一億総水商売の国・ニッポン


今の日本の女性たちを見て、「何か変だ。一億総水商売みたい」と言ったのは、「いい女講座」(PHP文庫)を書いた松原惇子氏です。

たしかに今の日本はどこかおかしいと思います。
「性」―――とくに「女性性」というものを尊ばず、「勝手に消費する」風潮があたりまえのようになっている。
「女性性」というものを軽く扱い、商品化目線をためらわず、男性目線で一方的に消費することが当然であるかのような土壌がつくられていると感じます。

3月1日に発表された国による調査結果によると、セクハラ被害はいまだ深刻です。
調査は、9600人以上の働く女性を対象に実施されたのですが、その結果、29パーセントの女性がセクハラの被害に遭ったことがあると回答しました。40パーセントの女性が、体を触られたと答え、38パーセントの女性が、性的なことを質問されたと回答しました。
また50パーセント以上の女性が、容姿や年齢を話題にされたと答えました。

わたしは自分の経験から、上記数字がそれでも控えめではないかと思っています。

社会に出るとわかるのですが、男性たちは一般女性をもまるで「玄人水商売」「玄人風俗嬢」であるかのように接してきます。
気軽に自分の欲求を満たす商品として、性的ジョークを浴びせ、性的質問をし、メイクや服や彼氏の有無などの性的関心をためらわず口にし、クラブトークのお相手をさせ、値踏みし、髪や肩や顔や手や身体を勝手にさわってくる。
また己のスペックを知ってか知らずか、女性を評価対象である「モノ」として、上から目線で不遜に扱ってきます。

これらはすべて、女性が「許可していない」、一方的な「女性性の消費」です。

 

なぜこのようなセクハラが頻発し、なかなか減少しないのでしょう。それを考えるには、日本の現代の社会風土を振り返らずにはいられないことに気づきました。
今の日本は、一般の「素人女性」の性をもすべて消費物とみなし、「一億総水商売化」して、軽く都合よく扱うのが当然のような空気を生み出しています。

「性」をどうするか、自分の意志で選択することは、本来個人の自由な権利のはずです。ひと昔前のように、女性が「父親である家長の持ち物」「政略結婚の道具」という時代ではありません。
「女性性」は現代、男性の隷属から解放されているはずです。

しかし「女性性の解放」を奇貨として、べつの現象が起きているのも見過ごせません。
個々の女性の意志にかかわりなく、男性が女性全般を一方的に「解放対象」―――男性視点に都合のよい「解放対象」へと勝手にふりわけ、パーソナルラインをふみこえて「性」へ侵害してくるようになったのです。

いいかえれば、「女性性の解放」に名を借りた「女性性の消費」に味をしめ、なれなれしいセクハラをいともたやすく行ってくる。
それが女性にとってたいへん居心地の悪い、「女性が輝けない」日本社会となっているのです。

その一端として、メディア操作の在り方に大きな要因があることは否めません。
さまざまな手法で「素人女性」と「玄人女性」の境をグレー化している。性をライト化することで感覚を麻痺させ、女性を「性的対象として軽く扱う」風潮を定着させています。

その結果、社会全体が女性を人として尊重せず、女性性として、「外見や年齢でディスる」こと、あるいは女性性を気軽に侵害し、女性性のみに価値を置き、商品化するビジネスが許容されるような、「セクハラを起こしやすい土壌」が意識的に作り出されていると感じます。

 

先日見ていたテレビ番組で、今の小学生が将来の夢に「キャバ嬢」を挙げているという特集が組まれていました。後日そのニュース記事をうけ、「現代の子供の意識が不安だ」という声も、ネットで複数よせられていました。

しかしこのデータは、そもそも事実でしょうか。どの区域を対象に、何人の小学生から得たデータであるのか、調査の偏りに疑問をいだかざるを得ません。
実際、これについてデータ関連の仕事をしていたという男性から、意見がよせられていました。
「これはたぶん嘘だと僕は思います。小学生女子のなりたい職業ランキングをいろいろ見てきましたが、キャバ嬢なんて見つかりませんでした。多いのは、パティシエとか花屋さんとか儲かるか儲からないかの仕事ばかりでした。」

