松原惇子氏です。

たしかに今の日本はどこかおかしいと思います。
「性」―――とくに「女性性」というものを尊ばず、「勝手に消費する」風潮があたりまえのようになっている。
「女性性」というものを軽く扱い、商品化目線をためらわず、男性目線で一方的に消費することが当然であるかのような土壌がつくられていると感じます。

3月1日に発表された国による調査結果によると、セクハラ被害はいまだ深刻です。
調査は、9600人以上の働く女性を対象に実施されたのですが、その結果、29パーセントの女性がセクハラの被害に遭ったことがあると回答しました。40パーセントの女性が、体を触られたと答え、38パーセントの女性が、性的なことを質問されたと回答しました。
また50パーセント以上の女性が、容姿や年齢を話題にされたと答えました。

わたしは自分の経験から、上記数字がそれでも控えめではないかと思っています。

社会に出るとわかるのですが、男性たちは一般女性をもまるで「玄人水商売」「玄人風俗嬢」であるかのように接してきます。
気軽に自分の欲求を満たす商品として、性的ジョークを浴びせ、性的質問をし、メイクや服や彼氏の有無などの性的関心をためらわず口にし、クラブトークのお相手をさせ、値踏みし、髪や肩や顔や手や身体を勝手にさわってくる。
また己のスペックを知ってか知らずか、女性を評価対象である「モノ」として、上から目線で不遜に扱ってきます。

これらはすべて、女性が「許可していない」、一方的な「女性性の消費」です。

 

なぜこのようなセクハラが頻発し、なかなか減少しないのでしょう。それを考えるには、日本の現代の社会風土を振り返らずにはいられないことに気づきました。
今の日本は、一般の「素人女性」の性をもすべて消費物とみなし、「一億総水商売化」して、軽く都合よく扱うのが当然のような空気を生み出しています。

「性」をどうするか、自分の意志で選択することは、本来個人の自由な権利のはずです。ひと昔前のように、女性が「父親である家長の持ち物」「政略結婚の道具」という時代ではありません。
「女性性」は現代、男性の隷属から解放されているはずです。

しかし「女性性の解放」を奇貨として、べつの現象が起きているのも見過ごせません。
個々の女性の意志にかかわりなく、男性が女性全般を一方的に「解放対象」―――男性視点に都合のよい「解放対象」へと勝手にふりわけ、パーソナルラインをふみこえて「性」へ侵害してくるようになったのです。

いいかえれば、「女性性の解放」に名を借りた「女性性の消費」に味をしめ、なれなれしいセクハラをいともたやすく行ってくる。
それが女性にとってたいへん居心地の悪い、「女性が輝けない」日本社会となっているのです。

その一端として、メディア操作の在り方に大きな要因があることは否めません。
さまざまな手法で「素人女性」と「玄人女性」の境をグレー化している。性をライト化することで感覚を麻痺させ、女性を「性的対象として軽く扱う」風潮を定着させています。

その結果、社会全体が女性を人として尊重せず、女性性として、「外見や年齢でディスる」こと、あるいは女性性を気軽に侵害し、女性性のみに価値を置き、商品化するビジネスが許容されるような、「セクハラを起こしやすい土壌」が意識的に作り出されていると感じます。

 

先日見ていたテレビ番組で、今の小学生が将来の夢に「キャバ嬢」を挙げているという特集が組まれていました。後日そのニュース記事をうけ、「現代の子供の意識が不安だ」という声も、ネットで複数よせられていました。

しかしこのデータは、そもそも事実でしょうか。どの区域を対象に、何人の小学生から得たデータであるのか、調査の偏りに疑問をいだかざるを得ません。
実際、これについてデータ関連の仕事をしていたという男性から、意見がよせられていました。
「これはたぶん嘘だと僕は思います。小学生女子のなりたい職業ランキングをいろいろ見てきましたが、キャバ嬢なんて見つかりませんでした。多いのは、パティシエとか花屋さんとか儲かるか儲からないかの仕事ばかりでした。」

