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【東京都ウイメンズフォーラムにてセミナー講師を務めます】

11月11日(金)、「ベローチェ女性の鮮度雇止め訴訟」で原告代理人を務められた笹山尚人弁護士とともに、セミナー講師を務めます。

 タイトルは、「働く女性のためのセキュリティマネジメント~マタハラ・セクハラ・パワハラなどの事例から~」
私は「ハラスメント防止コンサルタント」の立場から、セクハラの意識について、笹山先生の前に、短時間お話しさせていただく予定です。

東京都主催の「ウイメンズフォーラム」は、男女共同参画事業に資する各団体が、それぞれの活動内容を発表するイベントです。東京都も毎年とても力をいれており、フォーラム二日間はまるでお祭りのように盛り上がります。

「働く人のセーフティネット」のセミナーは、「無料」のうえ「淹れたてハンドドリップコーヒー」までつきますので、ぜひお気軽にお越しください。

 

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ニンベンさん

ニンベンさんとは、「偽造クリエイター」の隠語である。
「偽」の字の偏をとって、ニンベンさんと呼ばれる―――。別称、ニンベン師。

 

国会議員秘書を十年つとめたみっちゃんが、新宿ゴールデン街のバーテンを始めたのは、平成もまだ二十年に届かない年だった。

わたしとみっちゃんは、とあるイベント企画会社の仕事で出会い、意気投合した。わたしはその企画でライティングを請け負い、みっちゃんは中途入社したばかりの新人で、先輩といっしょに企画進行全般を担当していた。

みっちゃんは小柄で人懐こい、人好きのするいい子だった。大ぶりのめがねをかけた無防備な笑顔は、まるでアニメのあられちゃんみたいで、あの笑顔にはずいぶんなごまされたものだ。
みっちゃんにとっては、国会議員秘書を辞めてから最初の仕事だったので、「会社での仕事ってすごくうれしい。頑張ります」と、張り切っていた。

ところがみっちゃんの付いた先輩というのが、新人をいじめることで有名な、ひと癖もふた癖もある女性だったので、心配していたところ、案の定みっちゃんは企画会社を二カ月で辞めてしまったのだ。

心配していた矢先、ゴールデン街にバーテンとしてもぐりこんだと報告があった。

 

ゴールデン街は新宿のカオスだ。
おなじ新宿でも歌舞伎町一番街や二丁目とはまた違う、独特の雰囲気がある。文化人とクリエイティブ系業界の不夜城。サブカル文化やアングラ芸術の発信地ともいえる。

有名どころでは、Bエリア「クラクラ」など。坂口安吾夫人が銀座で開いていた文壇バー「クラクラ」から承諾を得て、先のオーナーが命名したというのは有名な話だ。9坪ほどに40人ほどが入れるという大箱のその店は、一ヶ月に一度程度、歌人の俵万智さんが、カウンターで料理を作りママ業をしていた。

みっちゃんの店もおもしろかった。

店の看板は有名漫画家の書いた手書きで、それ自体が名物となっていた。飲みにくる常連客もアート系クリエイターが多い。みっちゃんの人徳もあるのだろうが、とにかく客層のよいことが私を安心させた。

わたしは当時、みっちゃんの店で飲むため、裏新宿をたびたび訪れるようになったのだが、そのおかげでいろいろな面白いことを聞き、面白いものを見た。

 

今はどうだか知らないが、おなじ歌舞伎町でも、ゴールデン街から離れた歌舞伎町一番街は、ホストの客引きが絶えない。飲み屋も「ケツ持ち」の存在が匂い、歩いているだけで治安の悪さを感じる。

たとえばある小汚い居酒屋は、早い時間から開店している。商売になるのだろうかと思って見ていると、けっこうひっきりなりに人が出入りする。ヨレヨレの伊勢丹の紙袋を持っている人が多いなと思ってはいたのだが、それがシャブ売買取引の目印だとうわさで聞いたのは、かなり後になってからだった。

そういえばそのあたりでは、奇声を発し、細い裏路地をあちらこちらぶつかりながら、正体をなくして、左右ジグザグに走っていく人をよく見かけた。

 

またある夜は、スモーク窓の黒塗りのベンツが、スッと店の真横に横付けさるのを見た。車から男が降りた途端、道端にいた人々が湧いたように群がった。ベンツから店入り口まで、男をカバーする「弾よけ」の壁を作っていたのだ。
まるでフラッシュモブかと思うほど、その辺りにいた普通の人たちが一瞬でその人の周りに集まったのだが、不思議だったのは、普通のスーツ姿のカタギ風の人も、けっこう混じっていたことだった。
「市役所勤務です」とでも言いそうな、堅い感じの雰囲気の人が複数人いたのだ。

「あからさまにその筋の風体」という人ばかりが、その筋の人というわけではないのだな、と、へんに感心したものだった。

 

私がそのような新宿奇譚を話すとき、みっちゃんは決まって、
「わたしは国会議員秘書時代、もっと見たくないもの、たくさん見ちゃったからねぇ」
そう言っていつも通り、ニコニコと無邪気な笑顔を見せた。

 

距離にすれば少ししか離れていないが、二丁目に行くと、ぐっと雰囲気がクリーンになる。女性が飲むにはもっとも安全なエリアかもしれない。ナンパ目的で男性から声をかけられることなど一切ない。路上で酔いつぶれていても、おそらく放っておかれるだろう。

