気づかず発生していた会社のパワハラに思うこと

周囲に認知されている、いわゆる「評判」のハラッサーについては、いざハラスメントが問題視されたときに、社内での証言や共感を得やすいかもしれません。

ところが現実には、「まさかあの人が…!」という人物が、周囲に悟られずにひっそりと加害しているケースもあるものです。そのような場合、被害者サイドがいかに証拠を確保するか、あるいは理解ある上司の存在というものが、解決に向けて大きく影響してくるでしょう。

 

私がかつて在職していたWEB制作事業の会社でも、やはりいろいろなトラブルがありました。その中でも、私自身がまったく気づかずに発生していたパワーハラスメントがあり、退職後、しばらくしてからその事実を聞かされ、たいへん驚いたものです。

しかも被害者は、自分と仲の良かった女性同僚。加害者というのが、仕事でそこそこ絡んでいた男性同僚Dだったので、初めて話を聞かされたときは、まさに青天の霹靂でした。

 

当時、女性同僚の川田さん(仮名)はデザイナーチームに在籍し、私はライターチームに所属していました。男性同僚Dは、川田さんと同じコンテンツを作る技術チームだったのですが、昼休みなど人気がないときをねらい、川田さんのデスクを通るとき、すれ違いざま小声で暴言を吐いていたということです。

「お前、ウザいんだよ」「いつまでいるつもりだ、早く辞めろよ」「チームのクソ荷物だな」
などなど……。

また、社内IPメッセンジャーで、発信元がわからないようにして、いやがらせのメッセを何度も送っていたということです。

 

意味がわからない……、というのが私の第一印象でした。
「(なぜ? なんのために? なぜ川田さんにだけ?)」
Dは、私と仕事で絡むときには、そのようなそぶりを見せたことは、一度もありませんでした。

 

Dは、身長180近くあり、ガタイがよくて、熊のように朴訥な感じのする男性。少々ぶっきらぼうではあるけれど、感情的になったり激したりするところは見たことがなく、どちらかといえば淡々としていて、私の隣のデスクの男性同僚Iとはよく、「猫村さん」の漫画の話などで盛り上がっていましたから、むしろ私としては、「無骨でシャイな、微笑ましい熊さんキャラ」くらいに認識していたのです。

ですから川田さんの話は、本当に仰天しました。

 

「Dがそうしてくる原因っていうか…、何か思い当たるようなフシってあったの?」
私がそう尋ねると、川田さんは首をふりました。
「さあ。単に私がおとなしそうで、後から入ってきた新人だったから、ストレス発散のターゲットにしやすかったんじゃないですか?」

川田さんは、決して嘘をつくような人ではありません。会社外でも何度か食事をしたり、飲みに行ったりしていましたから、人柄については個人的にもよく知っています。一見おとなしそうですが、とても芯が強く、自分というものを持っている賢い女性でした。仕事もしっかりとこなしていましたし、その他の人間関係は極めて良好でした。

 

川田さんは最初、直接Dに苦情を言ったそうです。
「どうしてこんなことするんですか。変なメッセ送るのもやめてください」と。

しかしDは、「は? 何のことですか?」としらばっくれるばかりで、一向に攻撃をやめない。仕方がないので、川田さんはしばらくして、チームリーダーの男性上司に相談しました。

このチームリーダーというのが、普段はあまり発言することのない、どちらかといえば影の薄い男性だと私は思っていたのですが、川田さんの話を聞き、意外や意外、すぐに対応してくれたそうです。

しかしDは、チームリーダーの聴取に対しても白を切り通しました。
「は? 何のことですか。証拠もないのに、変なこと言わないでくださいよ。川田さんの妄想じゃないですか? ヤバイですよ、あの人」
などと、逆に川田さんを妄想狂扱いしてくる始末です。

 

チームリーダーは、川田さんを全面的にかばいました。彼はDからの聴取を終え、川田さんにこう伝えたそうです。

「D君は、自分はそんなことしていないし、証拠だってないだろう……と言っているけれど、俺は川田さんを信じるから。こんなことを、何の根拠もなしにわざわざ相談してくるはずはない。たしかに証拠は無いけれど、川田さんは正直に話しているんだと思う。俺の考えは、D君にも伝えてあるから。自分は今後、いろいろなところでD君の動向を見張っているよ、と。だからまた嫌なことがあったら、すぐに言ってきてほしい」

それ以来、パワハラはぱたっと止んだそうです。

私は正直、このチームリーダーのことを、普段から「響くような主張も仕事のアピールもしないし、何だか優柔不断な感じのする人だなあ」と、少し頼りない気持ちで見ていたのですが、まったく違う誠実な一面と、信頼できる人間性、また適切なリーダーシップを知り、評価を新たにしたのでした。

