やわらかくのびる時間


過去と現在と未来は、同時に存在しているらしい。
「時間ていうのは、やわらかくてのびるんだね」
ウメコさんはそう言った。

つい先日、遠方の出身県に住むフェイスブック知人からメッセージがきた。
「有馬さんにそっくりな人を〇〇駅で見かけたのですが、お姉さんか妹さんはいらっしゃいましたか? 本当に、気持ち悪いくらいそっくりだったのですが」

じつは私は、過去に何度かこの手のことを打診されている。
目撃情報は、実際には行ったことのない県であったり、または地元や昔住んでいた地域だったりもする。

やはり数年前に私を他県で見かけたという友人は、ガンとして言い張った。
「バッグも服装も、同じものだったから間違いない。ここにほくろもあった!」
どれほど出没日時のアリバイ(?)を証明し、物理的な距離からして無理だと説明しても、彼女は納得しなかった。

よくある顔なのか、はたまたドッペルゲンガー現象の類なのかは不明だ。
しかし仮に時間が同時存在していて、膨大な数の各スクリーンを行ったり来たり、もぐらたたきのもぐらのようにちょろちょろと顔を出しているという理屈ならば、あり得ない話でもない。

マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士は、「時間は流れていない。むしろ止まっている」と主張する。
相対性理論をもとにすると、「現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在する状態にある。だから『時間が流れる』という表現は間違い」なのだそうだ。

 

先日のフェイスブックメッセージを受けて、私は子供のころの話を思い出した。
ウメコさん。
あれはどういう人だったのだろうか。
小学生のときに仲の良かったゆかりちゃんの、親戚のお姉さんだったと思うのだが。

ある日ゆかりちゃんと遊んでいたところ、彼女のお母さんが迎えに来た。
「ちょっと…△△さんのところに行かなければならなくなったから一緒に来なさい」と、私も車で連れていかれた。

△△さんとやらの家は、土地の広い田舎ということを差し引いてもかなりの豪邸。立派な門から玄関までの距離は、息切れするほどに長かった。庭の池には美しい錦鯉がうようよと泳ぎ、しかもその池は張り出した部屋の縁側下にまでつづき、部屋でお茶を飲みながら眼下に池の鯉がのぞめるという、料亭のような凝った造りだった。
ゆかりちゃんは、まるでリアル福の神のような風貌の耳の遠いご老人に「おじいちゃん、こんにちは」とあいさつしていたので、おそらく祖父母の家だったのかと思う。

 

それならば、ウメコさんはゆかりちゃんの従妹だろうか。
年齢は二十代くらいだったと思うのだが、よくわからない。子供の目には大人に見えたが、もしかしたらまだ学生だったのかもしれない。
おばさんが奥で大人の話をしている間、ウメコさんは私とゆかりちゃんの相手をしてくれた。
「こっちにおいで、奥で遊んでいようね」
そういってウメコさんは私たちを自分の部屋に招き、お茶とお菓子をご馳走してくれた。

私はウメコさんの部屋にはいったとたん、妙な違和感をおぼえた。
ベッドの位置があきらかにおかしい。壁側に寄せることができるのに、なぜか部屋のど真ん中に置くという、たいへん不合理な空間の使い方をしているのだ。ベッド備え付けの読書灯も、わざわざ延長コードをひいて壁のコンセントにつないである。

しばらく三人でゲームをしたりお菓子を食べたりくつろいでいたのだが、私にはどうにもベッドの位置が気になった。
「あの……なんでベッドを端によせないのですか?」
私はおずおずと尋ねた。するとウメコさんはチラと壁側を見て、ああ、といった。
「あのね、おもしろい話、してあげる」

 

ウメコさんの自宅豪邸はかなり古いものらしく、築百年はたっているという。老朽化が進んだため、二年前に改修工事をした。
ウメコさんの部屋は建て替える前は長い一本廊下だったのだが、取り壊されて現在の部屋になった。
「古い家だからかな。子供の頃にね、すごく怖い体験をしたの」
ウメコさんはまた、チラリと壁を見た。

以前の廊下は、年季のはいったつやのある木材で十メートルくらいに長く造られていた。磨きこまれた廊下はよくすべるのでおもしろく、ウメコさんは弟とふたりで、遠くから勢いをつけてはすべるという「廊下すべりあそび」を繰りかえしていた。