しかし店舗それぞれに厳然としたルールがあるらしく、それを侵害する素人は歓迎されないと、ゲイの友人はわたしに忠告した。

「この店はミックスバーだからあんたも入れるけど、あっちの店は女NG。入ってみてもいいけど、ドアを開けただけで、たぶん嫌な顔されるよ。あと、そっちの地下の店はエリート外人がほとんど。ハーバードとかオックスフォードとか出て、仕事で日本に来てる外国人エリートが出会いを求めて集ってる」

 

歌舞伎町一番街も二丁目もおもしろかったが、自分にはゴールデン街がいちばん興味深かった。
いくつかの店で飲むうちに、ゴールデン街にも「怪しい店」と「そうでない店」があることを知った。

ゴールデン街の住人とすっかり顔なじみになったみっちゃんは、ある日、わたしをほかの店に案内してくれた。
いい感じにさびれたその店に入ると、カウンター席には派手なプリントシャツのアフロヘアの男性がひとり、マスターと話をしていた。
みっちゃんはにこにこ笑いながら、最新映画を、見たの見ないのの挨拶を交わし、カウンターの隣のテーブルを陣取った。

 

みっちゃんと私がジーマを注文して飲んでいると、アフロヘアの男性とマスターが、ぼそぼそと会話をしているのが聞こえてきた。
ときおり 「ニンベンさんが……」 「納期…」 「トバシノケイタイ(?)……」「ニンベンさん…」という言葉が漏れ聞こえた。

店のメニューに「店長イチオシ手打ちざるそば」があったので、わたしはそれを目ざとく見つけて言った。
「あのー、このそばつゆ、ニンベン使ってるんですか」
聞こえてきた「ニンベンさん」という言葉を、わたしは単に、店に卸しているめんつゆ会社関係者のことだと思ったのだ。

最初ふたりはキョトンとして私をみたが、すぐに言わんとすることを理解したらしく、大笑いしながら言った。

「違うよ。ナメてもらっちゃ困るな。うちのそばつゆは利尻と本枯節鰹節とざらめで、おれが手間暇かけて作ってるのよ。信州出身だからさ、そばにはうるさいの。―――ニンベンていうのは………」

 

わたしだけだったら、そこまで話してくれなかっただろう。同業者で顔みしりのみっちゃんが一緒だったから、気がゆるんだのかもしれない。それでも、「そんな仕事をしている人もいるらしいって話。ゴールデン街でよくある、根拠のない噂話だよ」と付け加えた。

 

ニンベンさんとは、「偽造クリエイター」の隠語である。
「偽」の字の偏をとって、ニンベンさんと呼ばれる―――。別称、ニンベン師。

 

偽造クリエイターの仕事というのは、案外需要が高いらしい。
「噂話」のわりには具体的に教えてくれたのだが、昔はテレホンカードが主流で、今は保険証、免許証、パスポート、コンサートの偽造チケット、商店街の金券、各種回数券などがあるという。アフロ男性は、ヘラヘラ笑いながら教えてくれた。

意外だったのは、偽造免許証などは、かならずしも「悪事目的」の発注に限らないということだ。
女装バーの常連客が、女性である「別の自分」を存在させたくて、自分自身の満足のために作るのは、よくあることだという。本当にいろいろなニーズがあるものだ。

入手困難なコンサートチケットなどはネットで売りさばくと金額が跳ね上がるが、そればかり作っていると業界ではバカにされると、アフロ男性は陽気に笑った。

「金にはなるだろうけど、あんな誰でも作れるカンタンなもの、作ったって面白くはないだろうな。イラストレーターかフォトショップのソフトで、すぐだよ。プロの仕事じゃない……オレだって作れる」

どうやら彼らには彼らなりのプライドというものがあり、簡単に偽造できるコンサートチケットや回数券などを依頼されると、がくっとテンションがさがるという。コストパフォーマンスは悪くても、写真入りのむずかしいものは燃えるそうだ。

わたしは当時、デザイナーさんと組んで仕事をしていたので、自分のチームのデザイナーに「ニンベンさん」がいたら嫌だなぁと思い、それを聞いていた。

 

私はふと尋ねた。

「でもニセ札は無理だよね。日本のお札は精密で、暗号とかホログラムとか組み込んであるから。あんなのぜったい偽造できないよ」

するとアフロ男性は、スッと目を細めた。そのときだけは真顔だった。こめかみがピクっと動いた。
彼は熱のこもった声でゆっくり言った。

「あのな、基本的に人間が作ったもので、偽造できないものなんてないんだよ。人が作ったんだから。あとは機械と費用の問題だけだ。……作らないからといって、作れないわけじゃぁない」

彼自身の言葉のように聞こえた。

 

仕事のプライドというのは、誰にでもあるだろう。偽造クリエイターを仕事といってよいかどうか、私にはわからないが。

ただ言えるのは、あのとき彼が言った言葉は、「噂話のまた聞き」などではなく、彼自身の気持ちがこもった、命の宿った、生きた言葉としてわたしに届いたということだ。

「あのな、基本的に人間が作ったもので、偽造できないものなんてないんだよ」
「作らないからといって、作れないわけじゃぁない」

あれは彼自身の内から出た言葉だった。
たしかめる術はないのだが、私にはへんな確証がある。ヘラヘラ笑うのをやめた、あの強い言葉には、彼のプライドがこもっていた。

 

