田中要次さんと共演したときのこと


ここ2~3年、秋口から初冬にかけて、スギ花粉のようなアレルギー症状が出ている。この時期のアレルギーはブタクサだとか蛾の鱗粉だとかいうが、原因は不明だ。検査すれば反応要素が分かるらしいが、面倒なのでもっぱらアレルギー止めの内服薬で乗り切っている。しかし薬が切れたときは鼻水と涙がとまらず、本当に困った。

「涙がとまらない」状況になって、ふいに昔のことを思い出した。
そういえば私はむかし、映画出演を依頼されたことがある。そのときのキャストが、「涙が止まらないOL」の役。(当時のまま「OL」という言葉をつかう)

役者を目指したことなどまったくない。
しかしなぜだか、当時勤めていた書店内で、客として通っていた監督からスカウトされたのだ。

 

それだけだとあきらかに胡散臭い話なのだが、監督は自分から声をかけてきたわけではない。以前からホンに合う役柄として私に目をつけていたが、さすがに店内で自分から声をかけたら「あやしまれる」と思ったらしく、いろいろと下準備をして、最初に女性マネージャーをよこした。
彼女は私に、監督のプロフや仕事実績、そして映画の脚本などを渡して帰った。

監督の仕事実績の中には、当時よく流れていた、誰でも知っているタレントを起用したコマーシャルやシリーズものの短編映画などがあり、きちんとしたお仕事をされている方だとわかった。実際過去には、コマーシャル部門か短編部門かでカンヌ金賞を受賞したことのある実力派。これから作成するという映画も、決して妙な映画ではないことは、脚本からも容易に理解できた。

私の役どころ「涙の止まらないOL」は、主人公の同僚。ごく普通に会社勤めをしている女性だが、なぜだか涙が止まらないのだ。仕事で電話を受けていても喫茶店で雑談しながら笑っていても、つねに涙がしたたり落ちている。

一般受けうする軽い作品ではない。
かなり芸術性の高い、頽廃とコンテンポラリーアートの融合ともいえる、不思議なニュアンスをもつ、アンダーグラウンド的な作品を作れるアーティストだ。
制作予定の映画も、テレビ商業用ではなく、カンヌ国際映画祭短編出展用ということを聞き、興味本位で引き受けた。

 

おかげで普段はふれることのない業界を覗くことができた。
舞台とは違い、コマ割りで撮っていく映画の組み立て式の制作方法。ひとりでぽつんと映っている寂しい画面すら、周りには何十人もの人間が動き控えていること。そしてそれぞれの立場やメリットデメリットはまったく違うことなども、当然といえば当然なのだが、体験を通して実感した。
「ひとつの企画」の裏に、どれだけの数の人が動くかを意識しながら仕事するようになったのは、このときを契機としてだったと思う。

共演者は、劇団東京乾電池の女優さんと、当時はまだそれほど名前が表に出ていなかったが、今や押しも押される実力派俳優の、田中要次さんだった。

 

田中要次さんは、元国鉄職員から俳優へと、異業種転職した経歴の持ち主だ。
先日亡くなられた高倉健さん主演の「ポッポや」炭鉱夫役や、NHKドラマ「あまちゃん」の医師役、ドラマ「HERO」の、「あるよ」でおなじみのマッチョでしぶいバーのマスターなど、代表作は枚挙にいとまがない。
私が共演したのはもう15年以上前だと思うが、今も通り名になっている「BoBA(ボバ)さん」というあだ名は、当時すでに使われていた。
私が「なんでボバさんなんですか?」と聞くと、「ボンヤリバカだから?」と、はにかんだ笑顔を見せた。

現場では「いかにも業界人」という方もちらほらいたが、ボバさんは当時から口数少なく、時間通りにきっちりと現場に入り、黙々と仕事をして帰る、寡黙で実直な印象の役者さんだった。もと公務員といわれると「なるほど」と思う。

寡黙だが、優しい人だった。
バナナを食べるシーンではカット後、鼻の下をのばしてゴリラの顔芸をして、素人である私をなごませて笑わせてくれた。言葉ではなく態度での気遣いを、ちらちらと見せてサポートしてくれた。彼が現場にいるとなぜかほっとした。
お互い猫好きだったので、撮影の合間に猫自慢をしあった。今でも猫雑誌に「猫好き有名人」として掲載されているのを見るたび、「よしよし、まだちゃんと猫好きだな」と、私は一人でにやりとしている。

 

今ほどに名前が売れていなかったにしても、彼の演技力は確実だった。劇団の女優さんや脇役陣もそう。それなのになぜ監督は、演技の「え」の字も知らないような素人の私に、あの役をやらせたのか。
私は当時、「普通のOL役」のために自分が声をかけられたと思っていた。
監督のまわりには、抜群にスタイルのよいモデルさんや演技のうまい役者さん、目を見張るような美しい女優たちがたくさんいたはずだ。だからこそ普通のOL役として、私のような人間に声をかけたのだろうと、そのときは考えた。

しかし今思うと、監督は別のフィルターを通して人選したのかもしれない。
なぜならば、当時わたしは泣いていた。

 

私が勤めていた会社は、書店としてはおそらく日本一。流行の発信源もわかるし新刊もいち早く目を通せる。営業版元さんとの交流の中で、出版業界にふれることもできる。本好きな私にとっては楽しかった。
自分の担当棚に関しては決定権を与えられていたし、新人のわりには信用され、やりがいのある仕事を任されていたと思う。
新聞の書評をチェックし、「いけそうだ」と思う書籍にあたりをつけて大量入荷する。うまい具合にヒットすると嬉しかった。返品処理した本が、その直後に新聞で話題になったことを知り、慌てて委託業者に駆け込み、平身低頭、戻してもらったこともある。