しかし単純な視聴者は、これをうのみにしてしまうのでしょうか。

 

この番組以外でも、テレビをつければ、不倫や浮気や、やれるやれないなど、性的な下品な下ネタを軽々しく、おもしろおかしく垂れ流しています。
これらの男性目線で作られた番組に登場する女性像を「一般女性のスタンダード」だとかん違いしてしまう単純な男性は、「ああ、こういうこと許されるんだ」「今の女性はこうなんだ」と、間違えて気軽にセクハラを仕掛けてくるようです。
上からも下からも、そもそも自分の「女性性」消費を許可した覚えのないわたしにとっては、とても迷惑な話です。

しかしながらその他の女性たち―――特に「普通」であること、「みんなと横並び」であることが最重要価値と思い込む日本人にありがちなのですが―――、素直すぎるフワフワ子羊ちゃん女性たちは、自分の頭で考えることをせず、すんなりとその「歪んだスタンダード」を受け入れてしまっているようにも見えるのです。

なぜ日本は、これほど男女共同参画が進まず、男尊女卑が根強く残っているのか。

それは女性性という尊い価値を、ちゃかして格下にして、男性が一方的に消費することをよしとする文化をつくり上げてきたからにほかなりません。
そしてそのことに女性が文句を言えないよう、必死で「ロリコン文化」を積み上げて、都合のよい男性消費に迎合してくれる「キャピキャピ(死語)女子アナ」や「かわいい子羊フワフワお嬢さん」たちを「理想の女性」として持ち上げ、一般価値意識として浸透させるよう、メディア戦略をはりめぐらせてきたからではないでしょうか。

 

そもそも男性が女性性を商品として消費することが許されているのは、自由恋愛以外では、元来、「それを職業として納得し選択した」女性に対してのみ、のはずです。
「女性性の消費」は、ビジネスであれプライベートであれ、「両者の合意」が存在することが前提です。

昔の日本は、性を商品化する「玄人」と、そうでない「素人」の区別がなされていました。
今でも、本当に遊び慣れている粋な男性というのは、その「対象の区別」ができています。
クラブのホステスさんへの応対と、一般女性への応対―――ようするに、玄人さんと素人さんをきっちりと分けて、それぞれに応じた対応ができています。高い遊びの経験から、対象を区別できる聡明さを備えているようです。

ところが今、ガールズバーやキャバクラなど、安価な女性性消費が蔓延し、中流一般男性も、「ファーストフード」としての女性性消費を、お手軽に楽しむことができるようになりました。

すると何が起こるかというと、野暮な男性上司たちは、礼儀とマナーを忘れ、「安価な女性性消費」をスタンダードとみなし、素人と玄人を混同するようになったのです。

ですから、ちょっと若くてきれいな女性が身近で働きはじめただけで―――そしてニッコリ社交辞令の笑顔を見せただけで、勝手に鼻の下をのばして舞い上がり、ビジネススイッチを切ってしまいます。
女性の意志とは無関係に、「女性性」は安価で勝手に「消費」してよいものだとかん違いし、女性をワーカーとしてではなく「女」として扱う「スリセクハラ」をおこないますし、一般女性をホステス扱いする「ホステスハラスメント」を、自己中心的に発動させます。
あるいは逆に、年齢を重ねた女性を「ババア」扱いし、無価値であるかのような態度を隠しもしないのです。

褒められるのであれ見下されるのであれ、とにかく「女性性」消費につき、無許可である女性にとっては、日本は本当に居心地の悪い、下品で野蛮な国に成り下がっていると感じます。

 

しかし一方で、実際に一般女性の「玄人化」が進んでいるのも否めません。

わたしの手元に、上野千鶴子先生と有識者たちとの対談集、「セクシュアリティをことばにする」(青土社)という本があります。その中で、北原みのり氏との対談がとても興味深いのでご紹介します。

