「いじり」という名で矮小化されたセクシュアルハラスメントはなくせるのか

パーソナルな距離感をはかれない日本人

私の周囲には海外在住経験のある友人が複数いたためか、20年ほど前から、ハラスメントについてはかなり進歩的な考えを耳にしていました。

たとえば、私が大学生のとき教育実習先で一緒になった山崎さんという女性は、学生時代イギリスで数年を過ごしたのですが、彼女は当時からこのように言っていました。

「親しい身内でもない限り、太った痩せたというのも、失礼だから口にすべきでない。だって、その人のパーソナルな事情がどこに隠れているかわからないでしょ。もしかしたら、つらいできごとがあって痩せたのかもしれないし、病気を患って薬の副作用で太ったのかもしれない。ビジュアルに関することを口にすると、それだけで気配りや教養がない人って思われちゃう」

 

日本はいかがでしょうか。
残念ながら、このようなデリケートな思考にはなかなか出会うことができません。

 

『地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人(小学館101新書)』を書かれた、エジプト人のアルモーメン・アブドーラ氏も、「日本人は太った痩せたなど、外見上のことを気軽に口にするので、太ったねと言われたときは大ショックだった」と著書のなかで述べています。

ムラ社会のなかで育った日本人は、他者のパーソナリティを尊重する意識が希薄で、適切な距離感がはかりにくいのかもしれません。

 

ムラ社会のなかでいじめを「いじり」と言い換え許容する日本

少し前に、中野円佳氏の「上司のいじりが許せない」(講談社現代新書2469)を拝読しました。女性蔑視が未だにスタンダードであるこの国の現実はもちろん知っていましたが、それでもあまりのひどさに読んでいて頭痛とめまいがしました。

本書に出てくる事例は、セクハラを矮小化させたい狙いを指摘し、あえて「いじり」という表現を使っていますが「いじり」などではなく、どれも裁判沙汰になっておかしくない完全なセクシュアルハラスメントです。しかし被害者たちはそれを表立って憤ることをしません。

 

〇服を脱がされて、「やめてください」というと脱がされ方がうまい、と何度もやらされ……」。

〇「ブサイク」「お前と飲んでても面白くないから、もっと綺麗なの連れてこい」とか言われたりしていて………。その方は、その場ではヘラヘラ笑っているけど、あとで泣くんですよ。

〇「お前はブスだから話しやすいよ」って言われたこともあります。笑うしかない。そういうときはニコニコ笑って、「何言ってるんですかー」みたいな感じでちょっと小突いて終わりみたいな感じにしてます。

〇基本オバサンいじりを受けていました。「もうお前もいい年なんだからさー」が常に接頭語でした。そのくせ女だと認識されていたので、冗談のふりして飲み会で触られたり、タクシーやカラオケの別室に連れ込まれそうになったりしたことは数知れずあります。それをスナックのママ的にうまく受け流すことが求められており、真顔で「やめてください!」なんて言おうものなら場の空気がシラけ、「空気を読めない人」になる感じがしました。

 

興味のある方は「上司の『いじり』が許せない」中野円佳(講談社現代新書2469)をお手にとってみてください。

 

本書は現代社会の複雑な構造から発生する「いじり」の原因にも触れていて、とても興味深い良書です。しかし私が外すことのできない根本的な視点はやはり、この国に強固に根付いている「女性性軽視」と、そのゆがんだ思考を受け入れて振る舞うことこそが組織秩序を保つための善処であり「模範的な社会人」であると、あらゆる日常シーンでインプリンティングされてきた、日本人女性の「性的自己肯定感の低さ」です。

これらがマイナスに相互作用し、ナチュラルに「いじり」を起こさせる要因を作り出しています。

 

考えてもみてください。
「女性はすべて女王陛下のように敬意を払われるべき存在」
「男性の性的不品行は最も軽蔑されるべき蛮行」

このような意識がデフォルトの社会環境だとしたら、上記のような「性的いじり」はそもそも発生するでしょうか。そして発生したとして、女性は上記のような反応を返すでしょうか。

 

「いじり」という名のセクハラが発生しずらい文化とは

私は現在、大使館施設でさまざまな国の方と接する機会があるのですが、日本と違いイスラム圏の男性は、根本的に女性に対しての敬意が確立されているように感じます。それがゆえにイスラム圏の女性も自己肯定力が高く、女性という性にプライドを持ち、性的ディスリや性消費を許さない自意識を備えています。