あるいは名もない地方の弱小出版社の、しかし手間ひまかけて作られた良質な本を自分の判断で仕入れ、POPをつけてイチオシで平積みにすると、反応があり販売部数がのびる。そのようなときは、「良い仕事をしたな」と満足感を得られた。

周囲の同僚も上司も、いい人たちばかりだった。
おそろいの制服には辟易したが、社食のうどんみたいなミートソーススパゲッティも、給食を思い出して好きだったし、ときどきメニューに登場する、社食オリジナルの180円の手づくりかぼちゃプリンも大好物だった。未だにあそこより美味しいかぼちゃプリンに出会っていない。
コーヒー通の同僚が、美味しいコーヒーを淹れてポットで持参し、社食のお茶碗で少しずつ皆に振る舞ってくれる。それを食後に飲むのも楽しみだった。

何より同僚たちと他愛のない話で盛り上がり、1時間を過ぎて上司の目を気にしながら慌て売り場に戻る。今思えばあまりに普通の、そして今では普通に手に入らない、貴重な時間だった。
給料はすごく良いとはいえなかったが、私のような世間知らずを置いてくれるには、ぜいたくすぎる、分相応な会社と待遇だったと思う。

 

それでも私は毎日、何かが足りなかった。
欠乏する心の収まりどころはどこにも見つからず、押さえつけても押さえつけてもなお吹き零れる、焦燥感と目的の見定まらない欲求に必死でふたをして、あふれたもので火が消えてしまう直前に、ギリギリになってから慌ててふたを取る。その繰り返しの日々。
ある日レジで書籍用カバーを折っていたとき、外国人のお客様から「ツマラナソウ」と言われ、けげんな表情で顔を覗きこまれ、ハッとした。取り繕った笑顔で本を受け取ったが、動悸はとまらなかった。

 

監督は、そのときの私の心の欠片を見抜いたのかもしれない。
彼のアーティスト欲求が、ひとりの人間の心の表面張力を、葛藤の瞬間を切り取ることを駆り立てたのだろうかと、今になって思うのだ。

毎日楽しく働いていると自分に言い聞かせてはいても、なお乾き餓(かつ)えてもがき、泣いている私の内面を。だからこそ「涙のとまらないOL」を抜擢したとしたら、まさにナイスキャスティングといえるだろう。何より彼は鬼才であった。

映画は無事クランクアップした。
その後監督には、CMに誘われた。「ちょうど胃腸薬のCMがきてるよ。ワンクールで30万円くらいにはなるから、出てみない?」
そう声をかけていただいたが、丁重にお断りした。中途半端な気持ちと才能でやれる甘い仕事ではないということは、一本出れば、嫌というほどわかったからだ。

そしてその後しばらくして私は退職し、フリーランスに片足を突っ込みながら、それこそいろいろな世界を覗き見ることとなる。
安定はなかった。それでも組織に庇護されて楽に暮らしていたあの頃より、いくぶん心はマシになっていた。

 

そんな私とは裏腹に、田中要次さんはその後、破竹の勢いで役者道をのぼりつめた。
私は現在労働問題にかかわっているが、「異業種転職の成功例」というと、真っ先にボバさんを思い浮かべる。人生のほんの一瞬を、映画業界を通してふれあった彼のことを。

「成功例」とはいっても、決して平坦な道ではなかったはずだ。いろいろなジャンルのそれぞれ違った役を、職人のように地道にこなし、ひとつひとつ丁寧に実績を積み重ねていったことは、彼の出演作品一覧から伺える。
スタッフとの方向性の違いや、思い通りにならなかった自らの演技に人知れず泣いた夜は、もしかしたらあったのかもしれない。
しかし15年前のあのとき、彼は少なくとも私のように、心は泣いていなかった。

一緒にいて感じたあの安心感は、人柄はもちろんのこと、紆余曲折の末ゴールが定まった、覚悟を決めた人間の安定感だったのではなかろうか。
いつかテレビで、北野武さんが言っていた。
「やりたいことの見つかった人間ていうのが、一番幸せだよ」と。

行き先がわからず、夜空の星の見方も知らず、ただやみくもに泣きながら砂漠をさ迷い歩いていた私とはちがい、彼にはもうオアシスが見えていた。目的地へ向かう覚悟もあった。安定した公務員から保証のない業界へとジャンプし、そこで根を張り生きていくという覚悟。そして自分の才能を信じて進む意志。結果として、それらが彼を今の地位へと導いた。

 

先日近所のデパートで、昔の私のように、「ツマラナソウ」な顔をして仕事している販売員を見た。どのような仕事も、楽しいことばかりではない。ただのわがままで、目的もなく転職するなら、現状維持のほうが良い場合もある。
しかしもし、奥底にある心が彷徨い泣いてもがくのならば、そこは本来自分のいる場所ではないのかもしれない。

「別の生き方はあるのでしょうか」

悩む人が不安でそう問うのなら、私はボバさんのあの渋い声色を真似て、「あるよ」 といつも、言ってあげたい。
彼の持つ安定感には、まだ随分と足りていないかもしれないが。

 

 

(有馬珠子のあめぶろ)
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