それ以来、私はときおり、お札をまじまじと見るようになってしまった。
もしこの1万円が「彼の仕事」だったとしたら。

いや、もし彼が手掛けたとして、「彼の仕事」だと永遠に判明しないことが、彼が仕事を完璧にやり遂げたという、たしかな証なのだが。
まさかな、と少し笑い、わたしはお札を戻しパチンと財布を閉じた。

 

現在、新宿ゴールデン街は約300の店舗が軒を連ねている。
再開発の標的になったことが幾度となくあったが、あまりにも複雑な権利関係と地回りの縄張りなどの問題から、現在のように、昔の形のまま存在し続けているのだ。
古い伝統を守る店から、スタイリッシュなテーマの若い店まで、昭和から変わらぬ木造建築の建物の中で、それぞれが独自のカラーを競い合い、ゴールデン街全体の異空間を演出し、新たなエピソードを刻み続けている―――。

やわらかくのびる時間

過去と現在と未来は、同時に存在しているらしい。
「時間ていうのは、やわらかくてのびるんだね」
ウメコさんはそう言った。

つい先日、遠方の出身県に住むフェイスブック知人からメッセージがきた。
「有馬さんにそっくりな人を〇〇駅で見かけたのですが、お姉さんか妹さんはいらっしゃいましたか? 本当に、気持ち悪いくらいそっくりだったのですが」

じつは私は、過去に何度かこの手のことを打診されている。
目撃情報は、実際には行ったことのない県であったり、または地元や昔住んでいた地域だったりもする。

やはり数年前に私を他県で見かけたという友人は、ガンとして言い張った。
「バッグも服装も、同じものだったから間違いない。ここにほくろもあった!」
どれほど出没日時のアリバイ(?)を証明し、物理的な距離からして無理だと説明しても、彼女は納得しなかった。

よくある顔なのか、はたまたドッペルゲンガー現象の類なのかは不明だ。
しかし仮に時間が同時存在していて、膨大な数の各スクリーンを行ったり来たり、もぐらたたきのもぐらのようにちょろちょろと顔を出しているという理屈ならば、あり得ない話でもない。

マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士は、「時間は流れていない。むしろ止まっている」と主張する。
相対性理論をもとにすると、「現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在する状態にある。だから『時間が流れる』という表現は間違い」なのだそうだ。

 

先日のフェイスブックメッセージを受けて、私は子供のころの話を思い出した。
ウメコさん。
あれはどういう人だったのだろうか。
小学生のときに仲の良かったゆかりちゃんの、親戚のお姉さんだったと思うのだが。

ある日ゆかりちゃんと遊んでいたところ、彼女のお母さんが迎えに来た。
「ちょっと…△△さんのところに行かなければならなくなったから一緒に来なさい」と、私も車で連れていかれた。

△△さんとやらの家は、土地の広い田舎ということを差し引いてもかなりの豪邸。立派な門から玄関までの距離は、息切れするほどに長かった。庭の池には美しい錦鯉がうようよと泳ぎ、しかもその池は張り出した部屋の縁側下にまでつづき、部屋でお茶を飲みながら眼下に池の鯉がのぞめるという、料亭のような凝った造りだった。
ゆかりちゃんは、まるでリアル福の神のような風貌の耳の遠いご老人に「おじいちゃん、こんにちは」とあいさつしていたので、おそらく祖父母の家だったのかと思う。

 

それならば、ウメコさんはゆかりちゃんの従妹だろうか。
年齢は二十代くらいだったと思うのだが、よくわからない。子供の目には大人に見えたが、もしかしたらまだ学生だったのかもしれない。
おばさんが奥で大人の話をしている間、ウメコさんは私とゆかりちゃんの相手をしてくれた。
「こっちにおいで、奥で遊んでいようね」
そういってウメコさんは私たちを自分の部屋に招き、お茶とお菓子をご馳走してくれた。

私はウメコさんの部屋にはいったとたん、妙な違和感をおぼえた。
ベッドの位置があきらかにおかしい。壁側に寄せることができるのに、なぜか部屋のど真ん中に置くという、たいへん不合理な空間の使い方をしているのだ。ベッド備え付けの読書灯も、わざわざ延長コードをひいて壁のコンセントにつないである。

しばらく三人でゲームをしたりお菓子を食べたりくつろいでいたのだが、私にはどうにもベッドの位置が気になった。
「あの……なんでベッドを端によせないのですか?」
私はおずおずと尋ねた。するとウメコさんはチラと壁側を見て、ああ、といった。
「あのね、おもしろい話、してあげる」

 

ウメコさんの自宅豪邸はかなり古いものらしく、築百年はたっているという。老朽化が進んだため、二年前に改修工事をした。
ウメコさんの部屋は建て替える前は長い一本廊下だったのだが、取り壊されて現在の部屋になった。
「古い家だからかな。子供の頃にね、すごく怖い体験をしたの」
ウメコさんはまた、チラリと壁を見た。

以前の廊下は、年季のはいったつやのある木材で十メートルくらいに長く造られていた。磨きこまれた廊下はよくすべるのでおもしろく、ウメコさんは弟とふたりで、遠くから勢いをつけてはすべるという「廊下すべりあそび」を繰りかえしていた。

