女性には二種類いる


誤解を承知で説明すれば、女性は二種類のタイプに分かれます。それは「性的に見られたい女性」と「性的に見られたくない女性」です。私は前者を「性・女性」、後者を「人間・女性」と分類しています。あくまでざっくりとですので、どうぞご容赦ください。

 

「性・女性」を、改めて説明する必要はないでしょう。どれほど一定数の女性が「セクハラは不快」と主張しても、実際に性を商品化する仕事をみずから選ぶ女性もいます。風俗や水商売やAV女優、また、性を武器としてお金や権力のある男性に囲われ、愛人として遊んで暮らすことをのぞむ女性もいます。あるいは「かわいい枠」の女子アナとして、ちやほやされたいタイプの女性もいます。どれもみな同じ「女性」です。

大人が自己決定により選択した道ですから、他人がどうこう言うことはできません。賛成はしかねますが、これはこれで「個人の自由」と申し上げるほかないでしょう。

 

さて、つぎに「性的に見られたくない女性」ですが、これがまた二種類に枝分かれ致します。

ひとつには「人間としての尊重がベースにあれば女性として褒められることもうれしい」、という「リスペクトOK型」。もうひとつは「それすらも嫌」というタイプです。

たとえば男性から好かれたいという女性でも、「お前いい胸してるな、いい尻してるな」と、歪んだセクシュアル視点のみで値踏みされた場合、まるでモノのような失礼な見方をされているわけですから、当然うれしくない。これは男性でも想像できるかと思います。

そのような男性サイドからの値踏みの視点ではなく、人間力をベースとした対等な目線から、「明るくてすてきな女性だな」「才色兼備な女性だな」と、好意を持たれることは嫌ではないということです。これが「リスペクトOK型」の女性です。女性をモノ扱いするのではなく、「人間」として尊重できているかどうかというところに着目してください。

社会一般では、この「リスペクトOK型」の「人間・女性」が、実際のところかなり多数派といえるのではないでしょうか。

 

まず、このダブルスタンダードを理解していない男性が多すぎます。

「性・女性」は、ごく一部の女性でしかありません。しかし男性の多くは「女性」という存在を一辺倒にとらえ、男性にとって都合のよい男性優位視点にあてはめようとします。

「女というのは男から性的に見られたい性・女性なんだろう?」

「それが女にとってうれしい見られ方なんだろう?」

このような固定概念の押しつけボールを、背面から断りもなしに、勝手にバシバシぶつけてきます。この誤解が是正されなければセクシュアルハラスメントは減りませんし、女性にとって快適な職場環境も整わないのです。

ドッヂボールしながら仕事はできません。生産性が下がるので、どうかボールをキャッチするエネルギーを、仕事に使わせていただけないでしょうか。

 

まずは「女性が性として見られることはうれしいはずだ」という、過去の遺物ともいえる古い思考をさっさと捨て去りましょう。

もし本書をお読みの方が男性でしたら、不遜な「上位者目線」をあたりまえだと思わないことです。

「性・女性」タイプがいることは事実です。しかし職場では意識の照準を「性・女性」にではなく、「人間・女性」のほうに合わせてください。それが健全な会社組織のありかたですし、男女雇用機会均等法もそのために存在しています。

 

しかしいまだに、すべての女性が「男性から性的に見られたい性・女性」だという、「偏見」をお持ちの男性はたくさんいらっしゃいます。

やはり五十代~六十代以降にとても多いです。今まさに、会社で決定権をもつ年代です。彼らの多くはセクハラという言葉を知ってはいるけれど、言葉を知っているだけで本質を深くつきつめて考えようとはなさいません。女性が自分たちとおなじ「人間」であるということを、なかなか自身の中で、アップデートできないようなのです。

彼らは「お尻をさわらなければよい」という程度の考えから脱却できず、周りにいる女性の外見が美しく女らしければ、それだけで何の疑問ももたずに「性・女性」を押しつけ、軽んじ、以降は「オンナ」としてしか扱いません。