もちろん私が外部者として異邦人的な立場で外側から見た建前と、当事者としての現実に乖離はあるでしょう。エジプトでも痴漢は社会問題のひとつです。また日本と同様、都市部と地方では男女平等意識の文化的解釈や風習も異なりますのでひとことでは言えません。
しかしここでは、あくまで「ベースとなる社会通念」として、いくつかの例をご紹介させてください。

 

その1:たとえば私のアラビア語の先生のおひとりはムスリムのインド人男性ですが、折に触れイスラム圏の考え方を述べていました。

「我々の文化では、母親というのは父親の何倍も尊敬しなければならない存在です。たとえ親子であっても、母親に無礼な口をきくことは許されません。女性や母親というのは、大切に扱わなければならない尊い存在だからです。」

 

その2:また先述の『地図が読めないアラブ人、道を聞けない日本人』を上梓したエジプト人のアルモーメン・アブドーラ氏は、「女性から求められれば握手するけれど、自分から握手を求めることはしません」と述べています。なぜなら「エジプト紳士たるもの、男性のほうから女性の肌に触れることを求めるなど、女性に対して失礼にあたるから」ということです。

肩であれ背中であれ頭であれ、気軽なボディタッチが不愉快なセクシュアルハラスメントであると未だ認識できない男性の多い日本社会に、ぜひとも輸入したい視点です。

 

その3:アブドーラ氏の本を読んで思い出したのですが、私がイスラム圏のモロッコを旅行したとき、一緒にエレベーター待ちをしていた現地の男性が、エレベーターが来ると自分は乗らずに、私ひとりをエレベーターに乗せて見送るということが何度かありました。後で知ったのですが、これは「見知らぬ男性と狭いおなじ空間にいることで、女性にセクシュアルな恐怖心や性的心理プレッシャーを与えてはいけない」という配慮からでした。

些細な性的心理的負荷すら女性に与えてはならない。男性の性加害性を「あるべきもの」として性悪説で捉え、女性が害されないよう事前にセーフティネットを張っておく。女性は尊い宝物。それがイスラム文化では社会通念として共有されているのです。

 

なぜ「いじり」というセクハラが発生しにくいのか~女性尊重文化の根幹

なぜこのような女性尊重精神が社会に根付いているかというと、やはり文化的背景による違いが大きいと感じます。イスラム教の聖典クルアーンや預言者言行録ハディースによる規範が文化のなかに組み込まれているという点がポイントではないでしょうか。

 

イスラム教の預言者ムハンマドは究極のフェミニストでした。最も尊敬する人(良く付き合うべき人)を「母親」と答え(ブハーリーとムスリムの伝承)、家庭の中では家事育児を率先して行い、性的不品行を嫌い、女性の性的尊厳と自由意志をつねに重んじていたため、イスラム教では女性は最高の尊敬と献身を払うべきと位置づけられています。神がクルアーンの中で、母親の役割における様々な苦労と困難を述べているということもあるでしょう。(第31章ルクマーン章31-14)

また彼は、「天国は母親の足元にある」とも述べていました(アハマドとアン・ナサーイーの伝承)。我が子を慈しみ、愛情あふれる母親のまなざしが注ぐスポットこそが、この世の天国である……ということでしょう。シンプルかつ的を射た真実です。

 

強力なオピニオンリーダーが女性性を限りなく尊重する人であったからこそ、イスラム圏では女性性を軽視したり、ましてや「いじる」などの不品行は許されず、真に尊ぶという集合意識が「文化」として根付き、それに離反する言動は劣等と見なされるという、日本とは真逆の集合意識が構築されているのです。

 

なぜ日本社会のなかで女性がこれほど生きにくく、力を発揮しにくいのか。

社会的構造ももちろんのこと、日本では「女性性尊重」の精神が、そもそも文化として内在していないことを肌で感じます。まるで息をするかのように、「いじり」感覚で気軽に女性を見下すセクハラを行い、それに罪悪感すら抱かない多くの男性たちに、どれほど言葉を尽くして説明しようとしても、彼らの中には元来、女性に対する敬意と尊重の概念がないのです。
掘っても掘っても出てこないのです。

 

日本が変わっていくために必要なふたつのこと

小島慶子氏著の「さよなら!ハラスメント~自分と社会を変える11の知恵」(晶文社)は、ハラスメントや男女共同参画について、小島慶子氏と11人の識者との対談をまとめたものです。小島氏のズバリと男性の本質(弱点)をつく軽快な切り口は小気味よく、そのすぐれた洞察力からも、ぜひ多くの方に一読をすすめたい良書です。