しかし単純な視聴者は、これをうのみにしてしまうのでしょうか。

 

この番組以外でも、テレビをつければ、不倫や浮気や、やれるやれないなど、性的な下品な下ネタを軽々しく、おもしろおかしく垂れ流しています。
これらの男性目線で作られた番組に登場する女性像を「一般女性のスタンダード」だとかん違いしてしまう単純な男性は、「ああ、こういうこと許されるんだ」「今の女性はこうなんだ」と、間違えて気軽にセクハラを仕掛けてくるようです。
上からも下からも、そもそも自分の「女性性」消費を許可した覚えのないわたしにとっては、とても迷惑な話です。

しかしながらその他の女性たち―――特に「普通」であること、「みんなと横並び」であることが最重要価値と思い込む日本人にありがちなのですが―――、素直すぎるフワフワ子羊ちゃん女性たちは、自分の頭で考えることをせず、すんなりとその「歪んだスタンダード」を受け入れてしまっているようにも見えるのです。

なぜ日本は、これほど男女共同参画が進まず、男尊女卑が根強く残っているのか。

それは女性性という尊い価値を、ちゃかして格下にして、男性が一方的に消費することをよしとする文化をつくり上げてきたからにほかなりません。
そしてそのことに女性が文句を言えないよう、必死で「ロリコン文化」を積み上げて、都合のよい男性消費に迎合してくれる「キャピキャピ(死語)女子アナ」や「かわいい子羊フワフワお嬢さん」たちを「理想の女性」として持ち上げ、一般価値意識として浸透させるよう、メディア戦略をはりめぐらせてきたからではないでしょうか。

 

そもそも男性が女性性を商品として消費することが許されているのは、自由恋愛以外では、元来、「それを職業として納得し選択した」女性に対してのみ、のはずです。
「女性性の消費」は、ビジネスであれプライベートであれ、「両者の合意」が存在することが前提です。

昔の日本は、性を商品化する「玄人」と、そうでない「素人」の区別がなされていました。
今でも、本当に遊び慣れている粋な男性というのは、その「対象の区別」ができています。
クラブのホステスさんへの応対と、一般女性への応対―――ようするに、玄人さんと素人さんをきっちりと分けて、それぞれに応じた対応ができています。高い遊びの経験から、対象を区別できる聡明さを備えているようです。

ところが今、ガールズバーやキャバクラなど、安価な女性性消費が蔓延し、中流一般男性も、「ファーストフード」としての女性性消費を、お手軽に楽しむことができるようになりました。

すると何が起こるかというと、野暮な男性上司たちは、礼儀とマナーを忘れ、「安価な女性性消費」をスタンダードとみなし、素人と玄人を混同するようになったのです。

ですから、ちょっと若くてきれいな女性が身近で働きはじめただけで―――そしてニッコリ社交辞令の笑顔を見せただけで、勝手に鼻の下をのばして舞い上がり、ビジネススイッチを切ってしまいます。
女性の意志とは無関係に、「女性性」は安価で勝手に「消費」してよいものだとかん違いし、女性をワーカーとしてではなく「女」として扱う「スリセクハラ」をおこないますし、一般女性をホステス扱いする「ホステスハラスメント」を、自己中心的に発動させます。
あるいは逆に、年齢を重ねた女性を「ババア」扱いし、無価値であるかのような態度を隠しもしないのです。

褒められるのであれ見下されるのであれ、とにかく「女性性」消費につき、無許可である女性にとっては、日本は本当に居心地の悪い、下品で野蛮な国に成り下がっていると感じます。

 

しかし一方で、実際に一般女性の「玄人化」が進んでいるのも否めません。

わたしの手元に、上野千鶴子先生と有識者たちとの対談集、「セクシュアリティをことばにする」(青土社)という本があります。その中で、北原みのり氏との対談がとても興味深いのでご紹介します。