ある日いつものように、ウメコさんと弟は、「廊下すべりあそび」のため、バタバタスーッ、を繰り返していた。スーッとすべった後、きびすを返し戻りかけた。その時。
ウメコさんは急に、足を踏み外したかのようなつまずきを感じた。
「あっ?!!」
それは踏み外したというより、表面が乾いて地面だと思っていた肥溜めに、うっかりはまってしまったような不意打ちの感触だったという。まるで固い廊下の一部分が、急にぐにゃりとやわらかくくぼみ、そこにズボリと足がはまり、餅のように下に伸びるような気持ちの悪い感触だった。
驚いて足もとを見ると、暗い穴の底に恐ろしい女性の顔が見えた。赤い花柄の服を着たその女性は、憤怒の形相でウメコさんをにらんでいた。

「わあーーっ!!」
ウメコさんは驚いて足を抜き、何が起きたのか分からない様子の弟を置いたまま、猛ダッシュでそこから逃げた。
ウメコさんはしばらくその廊下を通れなかったという。

 

しかしその恐怖体験も、成長につれてじょじょに記憶が薄れていった。
十数年がたち、老朽化の進んだ邸宅は、大がかりな改築工事をおこなった。例の廊下は取り壊され、その部分は太陽がさんさんとふりそそぐ、明るい部屋に生まれ変わった。新しくできたふたつの部屋は、ウメコさんと弟にひとつずつあてがわれた。

爽やかなヒノキの匂いのする新しい部屋はとても気に入っていたのだが、ウメコさんは奇妙な空気を感じはじめた。
騒がしいのだ。
音はしていないし、人もいないのに、何かうるさい……ような気がする。
時おり人の気配を感じる。

ある日電気を消して寝ていると、やはり誰かの気配を感じる。
「嫌だなぁ。金縛りになんかあわなきゃいいけど」
そう思いながら寝返りを何度も打った。
起きてお茶でも飲みなおそうかと考えていたとき、衝撃的な事件がおきた。
ウメコさんは暗闇で、ふいに何者かに顔をなぐられたのだ。

「!!!!!!」
恐怖で一瞬固まったが、実体の人間ではないということはすぐに分かったので、しばらくじっと動かずに息を殺し、空気が落ちついてから電気をつけて大きく深呼吸した。

「あれは何だったんだろう」
震える手で手鏡をとり、汗びっしょりの顔を見てみたが、殴られた跡などは残っていなかった。
その瞬間。
ウメコさんは鏡を見て、ふと気づいた。
記憶の奥底に押しやられていた映像が、急にぱっと、花火がひらくように眼前に開けたのだという。
ウメコさんはその夜、「これ、ウメコパジャマだよ」と友達からお土産にもらった、赤い梅の花がプリントされたパジャマを着ていた。

鏡に映った自分の姿。赤い花柄の服を着た、恐怖にひきつった青白い顔―――。
暗い穴の底に見えた恐ろしい女性の顔―――。ウメコさんをにらみつけた、赤い花柄の服を着た憤怒の形相―――。
「子供のときのあの女の人……あれは……私だ!!」
なぐられたと思った手は、子供の頃の自分の足だった。

「自分のことを自分で怖い女の人、だなんて。笑っちゃうよね。憤怒の形相なんかじゃなかったのよ。こっちはこっちで、恐怖で凍りついていただけなんだから」
ウメコさんは陽気に笑った。

「時間ていうのは、やわらかくてのびるんだね。……時間が一点に重なる場所っていうのかな。そんなスポットがところどころあるみたい。場所なのかタイミングなのかはわからないけど」

過去と現在と未来は、流れていない。どれもが意識の「瞬間」であり、多層スクリーンが散在し行き交うなかで、ふいにリンクし接触事故を起こす。

 

おもしろいのは、位置のポイントだ。
ウメコさんいわく、過去と現在の軸位置は、若干ズレているらしい。
「建てかえた位置でいうと、廊下のほうが低かったはずなんだよね。新しい部屋を作ったとき、床暖熱とか何かいろいろ入れて、部屋の床はずいぶんかさ増しされたから。それなのに上から踏まれたっていうのが、目下私のギモンなの。誰か解明してくれないかなぁ」

マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士なら答えてくれるだろうか。
時空を超えると空間的な微調整がきかないのか。あるいは地殻変動的な事情による、「じつは完璧なまでの正確さ」なのかはわからないが。

幼いころの恐怖体験の原因がわかり、ウメコさんは腑に落ちた。
しかしウメコさんは、過去の誰かの足がふたたびこちらに落ちることを恐れて、ベッドの位置をずらしているのだという。

 

いろいろな場所にランダムに出現しているらしい自分。
なにかの拍子に、時間のちがう同位置で、そんな自分とばったり出会ってしまったら。
いや、案外もう出会っているのかもしれない。
渋谷のスクランブル交差点で。自分とはわからぬほどに年老いた、八十歳を超えた自分と。

 

 

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石原まき子さんにお会いしたときのこと

俳優の石原裕次郎氏が生きていれば、今年80歳だという。
先日のテレビでニュースで追悼記念特集が組まれ、華々しい映像や、早世を惜しむファンの声が放送されていた。

番組の後半、奥様である石原まき子夫人もインタビューに答えていた。
「私の中では時間が止まったままなんです。80歳の裕さんなんて、想像できませんものね。私にとっての裕さんはまだ52歳の姿のまま。ずっと生き続けてているんですよ」
穏やかに上品に語るまき子夫人を見て、私はテレビに釘付けになってしまった。

 

