●「共感力の個人差」~あなたの周りに潜む善玉サイコパス ~Part4


(つづき)
善玉サイコパスは、他人に興味がない。他人の興味にも、興味がない。
興味があるのは、自分にとって心惹かれる、自分にとって関心のある事柄だけ。

本来、人はそのようなものかもしれない。しかし社会的動物であるかぎり、他人の関心ごとにも目を向けて意識を配り、バランスよく会話しコミュニケーションをとり生きていかないと、実際のところ人間関係は厳しいものになるのではなかろうか。

しかし善玉サイコパスはそれをしない。
「興味ない」という態度をあからさまに表に出し、周囲に違和感を与える。善玉サイコパスの心には、「自分が興味ないもの」に対する「他人への配慮」が存在しない。

私の知人Kさんにも、そのような兆候がたびたび見られた。
最初はその正体が何なのかわからず、とまどいを感じていたのだが、「子供のような自己中心性」に起因するものとわかってからはようやく腑に落ちた。私自身も、振り回されるだけ振り回されて、それを冷静に観察できるようになったのは、かなり後になってからだったが。

 

最初に「???」と感じたのは、一杯のコーヒーだった。
Kさんと私は共通の友人Rさんを介して、たびたびイベントやセミナーに参加することがあった。ある日も三人でセミナー会場におもむいた。

Rさんはとても献身的な性格で、障害者の介護ボランティア活動を積極的におこなっている。その日私たちがおとずれたのも、障害者介護関連のイベントセミナーだった。講演は無料。参加者の心づけで寄付をするという趣旨だった。

ちなみに「無料」でなければKさんは絶対に参加しない。「心づけの寄付」をするときは、必ず5円や10円である。ここの「寄付型のイベント」は、よほど生活に困っているのでなければ、お札1枚くらいは出しましょう……という空気なのだが。

もちろん強制ではないが、運営費やセミナー講師料、会場で出されるお菓子やお茶などの費用を考えると、千円札1枚くらいは礼儀かな、という気がする。それが困っている人相手に無償で働いている方へのねぎらいというか、「せめてこのくらいしかご協力できませんが」という気持のあらわれかと思う。

もちろん、本当に生活の苦しい方は、無理をする必要はない。イベント主催側も、「お金に気をつかわずに参加してほしい」という気持ちから、寄付のための茶封筒を配り、個人がいくら寄付したかわからないような方法で、寄付金を回収していた。

 

しかし私は、Kさんがお札を封筒に入れるところを見たことがない。
周囲の人が、お財布からごそごそとお札を取り出して封筒に入れるさまを見ても、決して同調することはない。みごとなまでに他人の寄付額に流されない。

「たまたま今月はローンの返済が重なり苦しいから」ではないと思う。何度参加しても、一度たりとも、10円以上の寄付をするのを見たことがないのだ。
Kさんはすでにイベントには複数回は参加していて、イベントスタッフとも世間話をする程度に顔見知りであるにもかかわらず、である。
「五百円札」の時代だったら、Kさんがお札をINするところを見られたのだろうか。それは今となってはわからない。

Kさんは、心もお金も他人に与えることをしない。
他人の善意から生まれる奉仕や労力を、ただ当然のように享受するだけ。

しかし寄付金はあくまで「個人の自由」だ。それはそれでかまわない。
私が違和感をおぼえたのは、Kさんのスタッフへの態度だった。

 

さて、イベントセミナーが終わった後、会場はわきあいあいと、自由に歓談する雰囲気に変わる。私とRさんとKさんも、パイプいすに座り話をしていた。
中央にはテーブルが寄せられて、大皿にお菓子が盛られている。そしてイベントスタッフは、紙コップのコーヒーをトレーにのせて、参加者に配ってまわっていた。

じつはこのイベントの主催者、大のコーヒー党で知られている。だからセミナーの最後に振る舞われるコーヒーも、いつも良い豆を厳選し、その場で淹れたおいしいコーヒーを配ってくれる。参加者への感謝の気持ちを兼ねてのことだろう。
Kさんもそのことは知っていたし、作る過程も見ていた。

スタッフが私のところにもコーヒーを持ってきてくれたので、「ありがとうございます」と笑顔でお礼を言って受け取った。
しかし、スタッフがにこやかに「どうですか?」とKさんにコーヒーを勧めたそのとき、Kさんはスタッフの顔も見ずに、明後日の方向を見ながら、「私コーヒー飲めないので」と、抑揚のない声で間髪入れずに、ひと言でバッサリと拒否した。

スタッフは、ムッとはしていなかったと思うが、「何?この人?」というような、奇妙な顔でKさんを見て、次の人に配りに行った。

 

もうおわかりだろうか。
善玉サイコパスは、他人の善意に気をつかわない。
Kさんにとっては「私はコーヒーが飲めないので飲めないと言っただけ」であり、何もおかしいことはしていないのだ。

軽く会釈をしながらの 「ありがとうございます。でも実はコーヒー飲めなくて。いい香りなのに残念です」、などの気遣いの言葉は、永遠に出てこない。
「困っている方のために無償でボランティア」をしている方たちが、「寄付金に関係なく」「全員に配ってくれる」「参加者のために用意してくれた」「感謝のこもった善意のコーヒー」であろうが何であろうが、関係ない。Kさんにとっては「自分が飲めないコーヒー」でしかない。

一杯のコーヒーにこめられたキラキラとした七色のパステルカラーの意味も、Kさんの手にかかると、一瞬で単調なKさん色に塗りつぶされる。
「自分が飲めないコーヒー」は、自分にとって興味対象外である。だから関心はない。だから突き放した。それだけのこと。

 

Kさんに言わせれば、「だってあの人たちは好きでやってるんだから」ということなのだろう。やらせておけばいいんじゃない……とまでは言わずとも、根の部分ではそう思っている。

ボランティアの人たちが、自分たちも忙しい生活のなか時間をやりくりして、それでも他人の役にたつことを選んだ、崇高な精神を理解できない。だから気もつかわない。
スタッフたちだって、家でテレビでも見てお茶を飲んでいたほうが、本当は楽に決まっている。それでも「自分は健康で動けるのだから」と、せめて世の中に還元していこうと、大変なときでも笑顔でがんばっているのだ。

そのような他人の影の苦労や、表に出さない奉仕の心を、Kさんは想像できない。
自分の中に「他人に与える気持ち」がないから、想像できないのだろう。人というのは自分の中にないものは、理解しづらいものだから。

これは本当に些細なワンシーンなのだが、Kさんの「自分が興味ないことへの冷淡さ」は、この後もいかんなく発揮される。
(Part5へつづく)

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あなたの周りに潜む善玉サイコパス: 共感力の個人差

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