あなたの周りに潜むマイルドストーカー ~PART5不倫疑惑


(つづき) 堀之内課長というのは、別部署の、ほとんど話したこともない上司だという。おなじフロアにデスクを置いてはいるものの、場所も離れているし、事務方の溝口さんとは特に仕事で絡むこともない。
ただひとつ類似点があるとすれば、自宅の最寄り駅がおなじということくらいだろうか。出勤途中、何度か駅で遭遇してあいさつをしたため、その事実を知っていた。

「上司とスーパーで会ったら嫌だなあ」
溝口さんはその程度に感じていた。

 

堀之内夫人に初めて遭遇した翌日、溝口さんはいつも通り出勤した。
午後の仕事が一段落する比較的暇な時間、溝口さんはなぜか直属の部長に呼び出された。会議室に呼び出しを受けるほどのミスを、仕事でした覚えはない。心当たりがあるとすれば、少し前にムームーを着て出勤して、「君はハワイにでも行くのかね」と、さりげなく部長に嫌みを言われたことくらいだった。

「ムームーはまずかったか」

舌打ちしながら会議室に入った溝口さんは、部長と副部長と堀之内課長が、苦い顔をして座っている姿が目にはいり、ぎょっとした。
「まあ、ちょっと座ってよ」

部長に促され、三名と対面する形で溝口さんは腰をおろした。たかがムームー出勤でこれほど厳重注意を受けるのだろうか。
部長は重い口をひらいた。

「これから噂になるとかわいそうだから、先に言っておくよ。今日、堀之内君の奥さん……おっと、奥さんという呼び方も今は何かに抵触するのかな? これは大丈夫? うーん、むずかしいね。とにかく堀之内君の妻君から電話があったんだ。とりあえず責任者を出せって。その、ご夫人がいうにはね、君と堀之内君が不倫関係にあるというんだ。一体、会社の管理監督はどうなっているのかと、ご立腹の電話だった」

溝口さんは、目の玉が飛び出るくらいおどろいた。

「はああ?!! 私と堀之内課長が?! 何ですか、それ!」

部長は制止するように手をかざし、言葉を続けた。
「いや、わかってるよ。誤解なんだろう。先に堀之内君に確認をとったから、こちらとしてもそれは理解しているよ」

衝撃的なタレコミのわりにはあっさりと誤解を認めているな、溝口さんはそう感じたという。

「ただ、ご夫人はかなり激高していてね。まだ誤解は解けていないようなんだ」
溝口さんは思い出して言った。

「そういえば、昨日、就業後に総合ロビーでその方にお会いしましたよ。私の名前を社内報で見て知っているとか何とかって。いきなり飛び出してきて、わけのわからないことをニコニコしながらまくしたてて。あれって、私と課長のことを誤解しての行動だったんですか?」

堀之内課長は、渋い顔をして下を向き、黙っている。

「わたし、堀之内課長ならまだ残っているから呼びましょうかって言ったんです。そうしたら、いいのよ、今日はあなたに会いにきただけですから、うふふふって笑いながら、風のように去っていきましたけど」

「ああ、もう接触されたんだね」
部長は眉間にしわをよせて言った。

溝口さんは堀之内課長にたずねた。
「はい。……あのー、課長、奥さまが、私との関係を誤解されるようなこと、何かお心当たりはあるんですか。たとえばほかの女性と私を間違えているとか」

堀之内課長は、「いや……」とつぶやき、下を向いたままだった。溝口さんはイラッとしてさらに問いただそうと身を乗り出したところ、今度は副部長が口を開いた。

「堀之内君と溝口さんは、最寄り駅もおなじだったね。もしかしたら、帰途が一緒になったところなどを目撃して、楽しそうな様子から、何か誤解したということもあり得る」

「いえ、朝、駅でお目にかかって、会釈くらいしたことはありますけど、帰りが一緒になって会話を交わしたなんてことは、一度もないですよ。二、三回、お見かけしたことはあるかもしれませんが。課長も私も、お互い気づかないフリというか、就業後にあえて話をすることはしませんし」

堀之内課長は押し黙っている。

(何とか言えよ! 誤解されるだろうが!)
溝口さんはイラつきながら言った。
「私にとっては、本当になにがなんだか、わけのわからない話です」

溝口さんは憤懣やるかたない様子でそう答えると、それをフォローするように部長がとりなした。

「まあまあ、会社としてはそれはじゅうぶん、承知しているから。溝口さんに落ち度はない。ただ、こういうことがあった以上、君も一応、気をつけてみてくれないか。いや、気をつけっていうのは、君を責めているんじゃないよ。溝口さんの身を案じてのことだよ。現に昨日は君に会いに来ているっていうからさ。相手の誤解が解けてない以上、またおなじようなことがあったら、なるべくご夫人を刺激せず、じょうずにやり過ごしてはくれないか」

溝口さんにとって腑に落ちない、謎だらけの面談はそれで終了した。

 

溝口さんが席にもどると、隣のデスクの同僚が目を白黒させながら小声で話しかけた。

「ちょっと、溝口さん! だいじょうぶ?! 今すごい電話があったよ。あなたの職場の溝口さんという女性は、うちの堀之内と不倫してますって。周囲のみなさまも社内の道徳と秩序が保たれるよう、気をつけてくださいませんか、お願いしますねって。たぶん、ほかの電話にもかかってる!」

溝口さんはうなだれてため息をついた。

「今まさに、そのことで呼び出されていたところだよ。本当に、何がなんだか。堀之内上司となんか、ほとんど口もきいたことないよ。見てればわかるでしょう」

「ま、そりゃあねえ。財力のあるイケメン上司とかならともかく。あんなくたびれたサエない上司と、間違えたって不倫になんかならないよねえ」

同僚は、好奇心の視線からあっさりと現実的視点にもどり、溝口さんの言葉に深くうなずいた。
PART6につづく

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