●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part10


(つづき)
善玉サイコパスには、表層面にとどまる傾向がある。
「自分の欲求と感情」を最優先に生きていると、やはり深淵部に意識が向きにくいのだろうか。

善玉サイコパスは、自分が傷つくこと、つらいこと、汚れること、たいへんなことの核心的な部分には、決して手を出さない。臭いものにはキッチリふたをして見ようとせず、それらをまるごと他人に手渡し、自分は楽なところやキレイなところの表層的な部分において積極的に活動したがる。

表向きは「他人のため」と称することも、実際は「自分のため」のポーズであることが多い。自分のチャイルディッシュな欲求を正当化させるため、「他人のため」という大義名分が欲しいのかもしれない。

 

あえて言葉にすると手厳しく思われるかもしれないが、実際このタイプはどこの職場でもひとりはいるようだ。過去にも複数の知人から、共通の人物像で相談をうけたものだ。

私がこのことを改めて認識したのは、知人Kさんの行動を通してだった。
なぜかKさんは、教会が主催する、ホームレスサポートのボランティアに参加しているという。その活動のひとつ炊き出しボランティアに、私と知人Rさんは誘われた。

炊き出しは教会のキッチンで配給用の食事をつくり、指定場所で配るという毎週定期的に行われている作業だった。
炊き出しの食事作りは、土曜日の10時くらいからスタートする。Kさんは平日会社に行っているので、その時間なら身体があいているのだろう。

 

私は最初、Kさんからその話を聞いて「???」と思った。常日頃のKさんの自己中心的な言動と、他者のための「ボランティア」という行動が結びつかなかったからである。

Kさんは、自分がボランティアに尽力しているという事実を、力強く熱く語った。それを聞き、「私はもしかしたら、Kさんのことを誤解していたのかもしれない」……と反省の念を抱き、申し訳ない気持ちで身体を小さくしてしまった。
しかし実際に参加してみると、「なるほど」と納得せざるを得なかった。私の反省は、悪いほうに裏切られたのだ。

 

ホームレスサポート主催者であるプロテスタントの教会は、都内の一等地に場所を構えている。聞く話によると、日本で最も坪単価が高い教会として知られているということだ。周囲は、エレガントなファッションビルが林立している。
教会に入ると、土地がら外国人スタッフが多く、地下のキッチンはまるでインターナショナルスクールのように朗らかでオープンな雰囲気だった。
その日は、自国の一流ホテルでシェフ経験があるというインド人の男性が、スパイスから調合する美味しそうなインドカリーを鍋いっぱいに作っていた。

スタッフたちはそれを自分たちの早目のお昼ご飯として食べ、ホームレスの昼食配給に出かけて行く。しかしKさんは、そこには同行しないという。

「私は行かないです」
Kさんはいつもの調子で悪びれずにあっさりと言い、準備を始めているスタッフたちを眺めながら、いすから立とうともしなかった。

Kさんのする仕事はどこまでか。
Kさんはスタッフと一緒に楽しくクッキングをしてお昼を食べて、そしてそれを自分の夕食用に分けてもらって帰ることまで、だったのだ。

彼女はほかのボランティアスタッフのように、実際にホームレスと接してつらさに触れることもなければ、話を聞いて意識を共有することもしない。衣類の交換・回収など不衛生な環境に身をおくこともぜったいにしない。

ただ一等地の教会で、インターナショナルなセレブ感を味わい、ピカピカのキッチンで、自腹をきらず教会の費用で、趣味のようにクッキングを楽しみ、一流シェフが手助けしてくれたおいしい昼食を、慈愛にあふれた親切で優しいスタッフたちと共に、わいわい世間話をしながら味わい、お土産をもらって帰る。

そして「私はボランティアの仕事をこなした奉仕の精神をもつ素晴らしい人間」という満足感にひたり、家路につくことである。

「私は常日頃、こんなに素晴らしいボランティアをしているの。わたしは慈愛にあふれたステキな人間。社会貢献している献身的なわたし」

これがKさんの本来の目的だったのだ。
Kさんはボランティアを、自己欲求を満たすためのツールとして私用する。
私は一度期待しただけに、Kさんの心にある表層的な満足感に気づき、トーンダウンしてしまった。

 

前回、善玉サイコパスは「絶対に自分を傷つけない」「甘くて優しい」「精神的大人」が大好きだということを書いた。
ひとくくりにはできないのだが、クリスチャンでボランティアをしている人というのは、そのような穏やかで優しい、デキた方たちが多い。まさにここは、Kさんが依存したい人間の集まりだ。いうなればKさんの「絶好の狩場」なのだろう。

おそらくこの人的環境も、Kさんの目的のひとつだ。どんなに自由きままに振る舞っても、会社のように総攻撃もされなければ、青筋立てて責めてくる恐ろしい人間もいないのだから。

しかしいくら教会のボランティアスタッフたちが、Kさんの好きな「甘くて優しい」「精神的大人」たちにあふれているとはいえ、中にはKさんの本質を見抜く人たちも出てくる。
Kさんはその人たちに疎まれる。

毎回、キツイ、キタナイ、ツライ部分を、一手に引き受けている人たちからしてみれば、Kさんのキレイなとこだけ、おいしいとこだけの「偽善ボランティア」をうとましがるのも、致仕方のない感情といえるだろう。
結局は自分を傷つく位置におかないKさんのあからさまな自己保身が、真摯にボランティアをしている彼らの神経を逆なでするのだ。

 

私はその日、Kさんの「私は行きません」の投げ捨て発言に、「ああ、またか…」とでも言いたげに白い眼を向けて出かけて行くスタッフ何名かを、ひやひやしながら見送った。
表層的ならばそれはそれで構わないから、もう少しじょうずに立ち回ってくれればいいのに、と願いながら。見ているこちらの心臓にも悪いのだ。

Kさんはいつも言う。
「私は何もしてないのに、どうしてこんなに意地悪されるの??!」
それは「何もしていないから」ではなかろうか。

つらくてキタナイ現実的な部分から目をそむけ、それらをすべて他人に押し付けて、自分は決して傷つかない高い位置から、ドヤ顔で「偽善ボランティア」をアピールするから反感をかうのだと思うが。

しかしKさんはいつまでもそのことに気づかない。
(Part11へつづく)

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あなたの周りに潜む善玉サイコパス: 共感力の個人差

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