「張りプロ」の仕事


「いいの、あれがあいつの仕事」

タウンワークのCMである。居酒屋で客相手に楽しそうにおしゃべりをし、油を売るスタッフに、まじめに汗して働く社員が注意しようとすると、上司にこう言われてとめられる。最後に「その経験は味方だ」とテロップが出る。

もう何年も前になるが、一度だけ「伝説の張り師」に会ったことがある。賭博を生業とする、いわゆる「張りプロ」だ。

本当か否か定かではない。広告デザイナーの友人に誘われ、新宿界隈の老舗バーで飲んでいたときに、元男性のバーのママが、店の常連である私の友人に、こっそり耳打ちしてくれたのだ。カウンターの隣に座っていた初老の男性は、普通の白いシャツを着て、細身で小柄、頭髪はすでに半分以上は白く変わっていた。おそらくギムレットだと思うが、しゃれた薄い足高のグラスでカクテルを飲んでいた。

その男性は、奥に座る私の友人をちらりと見た後、つぎにちらりと私の手元を見た。私はパチンコを含め、競馬、競輪、競艇、賭け事を一切やらない家庭に育ったので、博打の疎さには自信がある。パチンコのやり方も馬券の買い方も知らない。「張りプロ」といわれても、共通の話題はどこにもない。

何を話してよいかわからず、ちびちびハイボールを飲んでいたら、その張りプロは正面を向いたまま、ぼそりと言った。
「あんた、勤め人は無理だよ」

うすうす自分でも向かないとは感じていたが、それでもまだ諦めずに組織で働いていた頃である。自分は一応勤め人だと告げると、彼はまた言った。

「長くは無理だよ。手が俺とおんなじだもの」
そうだろうか。私が改めて自分の手をまじまじと見ていると、張りプロは今度は、少し大きい声ではっきり言った。

「指だよ。あんたは人差し指と中指が外に向いているだろう。へそ曲がり、つむじ曲がりの人間の手だよ。人差し指は人を見る指。中指は自分自身。どっちも外を向いてる。こういう人間は組織に迎合しないでわが道を行く。アウトサイダーで、才能と勘を頼りにハッタリで生きるのがいいんだ。博打うちの人生だ」

自分でも気づかなかったが、たしかに人差し指と中指だけ外を向いていた。「つむじ曲り」という言葉にも思い当たるところがあった。

そういえば私はつむじがふたつある。どちらも変な位置で、ひとつは左額の生え際、もうひとつは後頭部の右端という、美容師泣かせのダブルつむじなのだ。つむじ曲がりという点では当たっているかもしれない。そう告白したら、男性はクールな顔を崩し、ヒッヒッとひきつりながら、うつむいて肩で笑った。
「俺もだよ。位置が逆だけど」

店のカウンター傍らのミニテーブルには、イベント用のおもちゃのルーレットが置いてあった。どこが本物と違うのか判別はできないが、映画などで見るものと比べ、ずいぶん小ぶりでちゃちな仕様だったと思う。何より、裏カジノでもない普通のバーに、本物がないことくらいは、素人の私でもわかった。

 

男性の言うように、本当に私に博打の才能があるのだろうか。
私はルーレットをいじってもいいかママに尋ね、席を立って傍らのルーレットをえいっと廻して雑に玉を放り込んだ。
「赤34」
テキトウに言い捨てて止まるのを待つと、玉はコンコンとはねて、まったく違う番号の黒ナンバーに落ちた。カウンターの友人が緩く笑った。私も笑ってカウンターに戻ろうとすると、男性は引き留めた。
「あと二回、廻してみな」

言われるまま素直に二度廻し、その都度あてずっぽうのナンバーを言うのだが、どれひとつとして当たらない。ほらみろと、今度こそカウンターに戻ろうとしたら、男性は言った。
「今度は俺の番だ。もう分かったから廻してみな」

さきほどと同じようにえいっと廻すと、男性は今までの、対象物をちらりと見る目つきを一変させて、鷹のような目でルーレットを凝視した。盤は赤黒ミックスカラー織り交ぜくるくると、駒のように回転している。
「黒17」
男性が今までで一番高い声を出した。まだ盤はかなりの速度で回転していた。しばらくしてから赤と黒のカラーが分離し、それぞれの領域を見せ始めた。ポンポンと軽快にはねて収まったのは、黒17だった。