何を隠そう、私はまき子夫人とお会いして、会話を交わしたことがある。

お会いしたとき、私は彼女が石原裕次郎氏の奥様だとは知らなかった。出会った場所は百貨店。シチュエーションは、販売員と常連客。

私はわずか1年半ではあるが、百貨店の高級時計・宝飾売り場で販売員をしていたことがある。
そこにある日、まき子夫人がお客様として訪れたのだ。
まき子夫人は「外商顧客(いわゆる上客)」であり、百貨店にとっては特別のお客様だった。

 

私はまったくご本人を存じ上げず、一般のお客様と同じように、のん気に「いらっしゃいませ~」と笑顔で近づき、時計の説明をし始めた。
まき子夫人が他の海外ブランドの時計もご覧になりたいとおっしゃるので、私がFブランドのケースにご案内していた途中で、ほかのスタッフが気づき、すっ飛んで来た。そしてまき子夫人をかっさらってご案内を引き継いだのだった。

まき子夫人の周りには、あれよあれよという間に、百貨店のお偉いさんとベテランスタッフで人だかりが出来た。

ちなみに時計・宝飾売り場というのは年配の女性が多く、当時三十代後半の私でさえ、一番若い部類のスタッフだった。
しかも入社1年たらずの新人では、ベテラン販売員の先輩方に近づけるはずもなく、60代70代のお局スタッフにブロックされた私は、なすすべもなく、遠巻きにぽつんと、黒山の人だかりに囲まれたまき子夫人を見守っていた。

 

まき子夫人は結局、国産の時計と、Fブランドの時計をプレゼントとして購入されたのだが、私が彼女を「ただものではない」と感じたのは、彼女の気遣い、気配りの素晴らしさだった。

まき子夫人は、購入する時計が決まった途端、しきりに最初ご案内した私のことを気にかけ、周囲にアピールをしてくださったのだ。

「あのね、あそこにいらっしゃる方(私のこと)が、最初にご案内してくれた時計なんですよ。ほら、あそこに離れて立っていらっしゃるでしょ、あの彼女が、私にこの時計を最初に紹介してくださったの」
まき子夫人は、一生懸命、周囲のスタッフに私の存在を説明した。

 

まき子夫人はおそらく、知っていたのではないかと思う。
時計・宝飾売り場において、販売した品物の点数や価格が、販売員の成績としてカウントされるということを。

どのようにして知ったのかは定かでない。
まき子夫人ご自身も、「北原三枝」のお名前で、女優として早くから活躍されていたことを鑑みるに、一般の販売業務事情に精通していたとは思えない。それを斟酌できるということは、なみなみならぬ周囲への細やかな洞察力、異なる立場の他人への想像力、そして「裕次郎の妻」として恥ずかしくないよう自己への戒めであろうか。

私のような末端の人間に、ここまでの気遣いを見せるまき子夫人の人格の素晴らしさを思うたび、私は自分の小ささに身の縮む思いがする。

私は世代的に、俳優・石原裕次郎を知らないが、彼が生涯の伴侶に選んだまき子夫人という女性パートナーを通して、裕次郎氏がどれほど素晴らしい男性だったか想像できるように思う。
日本中を熱狂させたのは、単なるルックスや演技力、センスだけではなかったはずだ。男性としての器の大きさ、温かさ、気配り、優しさ、繊細さ、大らかさ、それらを備えていたのではないだろうか。

まき子夫人にとっては、自然に身についた、通常の気遣いをしただけなのだろう。
しかし私はこの出来事を、要所要所で、案外人生の拠り所にしていることに、最近気づいた。

自分の心がすさんでどうしようもなくなったとき、まき子夫人のサングラスの奥の、上品で慈愛あふれる瞳を思い出す。すると胸の奥がほんわりとあたたかくなるのだ。
まき子夫人の他者への、思いやり、気遣いを心の糧にし、ささくれだった心を、なめらかに穏やかに、リセットさせていただいている。

先日テレビでインタビューに答えていたまき子夫人は、変わらず美しかった。どんなに年齢を重ねても、彼女は永遠に美しい人である。
その「人」としての輝きは、裕次郎氏のところに行くまで、決して衰えることはないだろう。

 

 

 

 

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「張りプロ」の仕事

「いいの、あれがあいつの仕事」

タウンワークのCMである。居酒屋で客相手に楽しそうにおしゃべりをし、油を売るスタッフに、まじめに汗して働く社員が注意しようとすると、上司にこう言われてとめられる。最後に「その経験は味方だ」とテロップが出る。

 

もう何年も前になるが、一度だけ「伝説の張り師」に会ったことがある。賭博を生業とする、いわゆる「張りプロ」だ。

本当か否か定かではない。広告デザイナーの友人に誘われ、新宿界隈の老舗バーで飲んでいたときに、元男性のバーのママが、店の常連である私の友人に、こっそり耳打ちしてくれたのだ。

カウンターの隣に座っていた初老の男性は、普通の白いシャツを着て、細身で小柄、頭髪はすでに半分以上は白く変わっていた。おそらくギムレットだと思うが、しゃれた薄い足高のグラスでカクテルを飲んでいた。

男性は、奥に座る私の友人をちらりと見た後、つぎにちらりと私の手元を見た。私はパチンコを含め、競馬、競輪、競艇、賭け事を一切やらない家庭に育ったので、博打の疎さには自信がある。パチンコのやり方も馬券の買い方も知らない。「張りプロ」といわれても、共通の話題はどこにもない。

 