 

~「二〇〇〇年代、そしてみんな風俗嬢になった……!?」

上野 「(中略)…北原さんの本を読んでクラクラしちゃったわよ。セックスのハードルがうんと低くなったかわりに、今度はベッドでサービスをしないと女は男にウケなくなってしまったのか、と。しかもハードルが下がった分、今度はセックスを拒否できない。男女関係は、この四〇年で好転するどころか…」(以下~)

 

北原みのり氏は『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版、二〇一一年)を出版しています。その中で雑誌アンアンのセックス特集四〇年をフォローして、日本女性のセックスの変貌を歴史社会学的に検証しています。

わたしも女性という立場から、そして「セクハラ・パワハラ防止コンサルタント」という立場からも、「性」というものの変動、利用の仕方され方、そして消費の仕方され方を、つねに冷ややかに興味深く俯瞰しています。

そしてわたしが現状感じるひとつの結果は、日本社会が昔と変わらず「男都合の男社会」であるということ。
「一般素人女性」と「玄人水商売女性」の境目をなくし、グレーゾーン化することでたやすく広く、女性性を消費しようとしている。「女性性」に対する日本国民全体の意識を鈍麻させ、「一億総水商売化」して、モノ化娯楽化している、ということです。

じつはこの意識こそが、雇用均等室担当者も「セクハラ相談が一向に減らない」と嘆いていた、セクハラを蔓延させている大きな原因のひとつなのです。

 

このように、対象の区別ができていない「野暮な男性」と、流されるまま「玄人まがいの素人女性」があふれかえっているのが、現在の「安っぽい国・ニッポン」です。

 

比較文化の見地から、参考になる例を一点。
最近ISテロ被害から、イスラム教が「男尊女卑」文化だとひどく誤解を受けているようです。しかし本来のイスラム圏文化にふれると、まったく真逆のフェミニズム思想がベースとなっていることがわかります。

たとえばイスラム教のヒジャーブ(髪を覆うスカーフ)は、「女性を縛り付けて制限」するものではなく、まったく逆の意識から生まれた産物です。

日本男性に、耳の穴かっぽじって、よく聞いていただきたいのですが、ヒジャーブというのは、「弱者である女性が、男性から性的に不躾な視線で見られたり、性的なからかいを受けたり、不埒な扱いをされて傷つくことのないよう」、「本人の意志とは無関係に勝手に女性性を消費されることのないよう」、あるいは「若さや体型という男性本位の無礼な評価がなされないよう」、それらの侵害を防ぐための「保護カバー」であり、「セクハラ抑止カバー」であり、究極の女性人権擁護措置なのです。

イスラム教の根本思想は以下の通りです。

「男性というのは愚かな生き物で、女性の美しい髪や肌や、身体のラインを見ると、がまんできずに不埒な行動をおこしてしまう。本能の部分で自己管理にとぼしい生き物だから、その被害から女性の尊厳をまもるために、あなたの美しい部分は見せずに隠しておきなさい。本当にあなたを一生大切にしてくれる夫以外に、あなたの女性としての高貴な美しさを見せてあげる必要などないですよ……」

このように、女性の性的価値を貶めないよう極限まで配慮する、細やかなフェミニズム思想がイスラム教の根幹なのです。

実際、セクハラ被害を多く受けてきたわたしにとっては、このヒジャーブが、どれほど女性にとってありがたい「保護カバー」であるかが、身に染みてわかります。頻繁に痴漢被害にあってきた女性も、同じように感じるのではないでしょうか。

 

わたしがイスラム圏で感じた居心地のよさと安心感。

それは日本のように、一般女性をも、風俗嬢か水商売のようにぶしつけに扱い、断りもなく一方的に女性性を消費してくる、「一億総水商売化」「一般女性風俗化計画」の国家的ロウワ―レベル思考とは違い、女性性を最高級に尊重する、ハイレベルな「品格文化」が根強く生きているからだったのです。

 

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