後で知ったのだが、ルーレットは確率と統計の綿密な分析で当てを予測するらしい。玉のスピードを分析する周回張りという手法だ。ウィールの回転速度と玉の速さ、加えて廻すディーラーのクセや力配分などもすべて考慮して、瞬時に計算式をつくるという。だから慣れた賭場の慣れたウィール、顔なじみのディーラーであればあるほど当てやすい。クセと力加減を知り尽くしているからだ。

それを三回見ただけで正解を導き出すのは、まさに神業。後に、博打にくわしい知人はそう感嘆した。
もしママや男性本人が廻したのなら、店ぐるみのよくできたマジック、客を喜ばせるサービスだろうで終わったかもしれない。しかし私自身で廻し、玉を放り込むタイミングも私が決めたので、イカサマではなかったと思う。

「めずらしいわね。おもちゃ相手になんかしたら、博打の神様が逃げていくって、いつもやってくれないじゃない」
ママが驚いたように言った。

「違うよ。博打の神様への貢献だ。この人、俺とおなじ手だからな。博打人生に引き込むスカウトのパフォーマンスしてやったんだ。逆にツキをくれるってもんだろ。」
男性は片頬で笑い、カクテルを飲み乾した。

「でもな、なまじバク才(博打の才能)なんてものは、ないほうがいいよ。命取りだ。勝てば金にはなるが、保証はない。勝ち続けりゃ裏の業界からスカウトがくる。どっちかのシマで勝てば、次の賭場には出ないよう脅しがくる。危なくて家族も持てやしない。」

ママが笑った。
「この人ね、理系の一流大学出てて頭いいの。それで〇〇商事(一流大企業)に勤めたのに辞めちゃって。頭がいいから大企業になんか、バカバカしくていられないのね。それでこの世界で30年よ。私だったら絶対ムリ。明日もわからない、神経すり減らす博打稼業でずっと生きていくなんて」
男性の、話すときに片側の頬がひきつる、ストレス性のチックが気になっていた。この世界で生きていくために常に気を張り、緊張しているのかもしれない。

やはり店ぐるみのジョークではなかったと悟ったのは、男性を迎えにきた人物を見てからだ。

「やっぱりここか。ちょっといいかい。次の仕事のこと」
男性は周りをチラとみて、場所を変えよう、と二人で出ていった。迎えに来た男は、夏場に似つかわしくない黒い手袋をはめていたのだが、その小指は中身を収めず、ぐにゃりと所在なく揺れていた。

 

仕事もいろいろあると思うが、上記は一風変わった仕事のはなしである。
ちなみに私の周りの親しい友人は、フリーランスや役者、クリエイティブ系に身を置く人が多く、決まった場所できっちり八時間働く勤め人が極端に少ない。それでも皆、自らの才能や個性を発揮し、よい仕事をしている。

はたらくというのは、組織に籍を置くことではない。ダイバーシティというと一気に今風の言葉になるが、大切なのは多様性だ。自分の資質を最大限に生かし、自分自身を燃料にして発火できる道を選ぶことなのだ。組織にいて完全燃焼が実現できるなら、もちろんそれも正解だ。

その後私は、大企業と呼ばれる会社も含めいくつか正社員になったのだが、居心地悪くてつぎつぎ辞めた。最短は4日。張りプロは経験値30年の値踏みで、私の資質を一発で見抜いた。やはり彼はプロ中のプロだったのだ。

「いいの、あれがあいつの仕事」。

たとえアンダーグラウンドを歩いたとしても、そう認められ、結果で周囲を納得させられる、自分の仕事ができればいい。私は今、いくつめかの会社を辞め、フリーランスで生きていく博打人生の第一歩を踏み出した。
「その経験は味方だ」。その通り。切り売りできる経験だけは、ストックいっぱい用意した。私に怖いものはない。

 

「張りプロ」はある意味、博打界に貢献したといえるだろう。博打の神様が忘れているならば、ひとつ私に免じて、彼に大きなツキを与えてあげてほしい。