何を話してよいかわからず、ちびちびハイボールを飲んでいたら、その張りプロは正面を向いたまま、ぼそりと言った。
「あんた、勤め人は無理だよ」

うすうす自分でも向かないとは感じていたが、それでもまだ諦めずに組織で働いていた頃である。自分は一応勤め人だと告げると、彼はまた言った。

「長くは無理だよ。手が俺とおんなじだもの」
そうだろうか。私が改めて自分の手をまじまじと見ていると、張りプロは今度は、少し大きい声ではっきり言った。

「指だよ。あんたは人差し指と中指が外に向いているだろう。へそ曲がり、つむじ曲がりの人間の手だよ。人差し指は人を見る指。中指は自分自身。どっちも外を向いてる。こういう人間は組織に迎合しないでわが道を行く。アウトサイダーで、才能と勘を頼りにハッタリで生きるのがいいんだ。博打うちの人生だ」

 

自分でも気づかなかったが、たしかに人差し指と中指だけ外を向いていた。「つむじ曲り」という言葉にも思い当たるところがあった。

そういえば私はつむじがふたつある。どちらも変な位置で、ひとつは左額の生え際、もうひとつは後頭部の右端という、美容師泣かせのダブルつむじなのだ。
つむじ曲がりという点では当たっているかもしれない。そう告白したら、男性はクールな顔を崩し、ヒッヒッとひきつりながら、うつむいて肩で笑った。
「俺もだよ。位置が逆だけど」

 

店のカウンター傍らのミニテーブルには、イベント用のおもちゃのルーレットが置いてあった。どこが本物と違うのか判別はできないが、映画などで見るものと比べ、ずいぶん小ぶりでちゃちな仕様だったと思う。何より、裏カジノでもない普通のバーに、本物がないことくらいは、素人の私でもわかった。

 

男性の言うように、本当に私に博打の才能があるのだろうか。
私はルーレットをいじってもいいかママに尋ね、席を立って傍らのルーレットをえいっと廻して雑に玉を放り込んだ。

「赤34」

テキトウに言い捨てて止まるのを待つと、玉はコンコンとはねて、まったく違う番号の黒ナンバーに落ちた。カウンターの友人が緩く笑った。私も笑ってカウンターに戻ろうとすると、男性は引き留めた。

「あと二回、廻してみな」

言われるまま素直に二度廻し、その都度あてずっぽうのナンバーを言うのだが、どれひとつとして当たらない。
ほらみろと、今度こそカウンターに戻ろうとしたら、男性は言った。
「今度は俺の番だ。もう分かったから廻してみな」

さきほどと同じように、えいっと廻すと、男性は今までの、対象物をちらりと見る目つきを一変させて、鷹のような目でルーレットを凝視した。
盤は赤黒ミックスカラー織り交ぜくるくると、駒のように回転している。

「黒17」

男性が今までで一番高い声を出した。まだ盤はかなりの速度で回転していた。しばらくしてから赤と黒のカラーが分離し、それぞれの領域を見せ始めた。ポンポンと軽快にはねて収まったのは、黒17だった。

 

後で知ったのだが、ルーレットは確率と統計の綿密な分析で当てを予測するらしい。玉のスピードを分析する「周回張り」という手法だ。
ウィールの回転速度と玉の速さ、加えて廻すディーラーのクセや力配分などもすべて考慮して、瞬時に計算式をつくるという。だから慣れた賭場の慣れたウィール、顔なじみのディーラーであればあるほど当てやすい。クセと力加減を知り尽くしているからだ。

それを三回見ただけで正解を導き出すのは、まさに神業。
後に、博打にくわしい知人はそう感嘆した。

 
もしママや男性本人が廻したのなら、店ぐるみのよくできたマジック、客を喜ばせるサービスだろうで終わったかもしれない。
しかし私自身で廻し、玉を放り込むタイミングも私が決めたので、イカサマではなかったと思う。

 

「めずらしいわね。おもちゃ相手になんかしたら、博打の神様が逃げていくって、いつもやってくれないじゃない」
ママが驚いたように言った。

「違うよ。博打の神様への貢献だ。この人、俺とおなじ手だからな。博打人生に引き込むスカウトのパフォーマンスしてやったんだ。逆にツキをくれるってもんだろ。」
男性は片頬で笑い、カクテルを飲み乾した。

「でもな、なまじバク才(博打の才能)なんてものは、ないほうがいいよ。命取りだ。勝てば金にはなるが、保証はない。勝ち続けりゃ裏の業界からスカウトがくる。どっちかのシマで勝てば、次の賭場には出ないよう脅しがくる。危なくて家族も持てやしない。」

ママが笑った。
「この人ね、理系の一流大学出てて頭いいの。それで〇〇商事(一流大企業)に勤めたのに辞めちゃって。頭がいいから大企業になんか、バカバカしくていられないのね。それでこの世界で30年よ。私だったら絶対ムリ。明日もわからない、神経すり減らす博打稼業でずっと生きていくなんて」

男性の、話すときに片側の頬がひきつる、ストレス性のチックが気になっていた。この世界で生きていくために常に気を張り、緊張しているのかもしれない。

 

やはり店ぐるみのジョークではなかったと悟ったのは、男性を迎えにきた人物を見てからだ。

「やっぱりここか。ちょっといいかい。次の仕事のこと」

男性は周りをチラとみて、場所を変えよう、と二人で出ていった。迎えに来た男は、夏場に似つかわしくない黒い手袋をはめていたのだが、その小指は中身を収めず、ぐにゃりと所在なく揺れていた。

 

 