ある日いつものように、ウメコさんと弟は、「廊下すべりあそび」のため、バタバタスーッ、を繰り返していた。スーッとすべった後、きびすを返し戻りかけた。その時。
ウメコさんは急に、足を踏み外したかのようなつまずきを感じた。
「あっ?!!」
それは踏み外したというより、表面が乾いて地面だと思っていた肥溜めに、うっかりはまってしまったような不意打ちの感触だったという。まるで固い廊下の一部分が、急にぐにゃりとやわらかくくぼみ、そこにズボリと足がはまり、餅のように下に伸びるような気持ちの悪い感触だった。
驚いて足もとを見ると、暗い穴の底に恐ろしい女性の顔が見えた。赤い花柄の服を着たその女性は、憤怒の形相でウメコさんをにらんでいた。

「わあーーっ!!」
ウメコさんは驚いて足を抜き、何が起きたのか分からない様子の弟を置いたまま、猛ダッシュでそこから逃げた。
ウメコさんはしばらくその廊下を通れなかったという。

 

しかしその恐怖体験も、成長につれてじょじょに記憶が薄れていった。
十数年がたち、老朽化の進んだ邸宅は、大がかりな改築工事をおこなった。例の廊下は取り壊され、その部分は太陽がさんさんとふりそそぐ、明るい部屋に生まれ変わった。新しくできたふたつの部屋は、ウメコさんと弟にひとつずつあてがわれた。

爽やかなヒノキの匂いのする新しい部屋はとても気に入っていたのだが、ウメコさんは奇妙な空気を感じはじめた。
騒がしいのだ。
音はしていないし、人もいないのに、何かうるさい……ような気がする。
時おり人の気配を感じる。

ある日電気を消して寝ていると、やはり誰かの気配を感じる。
「嫌だなぁ。金縛りになんかあわなきゃいいけど」
そう思いながら寝返りを何度も打った。
起きてお茶でも飲みなおそうかと考えていたとき、衝撃的な事件がおきた。
ウメコさんは暗闇で、ふいに何者かに顔をなぐられたのだ。

「!!!!!!」
恐怖で一瞬固まったが、実体の人間ではないということはすぐに分かったので、しばらくじっと動かずに息を殺し、空気が落ちついてから電気をつけて大きく深呼吸した。

「あれは何だったんだろう」
震える手で手鏡をとり、汗びっしょりの顔を見てみたが、殴られた跡などは残っていなかった。
その瞬間。
ウメコさんは鏡を見て、ふと気づいた。
記憶の奥底に押しやられていた映像が、急にぱっと、花火がひらくように眼前に開けたのだという。
ウメコさんはその夜、「これ、ウメコパジャマだよ」と友達からお土産にもらった、赤い梅の花がプリントされたパジャマを着ていた。

鏡に映った自分の姿。赤い花柄の服を着た、恐怖にひきつった青白い顔―――。
暗い穴の底に見えた恐ろしい女性の顔―――。ウメコさんをにらみつけた、赤い花柄の服を着た憤怒の形相―――。
「子供のときのあの女の人……あれは……私だ!!」
なぐられたと思った手は、子供の頃の自分の足だった。

「自分のことを自分で怖い女の人、だなんて。笑っちゃうよね。憤怒の形相なんかじゃなかったのよ。こっちはこっちで、恐怖で凍りついていただけなんだから」
ウメコさんは陽気に笑った。

「時間ていうのは、やわらかくてのびるんだね。……時間が一点に重なる場所っていうのかな。そんなスポットがところどころあるみたい。場所なのかタイミングなのかはわからないけど」

過去と現在と未来は、流れていない。どれもが意識の「瞬間」であり、多層スクリーンが散在し行き交うなかで、ふいにリンクし接触事故を起こす。

 

おもしろいのは、位置のポイントだ。
ウメコさんいわく、過去と現在の軸位置は、若干ズレているらしい。
「建てかえた位置でいうと、廊下のほうが低かったはずなんだよね。新しい部屋を作ったとき、床暖熱とか何かいろいろ入れて、部屋の床はずいぶんかさ増しされたから。それなのに上から踏まれたっていうのが、目下私のギモンなの。誰か解明してくれないかなぁ」

マサチューセッツ工科大学の哲学助教授、ブラッド・スコウ博士なら答えてくれるだろうか。
時空を超えると空間的な微調整がきかないのか。あるいは地殻変動的な事情による、「じつは完璧なまでの正確さ」なのかはわからないが。

幼いころの恐怖体験の原因がわかり、ウメコさんは腑に落ちた。
しかしウメコさんは、過去の誰かの足がふたたびこちらに落ちることを恐れて、ベッドの位置をずらしているのだという。

 

いろいろな場所にランダムに出現しているらしい自分。
なにかの拍子に、時間のちがう同位置で、そんな自分とばったり出会ってしまったら。
いや、案外もう出会っているのかもしれない。
渋谷のスクランブル交差点で。自分とはわからぬほどに年老いた、八十歳を超えた自分と。

 

(有馬珠子のあめぶろ)
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