 

~「二〇〇〇年代、そしてみんな風俗嬢になった……!?」

上野 「(中略)…北原さんの本を読んでクラクラしちゃったわよ。セックスのハードルがうんと低くなったかわりに、今度はベッドでサービスをしないと女は男にウケなくなってしまったのか、と。しかもハードルが下がった分、今度はセックスを拒否できない。男女関係は、この四〇年で好転するどころか…」(以下~)

 

北原みのり氏は『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版、二〇一一年)を出版しています。その中で雑誌アンアンのセックス特集四〇年をフォローして、日本女性のセックスの変貌を歴史社会学的に検証しています。

わたしも女性という立場から、そして「セクハラ・パワハラ防止コンサルタント」という立場からも、「性」というものの変動、利用の仕方され方、そして消費の仕方され方を、つねに冷ややかに興味深く俯瞰しています。

そしてわたしが現状感じるひとつの結果は、日本社会が昔と変わらず「男都合の男社会」であるということ。
「一般素人女性」と「玄人水商売女性」の境目をなくし、グレーゾーン化することでたやすく広く、女性性を消費しようとしている。「女性性」に対する日本国民全体の意識を鈍麻させ、「一億総水商売化」して、モノ化娯楽化している、ということです。

じつはこの意識こそが、雇用均等室担当者も「セクハラ相談が一向に減らない」と嘆いていた、セクハラを蔓延させている大きな原因のひとつなのです。

 

このように、対象の区別ができていない「野暮な男性」と、流されるまま「玄人まがいの素人女性」があふれかえっているのが、現在の「安っぽい国・ニッポン」です。

 

比較文化の見地から、参考になる例を一点。
最近ISテロ被害から、イスラム教が「男尊女卑」文化だとひどく誤解を受けているようです。しかし本来のイスラム圏文化にふれると、まったく真逆のフェミニズム思想がベースとなっていることがわかります。

たとえばイスラム教のヒジャーブ(髪を覆うスカーフ)は、「女性を縛り付けて制限」するものではなく、まったく逆の意識から生まれた産物です。

日本男性に、耳の穴かっぽじって、よく聞いていただきたいのですが、ヒジャーブというのは、「弱者である女性が、男性から性的に不躾な視線で見られたり、性的なからかいを受けたり、不埒な扱いをされて傷つくことのないよう」、「本人の意志とは無関係に勝手に女性性を消費されることのないよう」、あるいは「若さや体型という男性本位の無礼な評価がなされないよう」、それらの侵害を防ぐための「保護カバー」であり、「セクハラ抑止カバー」であり、究極の女性人権擁護措置なのです。

イスラム教の根本思想は以下の通りです。

「男性というのは愚かな生き物で、女性の美しい髪や肌や、身体のラインを見ると、がまんできずに不埒な行動をおこしてしまう。本能の部分で自己管理にとぼしい生き物だから、その被害から女性の尊厳をまもるために、あなたの美しい部分は見せずに隠しておきなさい。本当にあなたを一生大切にしてくれる夫以外に、あなたの女性としての高貴な美しさを見せてあげる必要などないですよ……」

このように、女性の性的価値を貶めないよう極限まで配慮する、細やかなフェミニズム思想がイスラム教の根幹なのです。

実際、セクハラ被害を多く受けてきたわたしにとっては、このヒジャーブが、どれほど女性にとってありがたい「保護カバー」であるかが、身に染みてわかります。頻繁に痴漢被害にあってきた女性も、同じように感じるのではないでしょうか。

 

わたしがイスラム圏で感じた居心地のよさと安心感。

それは日本のように、一般女性をも、風俗嬢か水商売のようにぶしつけに扱い、断りもなく一方的に女性性を消費してくる、「一億総水商売化」「一般女性風俗化計画」の国家的ロウワ―レベル思考とは違い、女性性を最高級に尊重する、ハイレベルな「品格文化」が根強く生きているからだったのです。

 

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