仕事もいろいろあると思うが、上記は一風変わった仕事のはなしである。

ちなみに私の周りの親しい友人は、フリーランスや役者、クリエイティブ系に身を置く人が多く、決まった場所できっちり八時間働く勤め人が極端に少ない。それでも皆、自らの才能や個性を発揮し、よい仕事をしている。

はたらくというのは、組織に籍を置くことではない。ダイバーシティというと一気に今風の言葉になるが、大切なのは多様性だ。自分の資質を最大限に生かし、自分自身を燃料にして発火できる道を選ぶことなのだ。組織にいて完全燃焼が実現できるなら、もちろんそれも正解だ。

その後私は、大企業と呼ばれる会社も含め、いくつか正社員になったのだが、居心地悪くてどうにも続かなかった。
最短は4日。張りプロは経験値30年の値踏みで、私の資質を一発で見抜いた。やはり彼はプロ中のプロだったのだ。

 

「いいの、あれがあいつの仕事」。

たとえアンダーグラウンドを歩いたとしても、そう認められ、結果で周囲を納得させられる、自分の仕事ができればいい。私は今、いくつめかの会社を辞め、フリーランスで生きていく博打人生の第一歩を踏み出した。

「その経験は味方だ」。

その通り。切り売りできる経験だけは、ストックいっぱい用意した。私に怖いものはない。

「張りプロ」はある意味、博打界に貢献したといえるだろう。
博打の神様が忘れているならば、ひとつ私に免じて、彼に大きなツキを与えてあげてほしい。

政治の「色」

「色事」「色気」「色っぽい」という言葉のとおり、セクシュアルなものには「色」がある。
しかし、死の世界には色がない。死は「白と黒」と相場が決まっている。喪服は黒。葬式場の鯨幕も、もちろん白黒。

 

今年の二月にはいり、約18年間連れ添った猫を亡くした。火葬場で焼いてもらい、焼きあがった骨を自ら拾った。

火葬場のご主人は、この道十年のベテラン。さまざまな動物の遺骨を見てきた骨と灰のスペシャリストだ。彼が、うちの猫の焼き場の釜を開けたときにこう言った。

「ああ、お腹のあたりに少し緑色っぽいものがありますね。あれは薬か何かでしょう。直前まで、薬を飲ませていませんでしたか?」

その通りであった。

「生き物が焼きあがった後に残るもの……、自然物の骨と灰というのは、基本的には白と黒だけなんですよ。他の色が混じっているのは、投薬とか注射とか、科学的な、何か別の混じり物がある証拠です。頭蓋骨の左目のあたり、白い骨にうっすら黒を帯びているでしょう? あれは左目が少し、白内障気味だったのかもしれませんね。焼きあがった骨を見れば、いろいろなことが分かるんです」

 

死の世界は白と黒。
なんだ、やっぱりそう出来ているのか。
昔からの慣習も、鯨幕も、物理的な理由と合致していたのだ。

 

都議会で女性議員が発言中、「結婚したほうがいいんじゃないか」というセクハラ野次がとび、問題になった。今日は発言者が明らかになり、テレビでの謝罪会見がにぎわしい。

私は件の女性議員のプロフィールについて、あまり知識がなかったのだが、「グラビアをやっていたのだから仕方ない」「タレント活動で、自らが女性としてのキャラを売りものにしているのに、過敏に反応しすぎ」などの声を聞き、改めて彼女の経歴を知った。

私は基本的に、「○○だから」セクハラが許容されるということはないと思っている。グラビアをしていようが、ホステスであろうがキャバ嬢であろうが、セクハラも痴漢もしてよいという理由にはならない。
女性の人権と尊厳という点では、同一に守られるべきだ。グラビアをしている女性がすべて、性的に軽視される本質を備えているとも限らないし、軽視してよいはずもない。

 

そこをふまえたうえで、平行して感じたのは、「世間のフィルター」という色を通して見られる覚悟は必要だということである。

本質が赤であれ、「世間」「職歴」という青いフィルターを通して見たときに、その見え方は紫に変化することもある。事実は赤だ。しかし、私たちはさまざまな視点や価値観にさらされて生きている。

グラビアアイドルへのセクハラ発言と、ハーバード卒の女性キャリア官僚へのセクハラ発言とでは、扱われかたが違うのは否めない。
「性」というものを、ある程度商品化する職業を、自らが選択した以上、フィルターを通したときに外部からどう見られるか、どのような色に変化するか、予測し見極める、その覚悟は必要なのだ。

 

覚悟という言葉が適切でないなら、「知恵」とでも言おうか。
そのような知恵をもって、自らの意思で選ぶほうが、自分自身でも傷つかない。大人の自己責任だと納得もできるだろう。

 

「死」の世界には色がなくとも、「市」の世界には色事があった。いや、「都」か。

いずれにしても、最も必要ないところに湧き上がったセクシュアル発言は、健全な政治にケミカルな不純物が混ざったような、嫌な色のシミを、私の心に残してくれた。

 

仕事の炎

火事を近くで見たことのある人はどのくらいいるだろうか。
私は小学校低学年の頃、かなり近くで火事を見た。
空は茜色に染まり、黒い煙がもうもうと立ち上り、木造の二階の窓からは、生き物の赤い舌のような炎がネロネロと噴き出していたから、かなり大規模な火事だったのだろう。
家族で移動していた車中からだったので、その場に留まり、見物はしなかった。
 