また同時に、チームリーダー対してもDに対しても、まったく「ひとを見る目」のなかった自分の、真贋を見分ける目の未熟さに、しばし呆然ともしたのですが。

 

人の本質というのは、普段接している外見からは、なかなかわからないものです。

クルト・ワイル(三文オペラ)「匕首マッキー(マック・ザ・ナイフ)」の歌詞ではありませんが、凶悪事件の加害者の容貌が、いつでも「牙がズラリと並んでいるサメ」だと思ったら大間違い。実際には、優しげで穏やかな笑顔の裏に、凶器のドスを隠し持っているということは、多々あります。

 

私が今回ご紹介したのはパワハラのパターンですが、セクハラのほうはもっとわかりにくく、ハラッサーは周囲に悟られないよう、また証拠を残さないよう、周到に加害に及びがちです。

セクハラハラッサー男性というのは、同性の同僚や上司に見せる顔と、パワー関係が下にある女性に見せる顔とでは、見せる顔がまったく異なります。彼らは力関係が同等、あるいは上位の人間には決して見せない一面を、「立場が下の女性」にだけ、スキをついて露呈してくるのです。

 

しかし周囲は、加害者が「評判のハラッサー」でもない限り、そうそう事実に気づくことはありません。実際に女子社員が無理に壁ドンされたり、卑猥な言葉を投げかけられたりする場面でも目撃しなければ、裏の顔には気づかないのが常でしょう。

なぜならば人は無意識のうちに、自分のなかの「善意」に沿って物事を処理しようとするからです。倫理の中に生きている男性は、倫理外に住んでいる男性のセクハラ加害心理を、歪曲スコープ越しに見にくいのです。

加えてセクハラというものは、女性側の羞恥心や戸惑いにより、被害を申告できないという「女性側の沈黙」を期待して行われることが多いので、周囲は殊更、気づきにくいのだと思います。

しかし現実として、セクハラや性犯罪のニュースが途絶えないように、実際には、日常茶飯事で転がっている出来事ですし、バレなければよい、という意識領域で生きている人は、案外身近に存在するものです。

 

いろいろな人を見てきて思うのですが、人間というものは、自分のメイン領域以外の意識層につき、たやすく想像力を広げられない生き物ではないでしょうか。共感力には個人差がありますが、少なくとも「加害意識」のない人が、顕在化していない「他者の加害意識」に気づくことは、むずかしいと思います。

 

現に私も、同じフロアで仕事をしていながら、川田さんのパワハラ被害に気づきませんでしたし、またあるいは、自分に「万引きをする心理」がないため、実際に万引きをする人の心理や行動にはまったく無頓着に買い物をしているとも思います。品物を選ぶとき、隣の人の手元に着目してはしていないので、だからこそ、もしかしたら今までも、いくつもの万引きを見過ごしていたかもしれないのです。

 

隣を疑え、というと嫌な表現ですが、「自分はしない」を一歩出て、「自分はしないが、隣のこの人はするかもしれない」という疑念を持つ、いわば「注意力」というものは、実社会を生きるに大事な視点ではないでしょうか。その注意力が、他の誰かや、自分の大切な人を救う手立てになるかもしれないからです。

「加害意識」を知り、「被害意識」に共感する。自分領域以外の意識多層にシンクロしてみることが、必要なのだと思います。

そして双方を認知したうえで、弱者側の立場や心の痛みを、自分のものとして追跡(トレース)してみる―――これはハラスメントに限らず、身体の不自由な方、児童、妊婦、シングルマザー、疾病者、高齢者層、非正規職員など、すべての弱者的領域について―――が、望ましいと思うのですが。

 

各自が注意力を養い、弱者意識のトレースにチャレンジしてみる。それだけでずいぶんと、この社会は優しい住処になるのではないでしょうか。

 

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マウンティング癖のある人を褒めるということ

職場のご相談にのる機会が増えてきました。やはりこのストレス社会、男女ともに最多のお悩みの原因は「人間関係」のようです。

書店では人間関係をうまく構築するためのマニュアル本や、意識の転換を伝えるメンタル本、人生訓や自己啓発の本を多く目にします。
そしてそこに比較的共通して書かれていることは、「他人を褒めることの大切さ」なのですが……。

 

他人を褒めることは、気持ちのよいことだと思います。自分が誰かを褒めたことで、その人が自信を持ち、コンプレックスを手放し、個性を発揮して活躍する様を見るのはとても楽しいものです。暗くうつむいていた人の顔がぱっと明るくなり、殻を破り、生き生きと人生の舵取りを始める姿はとても美しく、こちらの気分まで明るくなります。

「子供を伸ばす魔法の言葉」(ドロシー・ロー・ノルト著)という本もあるように、言葉というものは、人生に多大な影響を与えるのに、何のコストもかからない、極めて有効な心の栄養剤です。言語という無料のツールだけで誰かに貢献できる、素晴らしいアクションです。褒めた側の心の財産にもなると思っています。