そしてそのような男性上司のもとで働くことに、女性はほとほと疲弊しています。男女共同参画の進まない大きな原因のひとつは、この、女性を人間として対等に見られない「男性意識の変わらなさ」にあると感じています。

 

ひとつ、「性・女性」と「人間・女性」を区別できていない、悪い例をご紹介しましょう。

私が大学生のときの話ですが、就職活動の時期、友人のオギさんが「同級生のJ君から、とても腹が立つことを言われた」と憤慨しながら私に語ってきました。

ちなみにオギさんは、フェミニズムを勉強しているわけでもない、特にアグレッシブでもない、どちらかといえばおとなしい、ごく普通の女子学生でした。

オギさんはJ君にこう言われたそうです。

「女の人はいいよなあ。いざというときは水商売とかできるんだから」。

彼は悪びれることなく、女性に対してこのように無礼な発言を平気で口にしました。しかし彼には「失礼なことを言った」という自覚も罪悪感もありません。

実際にはJ君のせりふは失礼極まりない発言ですが、本質を理解できない男性というのは、これのどこが「失礼」かすら、未だにわからないようなのです。このように、人としての会話ができない、言語の通じない宇宙人のようなタイプの男性は、じつのところまだ日本中に潜んでいます。なぜそう言いきれるかといいますと、私がまだまだ、実際によく出会うからなのです。

 

広くて大きな「人間・女性」を、狭くて奇妙な形をした「性・女性」という箱に、強引に、ぎゅうぎゅうに押し込めるのはタブーです。そのように乱暴なことをされたら、誰でも窮屈で嫌な気持ちになるのではないでしょうか。それは男性でもおなじだと思います。

たとえば男性も、身長や学歴や年収や性器の大きさなど、ぶしつけな「狭いセクシュアル」という枠に、女性の勝手な評価で振り分けられ、当然のような上位者視点で、優越的に会話を進められたらいかがでしょう。おそらくとても腹が立つことと思います。

それを男性は、女性に対してごく普通に行います。

「男性の優位性」が存在すると勘違いし、日常的に女性を軽んじることに慣れ、女性蔑視の発言に罪悪感を抱けないようなのです。

 

たしかに「性・女性」が存在することは事実です。たとえば男性を前にすると急に声がワントーン高くなり、しなしなと不自然な動きをし、若く美しい女性には無条件でライバル心を燃やすようなタイプがこれでしょう。

しかしその媚びるような態度を見てあきれ、白い目を向けているのが「人間・女性」です。どちらも生物学的には同じ「女性」であることに変わりはありませんが、両者はまったくべつの生き物です。

 

たとえば双方に、「あなたなら会社勤めじゃなくてホステスやればいいじゃない。ホステスに向いているよ」と言ったとしましょう。

「あら、私ってやっぱりイケてるのね」
そのせりふを「勲章」として受け取り、満面の笑みで喜ぶのは「性・女性」でしょう。

しかし「人間・女性」にそのせりふを言ったなら。
当然、烈火のごとく怒りますね。

「はぁ?! 何、この失礼な男! 私がホステスやるわけないでしょ。バカにするにもほどがある。女をなんだと思ってるの!」

 

この差が何なのか。はっきりとわからないという男性も多かったのではないでしょうか。
「なんだよ、A子は大喜びしたから、B子にもおなじことを言ってほめてやったのに。B子は怒り出しやがって、気むずかしいヤツだ。女ってヤツは本当にわからないな」

いいえ、違います。どこが違うかというと、女性をワンタイプにくくること自体が間違っているのです。

A子さんは「性・女性」。B子さんは「人間・女性」。
同じ「女性」でも、両者は「性」に対して真逆の価値観で生きている、まったくべつの生き物です。
A子さんは性的に見られることがうれしい。B子さんは性的に見られることが不愉快。

女性というのは「オンナ」ばかりではない。まずは男性にそのことを認識していただきたいと思います。