東電OL予備軍・Tさん~あなたの周りに潜む東電OL予備軍②


東電OL予備軍・Tさん~あなたの周りに潜む東電OL予備軍

 

彼女からは闇の匂いがした。

全身を覆う闇のオーラは、「匂い」という抽象的なものではなく、すでに外見からも容易に伝わりうるものだったのだが。

彼女の服装は、いつも全身黒ずくめ。それもおしゃれなモード系ではなく、だぼだぼの黒いスポーツタイプのポリエステルスウェット上下という仕様。その下には、貧相と言ってよいほどに痩せた四肢が包まれていた。

長く伸びた黒髪に、染めた形跡はみられない。一時テレビ画面をにぎわせたオウム真理教女性信者のように、手入れもせず腰の下まで、長く長く海藻のように伸びていた。それだけならばさして珍しくもない。人目をひくのは、彼女のメイクだった。

まず、異常な厚塗り。

すでにナチュラルメイクがもてはやされていた十数年前にもかかわらず、ファンデーションがごってりと何層にも塗りつけられ、もはや地の肌が見えていない。まるでたっぷりとバタークリームを塗りつけたケーキのような質感だった。しかも地肌とファンデーションの色が合っていない。顔面だけワントーン黒く、遠目からも顔が浮いたように見えるのだ。

そしてもっとも気になるのが口紅の色だった。「なんでこの色をチョイスしたんだろう」と、首をかしげたくなるような不気味な色なのだ。紫というか、それも明るい秋のボルドー系などではなく、地味な小豆色に練乳をぶちこんだかのごとく、白濁した暗い紫。まるで死人の唇のようで、生きることを拒んでいるかのごとくに見えた。

「なにあの色、気持ち悪い。どこであんな色探してくるんだろう。探そうと思ったって、あんなのなかなか見つけられる色じゃないよね」

ストレートな性格をもつ同僚の路子は、悪びれずにあっけらかんと、そう言い放った。

 

 

彼女  Tさんと出会ったのは、今から十数年前の資格予備校だった。

当時、会社で暇をもてあましていた同僚の路子は、厚生労働省の教育訓練給付制度を知り、目を輝かせてこう言った。

「受講料が二十パーセントも戻ってくるなんて、結構お得よね。ねぇ、いっしょに受けない? ちょうど今、新部署がスタートしたばかりじゃない。私たちの仕事もラクになったしさ。これを逃したら次はいつ機会があるかわからないよ。それにさぁ、会社と自宅を行ったり来たりのありきたりの生活も人間関係も、もううんざりだし」

 

私たちが受講したのは、ベーシックな法律を学べる某資格基礎講座だった。たしかに社会人として幅広く役に立ちそうな知識を学ぶことができるし、転職にも有利といえた。

 

しかしほかのクラスは違った。公務員試験や司法書士、司法試験の講義など。
さすがに司法試験のクラスとなると客層も違い、入れ違う生徒たちも、緊張感がただよっていた。「友達でも作りながら楽しく受講」という雰囲気ではなく、ピリピリしている。
私たちの受講しているコースの前のコマは、司法試験クラスというスケジュールが多かった。私たちの講義が始まる前の休み時間、六法全書を開き、ぎりぎりまで居残り復習している人が数人いた。

 

その日、路子はなかなか来なかった。

私は席を確保しておこうと、路子が好んで座る後部座席に行きバッグを置いた。前列の席には、前の授業を受講していたと思われる黒ずくめの女性がまだ座っており、一心不乱に刑法の参考書を見ていた。

受講開始のチャイムが鳴ったのに気づくと、女性ははっと顔をあげて、慌てて本をかき集めて立ち去ろうとした。彼女は、高校生が部活の合宿に持って行くような大きいプーマの黒いスポーツバッグに参考書を放り込み、立ちあがった。しかし急いでいたためスポーツバッグを後列の机にひっかけ、私のテキストをすべてさらい落とした。ばさばさと大きい音を立ててテキストは下に落ちた。

「ごめんなさい!」
女性はしゃがんで私のテキストをかき集め、ほこりを払い、手渡した。

「すみません、テキストを汚しちゃって。大切なお勉強の本なのに」
「ああ、全然。だいじょうぶですよ。べつに汚れてなんかいませんし」

私は笑顔で受け取り、そのまま普通に会話を終わらせようとした。
しかし女性はなおそこに立ち尽くし、話を続けようとした。

「本当にごめんなさい。ご本を汚したばかりか、授業前の予習までもじゃまする形になってしまって……」

そこまで言いかけたところで先生が入室し、同時に後ろの扉から路子もすべり込み、その女性との会話はそこで終わりとなった。私は落とされたテキストよりも彼女の不思議な色の厚塗りメイクが気になった。

 

別の日、私はあの女性と再会した。

その日は土曜日で、昼休みを挟み午後の私の授業がはじまるというスケジュールだった。午前中に用事があった私は外食ランチを楽しむ余裕がなかったので、昼食を買って教室で食べることにした。

後部の席に行くと、前回と同じ席であの女性が昼食を食べていた。目が合ったので私は目礼をして、彼女の後ろの列に座ろうとしたところ、彼女から声をかけてきた。

「この前はごめんなさい。教科書は大丈夫でしたか」
「そんな、大丈夫でしたよ。本当、気にしないでください」

私はビニール袋からゴソゴソとクロワッサンサンドを取り出しながら軽く受け答えた。振り向いた女性の肩越しに手作りとおぼしき弁当が見えたので、私は会話の糸口とした。

「お弁当、ちゃんと作ってきているんですか。えらいですね」
私は笑って自分のサンドイッチを軽く持ちあげて、軽く話題をふった。もしかしたらこの人は昼食時の話し相手が欲しいのかな、と思ったからだ。

しかし私が女性に声をかけたのはそれだけが理由ではなかった。彼女の風変わりなメイクを見て、「この人はどういう人なのだろう」とふと興味がわいたからだった。彼女の雰囲気と外見だけで、すでに常人とはあきらかに違う、異質な闇の匂いを私は感じていた。

このとき私は好奇心など持たず適当にあいづちを打ち、ひとりで教科書でも読み始めれば良かったのだ。そうすれば、彼女の心のブラックホールに片足を引き込まれることもなかったし、沈淪(ちんりん)した自我の残滓(ざんし)を見ることもなかったのだ。

彼女は自分の席に身体を戻し、弁当箱を片手に持ちながら、ゆっくりと振り返った。

「お邪魔じゃなかったら、いっしょに食べてもいいですか。食べ終わるまでで結構ですから」

 

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「あなたの周りに潜む東電OL予備軍」 有馬珠子

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