また、「自分はあなたの良いところに気づいていますよ」と好意を示すことで、職場やコミュニティにおいて、相手との心の距離が縮まり、人間関係を構築するうえでの良好な手段にもなり得るでしょう。

 

 

ところが、ある一定の人種に関しては、これが逆効果となる場合もあります。

褒めることが逆効果となる相手―――それは男女ともに、性格に「マウンティング癖」のある人です。

このタイプには、褒めることが純粋な善意として浸透していきません。なぜならば、褒められたことで自己を過大評価し、尊大に振る舞い、褒めた相手を「見下す」などの暴挙に出るからです。

「褒める」という行為が相手を増長させ、支配者と被支配者類似の構造を生み、関係がスムーズに回らなくなるという、歓迎できない現象を引き起こす結果となるのです。

「褒めること」は、相手の性質によって、人間関係の落とし穴にもなり得ます。

 

女性が「マウンティング癖」のある男性を褒めた場合、それは「支配性」を刺激し、性差別意識に拍車をかけます。男性は自分を褒めた女性のことを「下位の存在」として設定し、「この女は俺を崇拝している」というような、歪んだ優越的視点を抱くようです。

実際、私の以前の職場の上司がこのタイプでした。
このようなケースでは、褒めることが人間同士の良好なコミュニケーションになるどころか、「上下関係」の高低差が増し、傍若無人な態度を増長させ、性差別的な暴言を生み、職場での人間関係がますますギクシャクしたものとなりますので、注意が必要でしょう。

 

また女性が「マウンティング癖」のある同性を褒めた場合、女性としての自己顕示欲が関わってきます。
このタイプの女性は、褒めた相手を「自分を羨む存在」であると位置づけ、女性として「格上」の立場を手に入れたという、勝利の心酔状態に陥るようです。ステイタスの上位に立ったと考え、対等な関係を築くという親和的視点を見失います。

やはり以前、このタイプの女性とご一緒したことがあるのですが、センスの良いブランドバッグをお持ちだったので、「素敵なバッグですね。よくお似合いですよ」と褒めただけで、女性はその後、逐一、私の服や持ち物の価格やブランドを知りたがるようになりました。そうしてチェックを入れて、常にそれよりも上回る価格のものを持つようにし、以降はそのことを過剰にアピールして話題にする……という結果となり、少々辟易した覚えがあります。

「そう、私はあなたよりもワンランク上の女性なのよ。そのこと、忘れないでね」

こういわんばかりに、褒めた相手を「自分・オン・ステージ」を彩るわき役―――パセリやプチトマトに設定し、恣意に、自分の人生舞台に登場させたいようなのです。

 

また反対に、自らを「マウンティングの下」だと卑下している女性を褒めた場合、「嫌味」だととらえられるケースもあります。
すべてを卑屈にとらえてしまう「心の癖」ができている方というのは、相手の褒め言葉すら、心のダークサイドへとスライドしてしまいます。

「今の発言って、私のことをバカにしたんじゃないかしら」
「あの人はいいわよね。そうやって他人を褒める演技で、自分の点数も稼いでいるんだから」

ちょっと信じがたい発想ですが、実際にこのように考える女性もいらっしゃいます。

 

心根が素直な方というのは、男女ともに、
「褒められて嬉しい。元気出た」「よし、もっと自分を磨こう」
「自分も誰かの良いところを見つけて、褒めてみよう」などと、ポジティブな発想に行くのですが、マウンティング癖のある方は、どうにも発想のツボが異なるようです。

人間関係というのは、本当に一筋縄ではいかないものですね。

情に掉させば流される……ではありませんが、相手を尊重しながらも一定の距離感を保つという、中庸のむずかしさを思い知らされます。

 

このように、反応の異なるさまざまなパターンに対峙してきたことからも、私は、優しさに満ちた「他人を褒めることの大切さ」が書かれたメンタル本を目にするたび、いつもどこかで、釈然としない気持ちになるのです。

「現実の人間関係は、そんなスムーズにいくほど甘くはないし、人の心も素直ではないですよ……」

このような違和感を覚えてしまう自分もまた、やはり素直ではない人種の一味なのかもしれませんが。

 

もし現在、人間関係にお悩みの方がいらっしゃいましたら、「うまくいかないのが当たり前」くらいに、鷹揚に構えられたほうがよいと思います。

人間関係というのはケースバイケースですから、書籍を鵜呑みにするのではなく、相手の性質を見極めながら、自分なりの対処法と心の避難所を作っていただきたいのです。

書籍はひとつの参考。
マニュアル書ではありませんから、その通りにうまくいかずとも焦りは禁物です。
まずは対象を分析し、適切な対応スキルを模索し、職場やコミュニティでご自身のストレスをためないよう、オリジナルの逃げ道を作ってみてください。