政治の色


「色事」「色気」「色っぽい」という言葉のとおり、セクシュアルなものには「色」がある。
しかし、死の世界には色がない。死は「白と黒」と相場が決まっている。喪服は黒。葬式場の鯨幕も、もちろん白黒。

今年の二月にはいり、約18年間連れ添った猫を亡くした。火葬場で焼いてもらい、焼きあがった骨を自ら拾った。
火葬場のご主人は、この道十年のベテラン。さまざまな動物の遺骨を見てきた骨と灰のスペシャリストだ。彼が、うちの猫の焼き場の釜を開けたときにこう言った。
「ああ、お腹のあたりに少し緑色っぽいものがありますね。あれは薬か何かでしょう。直前まで、薬を飲ませていませんでしたか?」

その通りであった。

「生き物が焼きあがった後に残るもの……、自然物の骨と灰というのは、基本的には白と黒だけなんですよ。他の色が混じっているのは、投薬とか注射とか、科学的な、何か別の混じり物がある証拠です。頭蓋骨の左目のあたり、白い骨にうっすら黒を帯びているでしょう? あれは左目が少し、白内障気味だったのかもしれませんね。焼きあがった骨を見れば、いろいろなことが分かるんです」

死の世界は白と黒。
なんだ、やっぱりそう出来ているのか。
昔からの慣習も、鯨幕も、物理的な理由と合致していたのだ。

都議会で女性議員が発言中、「結婚したほうがいいんじゃないか」というセクハラ野次がとび、問題になった。今日は発言者が明らかになり、テレビでの謝罪会見がにぎわしい。

私は件の女性議員のプロフィールについて、あまり知識がなかったのだが、「グラビアをやっていたのだから仕方ない」「タレント活動で、自らが女性としてのキャラを売りものにしているのに、過敏に反応しすぎ」などの声を聞き、改めて彼女の経歴を知った。

私は基本的に、「○○だから」セクハラが許容されるということはないと思っている。グラビアをしていようが、ホステスであろうがキャバ嬢であろうが、セクハラも痴漢もしてよいという理由にはならない。
女性の人権と尊厳という点では、同一に守られるべきだ。グラビアをしている女性がすべて、性的に軽視される本質を備えているとも限らないし、軽視してよいはずもない。

そこをふまえたうえで、平行して感じたのは、「世間のフィルター」という色を通して見られる覚悟は必要だということである。

本質が赤であれ、「世間」「職歴」という青いフィルターを通して見たときに、その見え方は紫に変化することもある。事実は赤だ。しかし、私たちはさまざまな視点や価値観にさらされて生きている。
グラビアアイドルへのセクハラ発言と、ハーバード卒の女性キャリア官僚へのセクハラ発言とでは、扱われかたが違うのは否めない。
「性」というものを、ある程度商品化する職業を、自らが選択した以上、フィルターを通したときに外部からどう見られるか、どのような色に変化するか、予測し見極める、その覚悟は必要なのだ。

覚悟という言葉が適切でないなら、「知恵」とでも言おうか。そのような知恵をもって、自らの意思で選ぶほうが、自分自身でも傷つかない。大人の自己責任だと納得もできるだろう。

「死」の世界には色がなくとも、「市」の世界には色事があった。いや、「都」か。

いずれにしても、最も必要ないところに湧き上がったセクシュアル発言は、健全な政治にケミカルな不純物が混ざったような、嫌な色のシミを、私の心に残してくれた。