対談のなかで白河桃子氏は、外資系から日本企業に来た人は「日本の会社は20年遅れている」と言うと紹介していました。メディアと霞ヶ関はさらに体質が古く、40年遅れているそうです。福田財務元事務次官の事件からも納得できるのではないでしょうか。

 

それではどうすればよいか。どうすれば日本は変わっていくのか。

私は政策と法令にメスが入れられることを前提に、(1)可視化されていくこと (2)国際共生社会のなかで多様な文化意識が輸入され、それに触れていくこと が突破口になると考えています。

日本は島国ゆえの閉鎖性から、ジェンダー平等について国際社会から遅れをとってきました。世界経済フォーラム(World Economic Forum)が公表した2018年の、各国における男女格差を測るジェンダー・ギャップ指数順位は149か国中110位です。ちなみに前年は144か国中114位でした。「意識の鎖国」をかたくなに守ってきたのです。しかしそれが通用しない時代が訪れています。

(1)可視化されていくこと

8月にはコンビニの成人雑誌が撤去されます。世界的に見れば明らかに異常な光景でしたが、撤去がニュースになり初めて「ああ、なるほど」と気づいた人も多いのではないでしょうか。そのくらい日本では差別的な女性性消費が日常の風景として溶け込んでいます。しかしそれが変わることで、大衆の意識も変革していきます。

 

あるいは女性議員や女性役員が35%にまで増え、女性上司の指示を仰ぐ就労環境が日常シーンとなることも可視化できる変化でしょう。決定権限のある女性が一定数定着することで人々の意識も変わります。35%というのは文化を変えるティッピングポイント。政府の目標が2020年に30%であるのは少ないと、白河氏は述べています。

 

また私が現在呼びかけ人となっている、電車の車内吊りセクハラ広告撤去や痴漢防止アナウンス導入などもその一環です。
これはじつは署名提出そのものが目的ではなく、実際には提出に至る前に具現化したい目標のもと、問題を細分化し可視化できるようにすることで集合意識の変革を促し、また発信物があることで関係各所にアプローチしやすくなるという利点も視野にいれたものです。
いずれにせよ性被害者が自分で解決するに任せる現状から、社会全体の問題として能動的に抑止されていく変化を見れば、女性に対する性的尊厳軽視の風潮に変化が起こります。

日常風景が変わっていくことで時代の変化を感じ取る。そのことで集合意識が変化していく。それが追い風となりさらなる変化を招く。このような正のスパイラルを作り出していくことが大切だと感じます。

 

(2)国際共生社会のなかで多様な文化意識が輸入され、それに触れていくこと

インバウンドや少子化による労働力不足から、職場や観光客が多国籍化しています。「コンビニ外国人」芹澤健介著(新潮新書)の本も話題になりました。

2018年時点における日本で働く外国人労働者は146万人です。これは前年より11.2%の増加ということです。また2018年の外国人観光客が3,000万人を突破しました。

 

女性蔑視が文化として強固に根を張るムラ社会のなかのみで、非戦略的に男女平等を叫んでも、日本はなかなか変わらないと気づき始めた方も多いのではないでしょうか。それならば国をボーダーレスにして、他文化の男女平等意識を積極的に輸入し、日本人の意識ベースにある女性蔑視の濃度を薄めていくのもひとつの手段です。もちろん多国籍共生が不安要素とならないよう、適正な共生プログラムを作ることが前提となりますが。

 

例えば隣のデスクのムスリム男性同僚の、女性への紳士的な接しかたを毎日見る。例えばフェミニズムを言葉にすることに慣れている韓国人女性が複数入社してくる。あるいは隣の男性同僚がスウェーデン人で、当然のように長期育児休暇をとる。

それらを目の当たりにし、触れていなかった文化に直接触れることで、多くの意識変革が起こることを期待したいものです。

多文化にふれることで「常識」と信じていたものがじつは「非常識」であったと自覚させられます。
均等性意識が一度、崩壊されることが必要なのかもしれません。

 

世の中というのは一朝一夕で変わるものではありません。季節がゆっくり移り変わっていくように、少しずつ彩りの違いを感じ、気づいたときにはすっかり周囲の風景が変わっていた。過渡期にいる私たちは、それを信じて発信を続けることが大切だと思います。

 

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