後車に押されるままゆっくりと現場を通過したのだが、そのときに信じがたい光景を見た。大きいカンバスを抱え、布のバッグを襷掛けに、下駄に裸足で駆けつけた絵描きの姿である。

 

四十代半ばといったところだったろうか。初老というには、まだ面差しは若かった気がする。
慌てて無造作にバッグに差し込んだと思える絵の具やらパステルが、ばらばらと道端に落ちるのも厭わず、その男性は鬼のような形相で火事を描写し始めた。
炎に照らされて明々と照らされた顔、爛々と輝いたあの目は、今も忘れられない。
 
後から聞きかじった話だが、その男性は、周囲ではちょっと知られた画家であったという。今は名前も忘れてしまったが、しばらくしてその人の個展が市内で開かれるのを知った。図書館や公共施設のカウンターに置いてあったチラシを、人が持っていくのを見るたび、私はヒヤッとした。

もし火事の被害者がその絵の存在を知り、見てしまったら、憤ったりしないだろうか。「他人の不幸を食いものにして!」と、会場に怒鳴り込んできたらどうするのだろうか、など、子供心に余計な心配をした。

後で考えてみたら、私はその絵を見たこともないし、完成されたか否かも知らないのだった。
 
 

芥川龍之介の「地獄変」を読んだことのある人は多いと思う。

平安時代、良秀という絵仏師がいた。高慢ちきで嫌われていたが、腕前は天下一で、その名は都じゅうに轟いていた。

この良秀には娘がいたのだが、親に似ずやさしくかわいらしい娘で、当時権勢を誇っていた堀川の大殿に見初められ、女御として屋敷に上がった。
娘を溺愛していた良秀は、娘を返すようたびたび大殿に言上しては心証を悪くし、一方娘も、大殿の恋情を頑なに拒み、恨みを買っていた。

そんな時、良秀は大殿から「地獄変」の屏風絵を描くよう命じられる。
良秀は真の芸術作を仕上げるため、手本として、燃え上がる牛車の中で焼け死ぬ女房の姿を見たいと大殿に告げる。大殿は、異様な笑みを浮かべつつ、その申し出を受け入れた。
当日、車に閉じ込められ火をつけられたのは、良秀の娘であった。
しかし彼は、嘆くでも怒るでもなく、陶酔しつつ成り行きを見届ける。娘が悶え焼け死ぬ様を、父である良秀は芸術家として、ただ厳かな表情で眺めていた。娘の火刑を命じた大殿すら、その異常な執念に圧倒され、青ざめるばかりであった。
やがて良秀は見事な地獄変の屏風を描き終え、絵を献上する。
そして数日後、部屋で縊死する。
 

至上の芸術性を追及し、納得ゆく完璧な仕事をするためには犠牲をもいとわないという姿勢が、常人の一線を越えてしまった話である。
私はこの本を読んだとき、幼いときに見た火事の画家のことを思い出した。
もし問いただせば、良秀もあの画家も、「これが自分の仕事だから」と胸を張って答えるのだろうか。

 
 
 
同じく火を描いた画家で、高島野十郎という人物がいる。

東京帝国大学の水産学科を首席で卒業するほどの秀才で、将来を嘱望されていたが、卒業時の銀時計を拝辞してまで、突如画壇に進んだ。
彼は淡い蝋燭の炎や月光の連作を好んで描いた。
私は数年前に三鷹で開かれた個展に行ったが、現物の美しさと透明感にため息が出た。
 

野十郎は世俗との接触を拒み、山中のあばら家にたった一人で住み続けた。6坪ほどの朽ち果てた茅葺の小屋はトタンや板でつぎはぎされ、風雨もろくに凌げなかったという。水は井戸を掘り、粗末な七輪で自炊をし、ランプの明かりを頼りにひたすら描いた。

ただただ毎日自然と対峙してそれを写しとる毎日。彼は地位も名誉も名声も求めなかった。

野十郎が85歳のとき、もはや立つこともできなくなったのを見かねて、村の人たちが老人ホームに連れて行こうとしたところ、野十郎は激しく抵抗して小屋の柱にしがみついて離れなかった。
村人たちは、指を一本一本はがして、無理やり搬送したという。
 
高島野十郎の描く蝋燭の炎も月光も、高潔にして清涼。
自然のもつ侵しがたい気品。これほど澄み切った自然の美を写し取れる画家を、私はほかに知らない。

もはや彼の場合は、仕事を超えた「魂の使命」に突き動かされて描いていたのであり、作品に金銭は介入していなかった。その美意識と生き様は、痛いほど作品に顕れている。
 
 
 
芸術性と仕事の境界や、モラルの正誤についてここで述べることは難しい。
しかし自然の美に身をささげて朽ち果てた野十郎や、かつて目にしたあの火事場の画家のように、自分はすべてを捨てて、魂の赴くままに心の炎を燃やしたことがあっただろうかと、時折思い悩むのだ。
ばらばらとこぼれ落ちる絵の具をものともせずに、突っかけた下駄を高らかに鳴らし、丸首のくたびれたシャツ1枚で人目も気にせず火事の人だかりに飛び込んだ、あの画家の目に宿った炎は、正論などでは消せない、強い情熱の火が宿っていた。
 
 

趣味でも専門でも、いろいろな物に目移りしてはすぐに放り出す、飽きっぽい自分の性分にずっと嫌気がさしてきた。
我を忘れるほどの仕事に出会えた彼らを、今私は、うらやましさすら感じるのだ。